鏡よ鏡! 世界一可愛いのはだぁれ?

ブリル・バーナード

鏡よ鏡! 世界一可愛いのはだぁれ?

 

 八月某日。夏休み真っ只中のもう既にクッソ暑い午前中。

 突然、家のインターホンが鳴った。

 家族は買い物に出かけた。居留守を使おうか一瞬悩んだが、夏休みの宿題を一旦切り上げ、俺は玄関の扉を開けた。

 その瞬間、風鈴のような夏の暑さを吹き飛ばす聞きなれた声が響いた。


「おっはようごっざいま~す! せぇ~んぱい♪」


「……おかけになった番号は……」


「ちょっと! 電話じゃないんですから! しれっと閉めないでください!」


 スゥーッとドアを閉めようとしたら、ガシッと防がれた。ちっ!

 訪問してきたのは水無瀬理沙みなせりさ。同じ高校に通う一つ下の後輩だ。

 まあ、はっきり言って可愛い。小悪魔系後輩。いつも俺を揶揄ってくる。

 見慣れた顔だが、見慣れない私服姿。大きく露出させた肩や短いスカートから覗く素足が夏の太陽よりも眩しい。

 ニヤニヤと楽しそうな笑みを浮かべた顔には一切汗をかいていない。化け物か……。


「どうしたんだ? 和泉いずみは買い物に出かけたぞ?」


 和泉とは俺、かがみ宇海うみの妹で、目の前の後輩の親友だ。和泉と理沙はよく一緒に遊んでいる。

 実はですねぇ、と理沙は言いにくそうに説明を始めた。


「今日、勉強の約束をしていたんですけど、見事にすっぽかされまして……」


「あの馬鹿……! それはすまん。俺からも謝る」


 帰ってきたらお説教しておこう。


「んで、何故勉強相手がいないこの家に?」


「ここに来る途中に連絡が来たんです。せっかくなら先輩……コホン、先輩遊んでいいよって。というわけで、私と遊んでください!」


「帰れ」


「先輩酷い!? 30度を超えるクッソ暑い中、トテトテ歩いてきたんですよ! 先輩は私を殺す気ですかっ!? …………少しだけでいいので休ませてください。暑くて死にそうです」


「……少し涼んでいけ」


「わーい! 先輩大好きー!」


 なんてやっすい告白だ。学校で男子たちに聞かれたら俺は袋叩きにあって殺されるな。

 あまり冷えていないが、外よりは遥かに過ごしやすい室内へ後輩を入れる。

 本人も結構やせ我慢をしていたようだ。玄関前に立っていた彼女の瞳はどこか虚ろだった。

 もしや汗が出ていないのは熱中症の一歩手前だったとか?

 無理すんなよ、まったく。今日も40度近く気温が上がるらしいし。


「いつもの部屋に行っててくれ。そこならクーラーついてるぞ」


「っ!? 愛してます先輩!」


 だから、愛が軽くて安いんだよ。

 理沙は嬉しそうに今まで勉強していた部屋へと消えていった。何度か家に遊びに来たことがある彼女は、部屋の場所をよく知っている。それほどウチは狭いからな。

 俺の家は普通にアパート。一人部屋とか存在しないほど狭い。俺の部屋は妹と兼用。

 勉強机が二つ。タンスや本棚があって、ベッドは大きすぎて部屋には存在しない。俺たちは敷布団で寝ている。

 冷たいスポーツドリンクを用意して、俺はあることに気づいた。


「あっ……布団敷きっぱなしだ」


 飲み物を持って部屋に入ると、タオルケットが大きく盛り上がっていた。


「……おいコラ後輩。俺の布団で何やってる?」


「汗を拭いてます」


「止めろ! って、本当にスリスリしてるじゃないか!」


「ふはははは! マーキングしてやるぅー! 今日の夜、悶々として寝られなくなっちゃえー!」


 マジで止めろ! 本当に悶々として寝られなくなるから!

