第8話 「元気ですよっ」 拳をぐっと握りしめた。
次の日の放課後。
「ららちゃん一昨日お泊りして昨日も遅くまでいたもんね~」
「そうだな」
話を聞いた真莉愛ちゃんは安心したようで、少し心配そうだったものの帰って行った。
その後麗と琴羽も帰ったが、すっかり夕方になってしまっていたのだ。
まだ明るいうちに帰って行ったが、やはりまだ
なので今日はすぐに家に帰ると言っていた。
電車にしばらく揺られ、病院まで歩いていく。
目的の病室に着き、静かに扉をノックした。
「はい」
みゆの返事が聞こえたのを確認してから扉を開ける。
みゆはテレビを見ながらゆっくりしていたようだ。
「お兄ちゃんと琴羽さん」
「みっちゃんおはよ~」
「体調はどうだ?」
「おはようございます! 元気ですよっ」
そう言いながら胸の前でぐっと両手の拳を握りしめて見せる。
俺も琴羽も微笑んでから、近くに椅子を用意して腰を下ろした。
「麗さんは……」
「妹たちが心配するから今日は家にいるって」
「たくさん迷惑を掛けてしまいました……」
「そう言うと思ってけど、麗はあたしが勝手にやってることだから気にしないでって言ってたぞ」
「それでも、今度お礼をします」
みゆらしい答えだった。
その答えを聞いた琴羽はなんだか嬉しそうに頷いて、
「ホント
なんて言っている。
「そ、そうでしょうか……」
「似てる似てる」
「
みゆは俺のことを恐る恐る上目遣いで見てくる。
やはり、心優のことを少なからず気にしているのだろうか。
色々思うところはあるが、似ているか似ていないかで言われればかなり似ている。
利き手が違うとか、癖が違うとか、そういう細かいところは当然心優とは異なる。
だけど、性格はまさに心優そのものだった。
「よく似てるよ」
「そ、そうですかっ……」
なんだか嬉しそうにもじもじしながら俯いているが、顔がにやけているのが見えている。
思わず琴羽と顔を見合わせ、俺たちもついつい笑みがこぼれる。
「みっちゃん、今日はみかんだよ〜」
「わっ、ありがとうございますっ」
左手にみかんを持って、みゆは綺麗に皮を剥いていく。
これも心優とは手が逆だ。
皮を剥き終えたら、それをはむっと口に放り込む。
みゆは嬉しそうに左手を頬に添えた。
「…………」
前見たときは家で夕飯を食べている時だった。
あの時は左手に箸を持っていたから大きく違和感があったのだろうが、今回は左手には何も持っていない。
何も疑問に思うことはなかったようで、みゆはその後も左手で頬をおさえたりしながらみかんを食べた。
「あれ?」
「どうしたのみっちゃん?」
「……いえ、なんでもありません」
最後まで食べ終えたところで、みゆは左手を見つめた。
どうしてそんなことをしているのか気づいたのだろう。
「あの……」
しかし左手を見つめているのもすぐにやめ、みゆは姿勢を正してから真剣な表情でこちらを見つめてくる。
琴羽の方もじっと見つめた後、再びこちらに視線を移して意を決したように口を開いた。
「心優さんのこと、知りたいです」
度重なる違和感に、我慢ができなくなったのだろうか。
俺としては、みゆはみゆなのであまり気にしないでいてほしい。
それがまた、ストレスになるかもしれないと思うからだ。
しかし、みゆの目はどこまでも真剣で、知りたいという思いがとてもよく伝わってくる。
そんなみゆに、こちらの都合ばかりを押し付けるわけにもいかない。
「わかった……」
琴羽もいることだし、ちょうどよかったかもしれない。
「
話し始めた俺を真剣な眼差しで見つめながら、みゆはコクリと頷いている。
「二歳年上の兄がいて、それが俺、神城
「っ……!」
両親が亡くなったことを言うと、みゆは肩をぴくりと震わせた。
「その時、琴羽にすごく支えてもらって助けられたんだ」
「琴羽さんに……」
「いやぁ……あの時は私も必死だったよぉ〜」
どう声を掛けてよかったのか、あれでよかったのかと後に琴羽は言った。
でも、俺たちは十分に救われた。
それどころではない。
琴羽がいなかったらダメになっていたと思う。
琴羽はそれだけのことを俺に、俺たちにしてくれたんだ。
だからこそ、俺は琴羽のことを命の恩人だと思っている。
「そして、昨日来てたのは
「まりぃちゃん……」
「親友と呼べる関係だったと思うよ」
「昨日の反応を見ればそれはまぁ……」
真莉愛ちゃんの心配具合は相当なものだったし、普段から見ていても心優のことをすごく信頼していたこともわかる。
「俺の友達に
「何をしたんですか?」
「姫川さんには、麗と一緒に料理を教えたんだ」
あの時は姫川さんのあまりの料理音痴にみんな驚いていたもんだ。
それでも
「そんなことしたんですねっ。千垣さんとは何をしたんですか?」
「千垣は……」
ことの顛末を、琴羽は一応知っている。
