後日談 番外編:指把(ゆびわ)
どうしよう…。
このままじゃ
あたしは電話のダイヤルを押し始める。
「…卒業旅行…?」
来週でこの高校を卒業する。
小中高一貫の学園で、大学も編入するという話は具体的に上がったものの、まだ数年先の話ということで、あたしたちの卒業には関係のない話だった。
「そう。二人で行こう」
「…うん…」
二人で同じ大学の合格通知を受け取り、お互いに驚いていた。
付き合っていても、あえて進路については何も触れずに過ごしたけど、偶然にも同じ大学を目指していたことがつい先日明らかになった。
学科こそ違うものの、数ある大学の中で同じところを選んでいたのは、以心伝心と言えるかもしれない。
これまでも色々あったけど、あたしと瞬の関係は周囲が認めてくれているようになった。それでも学園内では見せつけるようなイチャイチャは避けている。
特に体の接触は例え手だけであってもやめよう、と二人で決めた。
「
「…卒業旅行…しようって…」
「卒業旅行か。いいな、わたしも行きたい」
「
「その話、俺らも混ぜてくれないカ?」
「あのな、俺は明莉と二人で…」
「わーってるっテ。部屋はそれぞれの相手と二人ダ。明るい内は大勢で楽しもうってだけの話だヨ」
「…あの…それぞれ…行けばいいと思う…」
二人で必死に止めたけど、結局押し切られてしまった。
「すまないな、明莉」
「…ううん…考えてみれば…あたしたち以外…進路がバラバラだから…卒業したらこうして集まるのは難しいよ…思い出作りにはいいかも…」
キャリーバッグを引いて二人で駅に向かう。
この卒業旅行は、親があたしの分を全部出してくれた。
「それもそうだな」
特急列車の停車駅で待ち合わせになっているから、駅の改札を通り抜ける。
「あのケンカからこっちの話だけど、明莉には隠し事しないつもりで過ごしてきた」
ホームで電車を待っている間、瞬がふと口を開いた。
あのケンカとは、二人で仲良く口と心を閉ざしてしまったあの件。
「…?」
「だから明莉も悩んでることや困った事があったら、隠さないで相談してほしい。明らかに解決ができないことでも、二人で一緒に立ち向かっていこう」
「…うん…約束する…瞬には…隠さないよ…」
「いい返事だ」
特急に乗る駅で優愛ちゃんと
「…ここから二時間だっけ…?」
「二時間半くらいだよ。旅館まではバスで移動するから、二時間半超えるかも」
特急の指定席に座って、隣にいる瞬と手をつないだままで外の流れる景色を眺めている。
手を通して伝わってくる温もりは心も温めてくれている。
最初はもっと遠くて、飛行機に乗っていくようなところだったけど、六人のお財布事情に合わせた結果、そこそこの距離に落ち着いた。
車両の中央を貫く通路を挟んで隣を見ると、優愛ちゃんが幸せそうな顔で塔下先輩とおしゃべりしている。
付き合った最初の頃は優愛ちゃんが辛そうだったけど、今は幸せそう。
背もたれで見えないけど、司東くんと彼女さんも落ち着いた様子で過ごしている。
「やっと着いた~」
緑に囲まれた旅館に辿り着いて、優愛ちゃんが伸びをした。
「んじゃそれぞれのペアで部屋の割り振りダ」
鍵を受け取った司東くんが無造作に手渡す。
「その部屋割り振りは意味あるのか?」
「特にねーヨ。階は同じだし全部角部屋でもねーからどの部屋でも同じだロ」
「それは確かにな」
手渡された部屋の鍵番号を確認して、それぞれの部屋に入って手荷物を置く。
しーーーん…
「…静かだね…」
耳が痛くなるほどの静寂に包まれながら、緑にあふれる窓の外を見る。
「ああ。来てよかったな」
どちらからともなく、静かな部屋で口づけを交わしてお互いを確かめ合う。
隣の部屋を訪ねてみたけど、もう優愛ちゃんと塔下先輩はでかけたらしい。
「一緒に行動するんじゃなかったのか」
「ま、ゆるく行こうゼ。俺たちも別行動を取らせてもらうからサ」
「だったら何のために同じ宿を取ったんだ?」
「細かいことは気にするナ。群れたくなったら群れてりゃいいだロ」
司東くんと彼女さんはあたしたちを置いて立ち去ってしまった。