 というか、二人っきりの状況で男の布団に潜り込むなよ、現役JK! もっと危機意識を持ってくれ。


「水、飲まないのか?」


「口移ししてくれます?」


「……」


「あぁー! 飲んじゃダメ! 本当に飲んでるぅー! 先輩のあほー! けちー!」


 コップに口をつけて少し飲んでみたら効果抜群だった。慌てて俺の手からコップをひったくると、ゴクゴクと一気に飲み干していった。

 …………それ、俺用。理沙の分は別にあったんだけど。


「ぷはっ! おかわり!」


「……どぞ」


「あっ、ありがとうございます」


 二杯目もコクコクと喉を鳴らして飲み干す理沙。余程喉が渇いていたのだろう。嚥下する白い喉が艶めかしい。

 この様子だと、間接キスをしたことに気づいてないな。黙っておこう。

 飲み干したコップを受け取り、もう一度注ぎに戻る。そして、適当に妹の机の上に置いておいた。喉が渇いたら勝手に飲むだろう。


「どーもどーも、先輩。お構いください」


「…………んっ? 今、なんか言葉がおかしくなかったか?」


 俺の聞き間違いだろうか? お構いくださいって言った?

 しかし、後輩は俺の布団の上に女の子座りで得意げに胸を張っていた。胸がポヨンと揺れ、ドヤ顔はムカつくほど可愛らしい。

 …………早く俺の布団から出ろ。


「ふっふ~ん! 日本人らしい謙遜を辞めてみました! 先輩、私、お客様です。構って下さい」


 今から外に放り出してもいいだろうか?


「構いやがれください」


「……」


「……かまえ」


「わかったよ。構えばいいんだろ!」


 やったー、と喜ぶ小悪魔系後輩のかまってちゃん。俺に構ってもらって嬉しいのだろうか? 甚だ疑問だ。


「さて、何をして先輩遊びましょうか」


「もはや誤魔化す気ないな。いっそ清々しいぞ」


「あっ、眠たくなりました。おやすみなさい」


自由フリーダム過ぎるっ!?」


 もぞもぞとタオルケットを纏って、布団にポフンと倒れこんだ。横を向いてゴシゴシと枕に顔を擦り付けた彼女は、良いポジションを見つけたのだろう。心地良さそうに頬が緩んだ。

 全身にタオルケットを纏うのは暑いようだ。足を出しているのだが、大きく露出して美脚が全開。肉付きの良い太ももが色っぽい。少し位置を変えれば、スカートの中が見えてしまいそうだ。


「先輩、んっ!」


 理沙はポンポンと自分の隣を叩く。

 隣に寝て欲しいのか? 寝ないぞ、俺は。

 動かない俺に業を煮やしたのか、ムッと顔をしかめて隣をバンバン叩く。

 仕方がない。近くに寄ってやろう。

 近寄るので正解だったようだ。満足げな理沙は、今度は細くて綺麗な手を伸ばす。


「て!」


「テ?」


「先輩、手! おてて! 寝るまで握っててください!」


「子供かっ!?」


「まだ未成年の子供ですが何か? 昨日、楽しみ過ぎて寝られなかったんですよ」


「遠足前の小学生かっ!?」


「と、ツッコミつつも、さりげなく手を握ってくれる先輩優しい! 好き!」


 あーはいはい。そうですかそうですか。俺も好きだぞー(棒読み)

 嬉しそうな理沙は、大きくてごつごつしてる、と言いながら俺の手を両手で握りしめると、手の甲に頬ずりしたり、鼻にスリスリしたり、最終的には胸に抱きかかえるように丸くなった。


「あのな……! 今更なんだが、普通男がいる家に上がり込んで、二人っきりの状態で男の布団で寝るか? 好きとか愛してるとか軽々しく言いやがって!」


「弄りがいのある先輩にしか言いませんもーん!」


「やめろ!」


「いいじゃないですか。それに、先輩のお布団はとっても眠たくなるんです。ふぁ~あ……」


「そんなわけないだろ!」


「じゃあ、今度私の家に来て、ベッドに寝てみてくださいよ。私の気持ちがわかると思います」


 い、いや、流石にそれはダメだと思う。

 現役の女子高校生で、後輩で、妹の親友のベッドに寝る? 犯罪じゃね?