でも、麗本人の口からは聞いていないはずだ。
それに、本来の心優は、俺と麗が付き合っていることを知らないし、何が起こったのかもまったくわからないだろう。
それを麗の許可なしに話していいものか。
「また今度にしてもらってもいいか?」
「……? はい」
麗の許可が出たら、いや、許可を出すくらいなら本人が話すだろう。
「みゆ、どうかしたか?」
「あの……」
俺が悩んでいると、みゆも何かを考えているように真剣な表情をしていた。
問いかけた後もみゆは真剣な表情で言おうか言わないか悩んでいる様子だ。
俺は、みゆが話し始めるまでじっと待った。
琴羽は今もなお、優しい表情で俺たちのことを見守ってくれている。
「姫川さんと、千垣さんに会ってみたいです」
「姫川さんと千垣に……?」
みゆは、自分から昔の記憶に触れようとしている。
記憶を取り戻そうとしているんだ。
「わかった。聞いてみる」
「その時、みなさんにもいてほしいです……。ダメですか……?」
みゆは恐る恐る俺と琴羽を交互に見る。
「私はもちろんいいよっ」
「俺も一緒にいるよ。麗にも頼んでみる」
「はいっ! ありがとうございます!」
どこか、記憶を取り戻せるという気がしているのかもしれない。
俺たちのわからないことも、本人にはわかることがあるはずだ。
俺にも、みゆが記憶を失くす前の出来事に触れて、少しでも思い出しているんじゃないかということはわかる。
それでも記憶が戻るには至っていない。
姫川さんや千垣と会って、何か変化が起こるかもしれない。
みゆはきっと、その何かを求めている。
でも、それと同時に思うこともある。
|み(・)|ゆ(・)は本当にそれでいいのだろうか。
みゆはみゆであって心優ではない。
医者は今のみゆの記憶は失くなるだろうと言った。
つまりそれは、みゆがいなくなるということだ。
「なんだかちょっと楽しみですっ」
「まだ決まったわけじゃないぞ」
俺はそう言いながら微笑む。
きっと、ぎこちなかったんじゃないかと思う。
「じゃあ、俺たちは帰るな」
「もう帰っちゃうんですか……?」
「明日には退院だし、心配するなよ」
「あっ……」
俺はみゆの頭を優しく撫でる。
みゆが、そうしたいというなら。
みゆが、それでいいというなら。
俺は可能な限り叶えてあげたい。
だって俺は、みゆと心優の、唯一の家族であり、たった一人の……兄なのだから。
※※※
帰り道。
琴羽とは当然一緒に帰る。
しかしその間、俺たちに会話はなかった。
二人で無言のまま、電車に揺られていく。
「なぁ、琴羽……」
「なに……?」
沈黙の理由はわかっていた。
琴羽は俺が話すのを待っていたんだ。
これは、俺の方から話さなければいけない。
「心優の記憶が戻ったら、みゆはどうなるんだろうな……」
「そうは言うけどさ……」
「ん……?」
「逆はすでに起こってるんだよ……?」
確かにその通りだ。
みゆはいるけど、心優はいない。
もし記憶が戻れば、心優はいるけどみゆがいなくなる。
「俺に、選ぶことはできないな」
「なら、みゆちゃんに選ばせてあげよ……?」
「そう……だな……」
俺はダメなやつだな……。
まったく何も考えれていない。
「琴羽はすごいな」
「えっ?」
「本当に、すごいやつだよ」
もう尊敬する以外に言葉が思いつかないほどだ。
俺はまた、琴羽に救われているんだなということを強く感じる。
「もし……」
「ん?」
琴羽がチラッとこちらを見て、なんだかもじもじとする。
「もしさ、私が困ってたら……助けてくれる?」
どことなく不安そうに俺のことを見てくる琴羽。
琴羽がこんなことを言うってことは、きっとその悩みというのはもうあるんだろう。
そうであっても、そうでなくても、俺の答えは変わらない。
「当たり前だろ?」
「よかった」
俺はいつでも聞くよと心の中で追加しておく。
たぶん、琴羽は俺が気づいているのを知っている。
それでも話さないというのなら、俺はその時が来るまでじっと待ち続けることにしようと思う。
「落ち着いたら話すね」
「お、おう……?」
少し頬を染めた琴羽だったが、こんな表情はなんだか新鮮だった。
でもなんだろう……どこかで見たような……。
「康ちゃんはキューピッドだもんね……」
「キューピッド?」
「頼むぜ……」
「何が?」
「こっちの話!」
「あ、おい!」
ちょうど駅に着き、電車の扉が開いた。
すぐに琴羽が電車を降りて歩いて行ってしまう。
「何なんだ……?」
俺はさっぱり意味がわからなかったが、とりあえず琴羽の後を追った。
俺も同じ方向に家あるし。
まぁ、琴羽の話はそのうち聞くことになるだろう。
今は、今やるべきことを……。
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