「まあ一理あるか。連れ添ってべったりしてても面倒なことも多いだろう。行こうか、明莉」
「…うん…」
外に出ると、緑よりも建造物にあふれた地元とはぜんぜん違う緑の匂いを胸いっぱいに吸い込む。
「二泊三日だからな、ゆっくりできそうだ」
普段がバタバタと慌ただしい毎日だから、こうして時間が静かに流れている感じはとても癒やされる。
二日目も朝夕の食事と夜のバカ騒ぎ以外は二人でゆっくり過ごした。
パシャパシャパシャ
三日目の朝。
瞬より先に目が覚めたあたしは旅館にある共同の流し台で顔を洗う。
顔を洗う時は硬いものが当たると嫌だから、左手薬指にはめている指輪を外している。無くさないよう流し台の目立つところ指輪を置いた。
「…ふう…」
あまり遅くならないようにすると決めているあたしの都合に合わせて、今日は朝食を済ませたら午前中だけ観光して夕方、帰る予定になっている。
「おはよう、明莉。早いね」
「…優愛ちゃん…おはよう…」
あたしに続いて優愛ちゃんも顔を洗い始める。
「…その…優愛ちゃんは昨夜…したの…?」
瞬とは、社会に出て責任を取れるまでは最後までしないと決めているから、優愛ちゃんはどうなのかが気になってしまう。
「まあね。そっちはまだ、最後までしないんだっけ?」
「…うん…あんなことはもう…二度とごめんだわ…」
「明莉にあの日が来なくなったら問答無用で引っ越しと転校なんて、本当に肝が冷えたわよ」
その一件が落ち着いて以来、あたしたちは骨の髄まで懲りたから、肌を重ねることはあっても最後の一線はお互いに守り続けている。
瞬には我慢させてしまっているけど、あたしも我慢の連続。
それでも抱き合ったりキスしたり、一線を超えない代わりに長く濃厚な夜を過ごしている。
「少し外、歩かない?」
「…うん…行く…」
人と言葉を交わすことに怖さを感じつつも、あたしは恐れずに伝えることを選んだ。
瞬とは何度もすれ違いそうになったけど、すれ違わなくて済んだのも、言葉があるからというのは、なんとも皮肉に思う。
部屋から最愛の人が姿を消していたことに気づいた瞬は、部屋から出て周りを見ると、ちょうど幼馴染と外へ向かっていく最中だった。
「二人きりでなくて、逆に良かったのかもな」
呟いて共同流し台に足を運ぶ。
「ん?」
見覚えのあるものに気づいて、それを手に取る。
苦笑いしつつ、軽くため息をついてポケットに忍ばせた。
「…ただいま…」
「おかえり、明莉」
あれからお母さんは、お父さんと再婚した。
生活に余裕が出てきて笑顔が増えている。
もし再婚せずに、あたしが大学に行くって言ったら、多分もっと負担をかけていたに違いない。
帰ってきたのは日が沈んでからだけど、少し汗ばむ陽気だったから洗面台で顔を洗うことにする。
いつものとおり、指輪を外そうとした瞬間…
「…あれ…?」
ザアっと血の気が引いた。
無い!指輪が無い!?
瞬との絆を象徴する指輪が無い!
部屋に転がり込んでポケットやキャリーバッグをひっくり返して探してみるも、指輪がどこにもない。
「…多分…今朝だ…」
いつもは指輪を外さない。
外す時は寝る時と顔を洗う時とお風呂に入る時くらい。
今朝までは確実にはめていた。
考えられるとすれば、今朝の洗顔時しかない。
…どうしよう…。
瞬はこの指輪がある限り決して離れないって言ってくれたけど、もし無くしたと知られたら、瞬が離れていってしまう。
「え、指輪を無くした?なら別れよう。指輪を渡した時に約束したよな。こんなことになって残念だよ。さようなら」
なんて言われちゃう!!
あたしは急いで旅館に電話をかけた。
『いえ、そのような落とし物は今のところ届けられていません』
必死に食い下がってみるものの、旅館には届けられていないらしい。
「…多分…流し台のところです…ありませんか…?」
『今その流し台にいますけど、当旅館備え付けの物しか見当たらないです』
「…わかり…ました…」
電話を切って、様々な可能性を考える。
流し台の排水口に入ってしまった?