「決めました。今度絶対に引きずり込んでやります!」


「……勘弁してくれ」


 むっふー、と鼻息荒く決意した後輩。げんなりとした俺の顔を見てクスクスと笑い始めた。

 布団で寝る後輩。それを見守る俺。手を繋いだ俺たち。

 奇妙な状況で恥ずかしくて気まずくて、でも、何故か安心して心地良い。

 俺たちは手を握り続けている。

 トロ~ンと蕩けて眠そうになった理沙が、半分目を閉じた状態で俺を見上げていた。


「……先輩」


「ん? どした?」


「呼んでみただけです、宇海ちゃん先輩」


「宇海ちゃん言うな!」


「じゃあ、鏡先輩」


 えへへ、とへにゃりと相好を崩した理沙は、猫のように俺の手に頬ずりして目を閉じた。安心しきって幸せそうに緩んだ表情。余りにも可愛くて、俺は何も言うことが出来なかった。


「子守歌を歌ってください」


「嫌だ」


「では、いつも通りつまらない話をして私を安らかな眠りへと誘ってください」


「……ちょっと待て。俺の話っていつもつまらないのか?」


 つまらない? 眠くなるほど?

 ちょっとショック。いや、とてもショックだ。そう思われていたなんて凹んでしまう。

 ガックリと肩を落とした俺に対し、眠そうな理沙はケラケラ笑った。


「えへへ、じょ~だんですっ。私、先輩の声が好きなんですよ……リラックスできるというか、ずっと聞いていたいというか。喉からマイナスイオン出してます? f分の1揺らぎ?」


「さっさと寝ろ」


「ふぁ~い」


 ニギニギされているのは俺の左手。右手は自由だ。

 子猫を愛でるように頭を優しく撫でてあげると、とても気持ちよさそうだった。

 美しい黒髪がサラサラで撫で心地が良い。この甘い香りはシャンプーの匂いだろうか? それとも、理沙の匂い?

 彼女の意識がなくなる前に、一言忠告しておこう。脅しだ脅し。勝手に男の布団に潜り込んだ罰。


「寝込みを襲われても文句を言うなよ」


「……言いませんよ。言うわけないじゃないですか」


「……」


 その返答は予測していなかった。

 今の心境は、ビビらせるために高めのボールを投げたら、上手く打ち返されてホームランになった感じ?

 ……例えがわかりづらいか。俺自身もよくわからない。

 どうやら思った以上に動揺しているらしい。


「……好きにしてください」


 そう言うと、理沙は目を閉じて黙り込んだ。

 俺が動揺から立ち直った時には、規則正しい寝息を立てている後輩の寝姿があった。

 初めて見る彼女の寝顔。安心しきったその寝顔は、いつもよりも幼く思えた。

 スゥースゥーと吐く寝息も気持ちよさそうだ。


「……気持ちよさそうに寝やがって」


 呆れた声を出したつもりだったのだが、仕方がないなぁ、という感情が滲んでいた。


 ―――これも惚れた弱みか。


 好きにしろって言ってたよな。

 寝顔の写真を撮ってやろうか? それとも、タオルケットからはみ出ている美脚を触ってやろうか?

 ムクムクと悪戯心が湧きだしてきたが、結局は止めておいた。

 こんなことで彼女の信頼を失いたくない。

 でも、これくらいなら許されるはず。

 俺は右手を伸ばし、気持ちよさそうに寝ている後輩の頬を人差し指でツンツンと突いた。


「……おぉ。なんというモチ肌」


 ずっと突いていたくなる柔らかさ。モッチモチのスベスベ。これは癖になりそう。

 気が付いたら夢中でツンツンしていた。


「っ!?」


「うみゅ~……」


 むにゃむにゃと寝返りを打って仰向けになった理沙。

 大丈夫だよね? 気づいてない……よね?

