第一場 第三景 映画館

 古めかしい小さな映画館の中、一人で映画を見ている。

 僕はあまり映画館でポップコーンやらドリンクやらを飲食するのが好きではない。映画だって総合芸術だ。演技・演出・音響・編集などが複雑に絡んで出来上がっているのだ。集中して見たいじゃないか。同じ作品で映画館に10回通ったことだってあった。


 でも、今日は何の映画を見に来たのだっけ……


 色あせた映像の中、上から誰か眼鏡をかけた高齢女性が覗き込んでいる。

 なんだかとても懐かしい匂いが、アールグレイの香りだろうか、漂ってくる。4D上映だったっけ。


 それにしても何だか胸が騒ぐ……

 久しぶりに声を上げて泣きたい気持ちになってくる。他に客もいないから、いいよね。


 グズグズと泣き始めると、画面の奥から慌てて女性と男性が駆け寄ってくる。少し派手な、ややバブリーな香りがする風貌の女性だ……違和感より先に安心感がやってくる。

 男性も猫なで声であやしているようだ。よく聞き取れないけど、なんだか急に眠くなる。


 そうか、お母さん、お父さん……


 先程の高齢女性が眼鏡をはずして微笑みかけた。カメラを抱き上げる構図でふわっと映像が浮く。


 おばあちゃんだ……僕のおばあちゃん……久しぶりに会えた気がする。

 もう長らく写真でしか見てなかったからなあ。


 ―なんだか、死に際に見る走馬灯みたいだ―


 とにかく、もう眠くて仕方ないのだ。寝ていいよね……


 ……


 「O Freunde, nicht diese Töne!(おお友よ、このような旋律ではない!)」



 突然の男性歌唱が、僕を叩き起こす。


 僕は目を丸くして音のする方を振り向いた。


 そこには見慣れた肖像画が、僕のことを見下ろしている。モジャモジャの髪に固く結んだままの口。難しい顔をしながら、僕のことを睨みつけている。


 誰の肖像画なのか、喉まで名前が来ているのに、どうしても思い出せない……思い出そうとすればするほど、肖像画は薄く透けていく。次第に霧が立ち込める……眼の前が真っ白になって……


 でも、どうしても、肖像画の人物に言いたいことがあった……



 「最期に素敵な音楽を……ありがとう……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

誰も知らない第九 あしもす @sinfonians

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