第5話 「う~ん……?」 ゆっくりと体を起こす。

「う~ん……?」


 心優みゆがゆっくりと体を起こす。


 目を擦りながらキョロキョロと見回し、きょとんとする。


「ここは……?」

「病院だよ」


 俺がそう答えると、心優はこちらを見る。

 しばらく見つめ合い、しばらくすると布団を掻きよせ、自らを守るように抱きしめた。


「だ、誰ですかっ?」

「えっ……」


 頭が回ってきたらしいうらら琴羽ことはも心優が起きていることに気づいたようで、驚いた声を上げる。


「心優ちゃん!」「みっちゃん!」

「み、みなさん誰ですかっ? ここは……どこですか……?」


 その心優の反応に、俺はすべてを察した。



※※※



「すべての記憶が無くなっているようですね」


 医者はそう言う。

 言語や知識などの記憶はなんの問題もないようだが、自分は誰なのか、家族や友達は? それらのことをすべて忘れているらしい。

 家も忘れているだろうし、学校のことも憶えてないだろうとのこと。


 俺はショックを隠しきれなかった。

 心優の記憶が無くなったなんて現実、俺はどう受け入れたらいいのか。


康太こうた

「麗……?」

「しっかりしなさい。心優ちゃんの家族は、あんただけなのよ」


 そうだ。

 俺が、心優のことを助けなければ、誰が心優のことを……。


「あたしたちも力になる」

「私もだよ、こうちゃん」


 そうだ。

 心優は生きている。


 心優は、生きているんだ。


「ありがとう、二人とも」



※※※



 もうしばらくは検査のために入院ということになり、検査が終わってから何もないようなら退院になるらしい。

 その時、本来の心優ではないから、戸惑うことも多いだろうと言われた。


 でも、ちゃんと受け入れて、見てあげてほしいと。

 俺は実感が湧かなかったが、記憶が無くなっても心優は心優だろうと思った。


 とりあえず今は、心優は検査。

 俺たちは帰宅をするということになった。


 学校には連絡しておき、午後から授業を受けた。

 もちろん麗と琴羽も一緒だ。


 真也しんやさんにも話はしておいた。


「午後からなんて変な感じ」

「たしかにな」


 琴羽の言う通りで、これから学校に行くなんて変な感じだ。

 午前だけということはあったりするかもしれないが、午後からだけなんてなかなかない体験だ。


 教室に入ると、祐介ゆうすけ姫川ひめかわさんが駆け寄ってきてくれた。

 千垣ちがきも俺の席に座っていて心配してくれた。


 俺たちは事情を話し、とりあえず心優は無事だと言った。


「それはよかったな……」

「うん。ありがとう」


 みんなにそう言われ、改めて心優の無事を実感した。

 本当によかった。

 もう二度と会えなくなってしまうのかと思ってしまっていたから。


 心優が起き上がった時、どれほど嬉しかっただろうか。

 記憶は無くなってしまったのかもしれないが、心優は心優だ。


 そうして普通にその時を過ごした。

 次の日には俺が弁当を作って持っていき、そのまま平日は普通に学校生活を送る。


 そして休日には、心優のお見舞いに行くことになった。



※※※



 しばらくお見舞いには行けなかったので、検査後久々のお見舞いだった。

 今日は俺だけで、なんだか少し寂しかった。


 検査前から変わることのない、心優の病室になっている402号室にノックをしてから入る。


「心優」

「あ……」


 ベッドに座ってテレビを見ていたらしい心優に声を掛ける。

 心優は俺だと気づくと、テレビを消して笑顔をこちらに向けた。


 その笑顔に俺は少し違和感を覚えたが、気のせいだろう。

 持ってきたものをテーブルの上に置く。


「心優の好きなリンゴだ」

「あ、ありがとう……ございます……」

「そんなにかしこまらなくても……」


 なんだか他人行儀なので、変な感じがする。


「えっと、康太さん……」

「…………」

「あの……」

「あ、なに?」


 心優はとても言いにくそうにしながら、困ったように笑顔を浮かべる。


は、リンゴが好きだったんですか……?」

「っ……」


 心優さんは……?


 心優はだって……自分のことで……あれ……?


 答えられなかった俺に、申し訳なさそうな顔をした心優は、「リンゴいただきます」と言ってでリンゴを取った。


「おいしっ」


 そう喜んでいる様子はまさに心優だったが、心優は右利きだ。

 そしておいしいものを食べた時は空いているで頬を抑える癖がある。

 そのはずなのに、心優は左手でリンゴを食べ、右手はおとなしくベッドの上だ。


 そのすべてに俺は違和感を覚えずにはいられなかった。


「えっと……。検査は大丈夫だったんだな……?」

「あ、はい。大丈夫でした……」


 ずっと他人行儀だ。

 人見知りもあまりしないはずの心優が、話しづらそうにチラチラとこちらの様子を窺いながら話している。


「そ、そっか……。ならよかった……」

「はい」


 心優はそう頷くと、再びリンゴに手を伸ばした。

 おいしいと言って喜んでいる姿は、まさに心優だったのだが……。


「体調も大丈夫か……?」

「はい……。問題ないです」


 再び俺が質問をすると、曖昧に微笑みながら心優は答える。

 その様子は、今までの心優からはとても考えられないものだった。


「えっと……。月曜には退院ってことになってるから……。明日、また来るな」

「わかりました」

「……それじゃ、また……」

「はい……」


 俺も最後にはぎこちなくなってしまい、そのまま病室を後にした。


 帰りながら心優のことを考える。

 呼び方が違ったり、利き手が変わったりと、俺の中では違和感の塊だった。


 今の心優は、心優だけど心優じゃない……。

 そんな現実が俺に襲い掛かる。


「また、逃げようとしてる……」


 俺は頭を振った。

 俺にできることはあるはずだ。

 心優は幸い元気なんだ。


 記憶がないだけ……。

 俺にできることは……。



※※※



 次の日。

 今日は日曜日で、明日には心優が退院だ。

 そんな今日は麗と一緒に心優の下へ向かう。


 家の位置関係的に現地集合になった。

 病院の近くに麗は立って待っていた。


「悪い。待たせた」

「いいわよ。ほら、行こ」


 麗はそう言って微笑んでくれた。


 受付を抜けて402号室に向かう。

 扉をノックすると、すぐに返事があった。


「康太さん、麗さん」

「こんにちは、心優ちゃん」


 昨日、夕方頃に琴羽と一緒に来たらしい麗は、心優も面識がある。

 それに、目覚めた初日も一緒にいたからな。


「それにしても、康太さんって……やっぱり記憶がないのね」

「ごめんなさい……」

「いや、心優が謝ることじゃないよ」


 麗曰く、そこまで違和感はなかったらしい。

 最初のうちはもちろんぎこちなかったのだが、話しているうちにだんだんいつもの心優だと思うようになっていったのだとか。

 琴羽はさすがに長い付き合いなので、違和感はあったらしいが、それでも接している分にはいつもの心優と大差はなかったと言っていた。

 敬語なのは抜きにして……。


「えっと、記憶を失う前は、何て呼ばれてましたか……?」

「康太様だな」

「適当なこと言わないの」

「あいたっ」


 麗といると落ち着いて会話することができて、昨日の不安も薄れていく。


「お兄ちゃんって呼ばれてたな」

「お、お兄ちゃん……」

「おう」


 少し恥ずかしそうにそう呼ぶ心優は、身内に贔屓を除いてもかわいらしい。


「その……」


 なぜかその後心優は、言いにくそうにもじもじとしている。


「どうした?」

「お兄ちゃんと麗さんは、仲良しさんですね……?」

「実は付き合ってるんだ」

「そうなんですね……! 納得です……!」


 心優はパーっと笑顔になると、なにやら嬉しそうにコクコクと頷いた。

 記憶がなくてもこういう話は好きらしい。


 というか、麗と付き合い始めた話は記憶を失う前の心優にはしていない話だったな。


「はい、心優ちゃん。今日もリンゴでごめんね」

「そんなことないです! おいしいですから……」

「そう? ならよかった」


 そう言って麗は優しく微笑む。

 こうしてみるとたしかにいつも通りに見える。

 しかし……。


「食べてもいいですか……?」

「もちろん」

「では……いただきます」


 左手でリンゴを掴んで食べる姿はどうも見慣れない。


「康太、どうかした?」

「あ、いや……なんでもない」

「そう?」


 しかしまぁ、心優の怪我はなんてことないし、記憶に関しても普通に暮らしていけそうだし問題はなさそうだ。

 それを見ることができて安心した。

 麗にも懐いてるようだし、聞く限り琴羽とも大丈夫みたいだし。


 しばらく雑談を続けていても、俺とも普通に会話してくれた。

 ところどころ違和感があるのは当然だが、これくらい仕方のないことだろうと割り切ることができる。


「じゃあ、明日迎えに来るからな。学校休むことになるけど許してくれよ?」

「わたしのために休んでくれてるですから、そんなことで怒れませんっ!」

「ならよかった」


 なんだか敬語で話している心優に慣れてきた頃、俺たちはそろそろということで帰宅することにした。

 午後から琴羽が来ると言っていたので、それを伝えて俺と麗は病室を出る。

 そして二人で駅までの道を歩いた。


「康太、大丈夫?」

「大丈夫。敬語なのがちょっとつらいけど、話し方は心優そのものだったし……」


 俺と琴羽はもちろんのこと、麗にも敬語を使っていなかった心優。

 しかし、やはり人間関係が一旦リセットされているので、敬語は抜けないようだ。


 それでも、話している限り、敬語であることを除けば心優そのものだった。


「あたしも同感だけど、家に帰ると違うかもしれないわよ?」

「…………」

「現に心優ちゃん、左手でリンゴ食べてるし……」

「それは俺が慣れるよ」


 麗も気づいていたようで、心配そうに見つめてくれる。


 それでも心優は悪くないんだからと、俺が頑張るしかないところだろう。


「一番つらいのは心優だって……わかったから……」


 昨日、考えて考えて……そうして思ったのだ。

 もし、自分が記憶を失った時、この人が兄だと、その彼女だと、幼馴染がいると教えてもらっても。

 それはただただ困るのではないかと。


 だからこそ、姫川ひめかわさんと千垣ちがきには、お見舞いには悪いけど来ないで欲しいと告げてある。

 目が覚めた時にいた俺と麗と琴羽だけにしている。

 もちろん真也しんやさんもお見舞いには来ていない。


 そしてさらに考えた。

 自分が何も知らないところに突然置かれるのは、どういうことかと。


 考えただけでもつらかった。

 だって、自分は相手のことを知らないのに、相手は自分の知らない自分を知っているのだ。

 心優は心優だけど、心優ではないのだ。


 だからこそ俺は、心優を支えていかなければいけない。

 少しずつでいい。少しずつでいいから、心優を……今のみゆを受け入れてあげなければいけない。

 たとえ心優と違っても、みゆは心優であり、みゆなのだから。


「そう……」


 麗は静かにそう頷いた。


「麗と琴羽が怒ってくれなきゃ、こんなことにも気づかなかった。本当にありがとう」

「康太……」


 昨日、また俺は考え込んでしまっていた。

 みゆと会って、違和感を覚えてずっと……。


 でも、俺にもできることはあるんだと、麗と琴羽はそう教えてくれたから。

 だからこそ俺は、自分にできることをする。


「またごはん食べなくなったらどうしようかと思った……」

「心優の体は無事なんだし、あそこまで怒られてそれはもうできないよ……」


 俺は大丈夫。

 たしかに違和感に襲われ苦しむことはあるだろう。

 でも、みゆがいる。

 麗も琴羽もみんないる。


 記憶が戻ってくる可能性はあるのだし、もし戻らなくてもみゆはみゆ。

 俺はもう、大丈夫だ。


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【お願い】

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執筆が捗ります(*´ω`*)

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