 良かった。起きてない。まだ眠っている。危ない危ない。

 もう少し慎重にツンツンしなければ。

 繋いだ手は離そうと思えば離せる。でも、俺は繋いでいたかったので離さない。

 ゆっくりと手を伸ばし、彼女を起こさないように再び頬をツンツン。


「無防備すぎるぞ、理沙」


「スゥースゥー」


「わかってるのか? 俺はいつも大変なんだぞ」


「あぅ~……」


 ぷにっと痛くないように頬を摘まんでみた。だらしなく緩んだ口から可愛らしい声が漏れた。

 本当に仕方がない奴だな。


「―――まったく、可愛すぎるだろ」


「ですよねー!?」


「うわぉっ!?」


 突然、寝ていたはずの理沙が飛び起きた。

 俺はあまりに驚きすぎて身体が固まっていた。だけど、心臓はバクバク。

 硬直したまま目を見開いて、飛び起きた後輩を眺めていたことだろう。


「デレた! 鏡先輩がデレましたっ! 私、聞いちゃったぁ~!」


 眠気など感じさせないパッチリと開かれた綺麗な瞳。だらしなく緩んだ口もどこかへと吹き飛び、楽しそうにニヤニヤと笑みを浮かべている。

 超ご機嫌な後輩が目の前にいた。


「ね、寝たふりをしてたのかっ!?」


「半分正解です。寝てたんですけど、頬をツンツンされて起きました。それよりも、鏡先輩! 今、私のことを世界一可愛いって言いましたよね!?」


 むふふ、といやらしい笑い声を漏らした理沙。揶揄いの楽しさ、そして嬉しさや照れを滲ませた花のような笑みだ。


「…………言ってねぇし」


 騙された俺は仏頂面でぶっきらぼうに答えた。

 やられた。寝たふりくらいコイツならするよな。もう少し警戒しておくべきだった。

 俺、変なこと言ってないよな? 最後のやつ以外。


「私はこの耳でちゃんと聞きました! 先輩は私のことをちゃ~んと世界一可愛いって思っていてくれたんですね! 知ってました!」


 くっ! 後輩の顔が眩しくキラッキラと輝いている。

 今までで一番うざい。うざ可愛い。


「……うるさい。だから言ってないし」


 あまりにもうるさいので、後輩に背を向けた。

 すると、軽い衝撃を感じて、背中が優しい温もりと心地よい柔らかさで包まれた。甘い香りも漂ってくる。

 抱きついてきた理沙の甘い声が耳元で囁かれる。


「世界一までは言っていませんでしたけど、可愛い過ぎるって言いましたよね? ねぇ先輩!」


「……言ってない」


「言ってました! 『いつも大変』とか、『お前のことが好きなんだ』とか聞きましたもん!」


「ちょっと待て! 好きとは言ってないぞ、俺は!」


「じゃあ、なんて言ったんですか? 教えてください」


 くっ! 絶対に言うもんか! 甘く囁かれても絶対に言わないぞ!


「ほらほら! 白状したら楽になりますよ! もう一度言ってくれたらハグ……はもうしてますね。では、愛しい後輩の満面の笑みを見せてあげましょう! 告白もいつでもウェルカムで~す! さあどうぞ!」


「絶対に言うもんかぁああああああ!」


 もう既に満面の笑みを浮かべているであろう後輩の顔は俺は見ない。背後から抱きつかれて至近距離にある顔を視界に入れない。

 可愛いだなんて言うんじゃなかった! 俺の馬鹿!

 小悪魔系後輩は背中から楽しそうに催促。

 俺はどんな手を使われても絶対に喋らないと固く心に誓った。





 しかし、その後輩が天使のような笑みを浮かべて超ご機嫌になるのは五分後のことだった……。



<完結>

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