誰かにゴミと思って捨てられてしまった?
いずれにせよ、あるはずのところに無いとなると、もう取り戻すのは難しい。
どうしよう…?
同じものを買って、黙っていよう。
瞬がアルバイトをしてやっと買えたと言ってたから、それほど高いものではないはず。ペアじゃなくて一つだけだから、なんとかなるはず。
「申し訳ございません。その指輪は製造を終了しています」
「…そんな…なんとかなりませんか…?」
「ご希望とあらば何とかしたいと思いますが、メーカーが生産を打ち切っている以上は難しいです」
無くした後、瞬とのデート中は指輪が無いことに気づかれたけど、その日だけ忘れたことにした。
疑われながらも指輪をどこで買ったのかを聞き出せて、そのお店に行って指輪の特徴を伝えたところ、もう入手不可と言われてしまった。
「…そう…ですか…」
こんな時、瞬だったらどうするんだろう。
何が何でも見つけるため、あの旅館に行くんじゃないだろうか。
あたしはお店を出て、駅に足を向ける。
もう、旅館に行って探すしかない。
不安と焦りで、後ろからついてくる人影を気づけずにいた。
駅で路線図を見ていると、交通費だけでもかなりかかってしまう。
往復すると月初なのに小遣いを早くも使い果たしてしまうから、日雇いでもいいからアルバイトを始めることも考えなきゃ。
「明莉」
ふとかけられた声に、あたしはビクッと身を震わせた。
「…瞬…」
振り向くと、今は会いたくない人がいた。
「どこへ行く気だ?」
「…ちょっと…おでかけを…」
「探しに行っても無駄だと思うぞ」
「…無駄なんかじゃない…!あれは瞬との絆…」
言いかけて、あたしは目を見開いてハッと口を抑えた。
「これはやっぱり明莉のだったか」
そう言って、瞬はポケットから見覚えのあるリングを取り出す。
「…あっ…それ…どこに…?」
「旅館の流し台に置き忘れていただろ?」
やっぱり、あの流し台に置き忘れていたんだ。
あの時に優愛ちゃんと話し込んでしまわなければ、忘れず身につけていたはず。
「…やっぱり…流し台に…ごめん…」
「話し合ったよな。隠し事はしないって」
「…うん…でも…指輪を無くしたって知られたら…瞬が離れていっちゃうって…」
「そんなわけないだろ。確かにこれを明莉の意思で手放したら俺は身を引くと言ったけど、俺が嫌になって自分から手放したわけじゃないんだろ?」
「…それは…もちろん…」
「だったら隠さずに言ってくれ。形にこだわって気持ちがすれ違うなんて、一番バカらしいことだ。旅行から帰った後のデートはやけによそよそしくて、密かに傷ついていたんだぞ」
「…それは…ごめんなさい…」
「俺が身を引く条件は、この指輪を手放した時ではなく、明莉の手で俺に返した時へ変えることにするよ。それなら仮に無くしたとしても気がラクだろう」
瞬はあたしの左手を手に取り、薬指にリングを通してくれた。
「悩んでることがあるなら、一緒に考えて乗り越えていこうよ。少なくとも明莉とはそういう関係でありたいと思っている」
言葉で気持ちと本当のことを伝えなかったから、またすれ違ってしまった。
「…でも…瞬は…いいの…?指輪を返したら身を引くなんて…そんなに愛してないんじゃないかと…思っちゃうよ…」
「いいわけない。ただ、気持ちが離れてもなお執着する情けない男にだけはなりたくない。それだけのことだ。だから、隠し事はしないでほしい。それで今回みたいに気持ちがすれ違うのはまっぴらだ」
何も言わないと何も分かってもらえない。
けど言うことを間違えると傷つけてしまう。
何かを伝えるって、伝えると決めるのは、本当に難しい。
これから先、こうしてどれだけ誰かに何かを伝える判断が待っているのだろうか。
怖くても、伝えないまま関係をこじらせたくない。
「…うん…この指輪にかけて誓うわ…もう…瞬に隠し事はしないって…」
あたしは左手の薬指に戻ってきた指輪を右手で覆うようにして、その指に戻ってきた瞬との絆を象徴する感触を噛み締めた。
また、瞬があたしの閉ざしかけた心を開いてくれた。
言葉という、
愛鍵 井守ひろみ @imorihiromi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます