第3話 「例の空き教室に来るといい……」 それだけ言うと去って行った。

 準備を終えた俺たちは、それぞれ椅子に座って手を合わせる。


「いただきます」


 俺にとっては久しぶりの食事だった。

 とても、温かく、愛おしい。


康太こうた、学校には行かなきゃダメよ?」

「ああ、そうだな」


 最初は気づかなかったが、うらら琴羽ことはも制服だった。

 わざわざ早く起きて俺のところに来てくれていたらしい。

 麗の方は家も近くじゃないし、特に。


 その事実がとてつもなく嬉しかった。


「みっちゃんに怒られちゃうもんねっ」

心優みゆに怒られるのは嫌だな」


 心優が目覚めた時、俺が学校をサボっていたなんて知ったらそれは怒るだろう。

 それと同時に感謝もするのが心優なんだろうけどな。


 ごはんを食べ終えると、片付けは麗と琴羽がしてくれると言った。

 俺も手伝うという言葉に、二人はいいから早く着替えて準備してこいと。

 その笑顔を見て、俺は一人じゃなくてよかったと思った。


 一人だったらどうなっていたか、もう、わからない状況まで陥っていたから。

 こうして心配してくれて、支えてくれる人がいることの大切さ、嬉しさや喜びを忘れてしまっていた。

 あの時は真也しんやさんたちや琴羽が助けてくれた。

 今は麗もいる。

 いや、たぶんそれだけじゃない。


「康太まだ~? 遅刻しちゃうわよ~?」

「やべ」


 扉の向こうから麗に声を掛けられる。

 俺は急いで準備をして、みんなで家を出た。

 しっかりと鍵を閉めていく。


 一日サボっただけの学校だったが、ひどく久しぶりな感じがした。

 駅に着くと、すぐに電車がやってくる。

 いつも乗っている時間の電車だ。


 俺たちは空いていた向かい合う形の席に座る。

 窓際に麗が乗ったので、その隣に俺は座る。

 向かいは琴羽が座った。


「今日はあたしがお弁当作ったわ」


 そう言いながら麗はこちらにウインクをしてきた。

 そういえば、昨日俺が弁当を作って持っていくという話になっていたんだっけ。


「明日こそ、俺が作るよ」


 そう言うと、麗と琴羽は優しく微笑んでくれた。

 そのまま二人と他愛のない会話をしていると、踊咲高校前おどりさきこうこうまえ駅に着いた。


 ここもなんだか久々な気がした。

 むしろ、もっと病室に行っているような感覚があった。

 昔の記憶と混同しているのだろうか。


 玄関で靴を履き替え、教室に向かう。

 教室に入ると、すでにほとんどの生徒がいた。

 時間的にいつも通りという感じだ。


 祐介ゆうすけももちろんいて、姫川ひめかわさんと話していた。

 俺はその後に自分の席を見ると、このクラスではない人物が座っていた。


神城かみしろおはよう……」

千垣ちがき……。おはよう」

「うん……」


 一旦鞄を置いてから麗と琴羽が俺の隣にやってきた。

 二人ともどうして千垣がここにいるのかといった顔をしている。


 千垣はそんな二人を交互に見て、最後に俺を見る。

 そして、なにやら満足げに頷くと、口を開いた。


「昼休み、ご飯食べ終えたら例の空き教室に来るといい……」


 それだけ言うと、俺たちが呼び止める間もなく千垣は教室を出て行った。


 俺は、麗と琴羽と顔を見合わせ、首を傾げてから席に着いた。

 それからどうしたんだろうとか話しているうちに先生が教室にやってきて、ホームルームが始まった。

 ホームルーム後、先生にちょっと廊下に来るよう呼び出され、事情を少し聞かれた。


 俺は眠り続ける心優のことを思い出し、ちょっとつらくなったが今はもう大丈夫だ。

 俺は心優が目覚めた時のためにしっかりとしていないといけない。


 麗や琴羽も心配してしまう。

 そんなことにはもうならないようにしないと。


 そうして授業が始まった。

 授業もなんだか久々な感じだったが、なんだかいつもより集中できた気がする。

 時折麗や琴羽がこちらを見てくれていることに気づいた。

 それも一限と二限くらいで、後はちらちらと見ることはなくなった。


 本当に二人には感謝しかない。

 そんなことを思いつつ、昼休みを迎えた。



※※※



 俺は、麗と琴羽と一緒に千垣が待つ例の空き教室に向かう。


 しかし、いつもとは違って、空き教室に近づいてもギターの音は聞こえなかった。

 本当にここにいるのだろうか。


 俺たちは不思議に思いつつも、空き教室の扉を開けた。

 すると教室の奥、窓際の方に千垣がギターを持って立っていた。

 千垣は、伊達眼鏡を人差し指の第一関節と第二関節の間でクイっと掛け直すと、


「そこに座って……」


 と三つ並べられた椅子を指した。

 俺たちは言われた通りに着席する。


 右隣りに麗、左隣に琴羽が座った。


「わざわざ来てくれてありがとう……」


 そう言って千垣はペコリと一礼した。


「今日は聞いて欲しい曲があるんだ……。私が作詞作曲した曲……」


 誰かの驚いた声がする。

 俺もたぶん、声を上げたと思う。


紗夜さよちゃん作詞とかもできたの……?」

「いや、初めてやった……」


 麗の質問に、千垣は少し照れながら答えた。

 俺たちは思わずすごいと呟くほどだった。


「それじゃあ聞いてください……。曇り空が晴れたなら……」


 ギターを軽く叩いてリズムを取ってからギターを鳴らす。

 静かな始まりで、聞いていると知らないどこか遠くの道を歩いているような感覚に陥る。


 綺麗な音色に、千垣の透き通った声が乗った。


『暗い闇に閉ざされて 僕は一人泣いていた

 自分は何もできないと ただただ立ち止まっていた』


 言葉がストンと俺の心に落ちてくる。

 俺は心優に何もしてあげることができず、一人で塞ぎ込んでいた。


『差し伸べられた手を払い それでもダメだと首を振る

 そうじゃないよと君の手は 僕を光に引っ張った』


 心配してくれた麗や琴羽の手を、俺は気づかないうちに払っていた。

 俺にはできることはないんだと。

 それでも、麗と琴羽は俺に手を差し伸べてくれて、引っ張ってくれたんだ。


『曇り空が晴れたなら

 世界は光に照らされて 君は一人じゃないんだと

 笑顔で迎えてくれたんだ

 曇り空が晴れたなら

 心が青く澄み渡り 希望はそこにあるのだと

 笑顔で答えてみせたんだ』


 その瞬間、俺の心が晴れて、二人は笑顔で迎えてくれた。

 俺にもできることはあるんだとそう気づかせてくれた。

 ただただ立ち止まるだけじゃなく、前を向いて歩くことを教えてくれた。


 だから俺は今、俺にできることを精一杯に。

 一生懸命にやるんだ。


「どうだった……?」


 そう問いかける千垣に、俺たちは大きな拍手を送った。



※※※



「すっごい心に響いたわ! ね? ことちゃん!」

「もう感動したよぉ……」

「も、もう……やめて……」


 千垣の演奏が終わった後、俺たちは普通に雑談に興じていた。

 その間にも麗と琴羽は千垣を褒めちぎっている。


 珍しく千垣が頬を赤く染めているのがなんだか微笑ましい。


「それにしても、紗夜ちゃんあんなに歌上手かったんだね」

「まぁ……練習してるから……」

「すごいなぁ……」


 たしかに千垣の歌もすごくよかった。

 普段はギターを弾いているだけなので、歌を聞くことはなかったが、今度からは歌もまとめて聞きたい。


「それよりも神城……」

「ん?」

「明日、お弁当……」


 少し心配そうにそう言う千垣に、俺は笑顔で答える。


「明日は俺がみんなの作ってくるよ」

「うん……」


 千垣は安堵した様子で満足げに頷いた。

 そんな千垣に俺は続ける。


「千垣もさ」

「なに……?」

「心優のお見舞い、来てくれないか?」

「もちろんいいよ……」


 普段はあまり見ない、ふんわりとした優しい笑顔の千垣だった。

 その瞬間、なんだか不思議な気持ちになる。


 なんだろう。

 作ってる感じはしないんだけど、なんだか違和感というか……。


「ちょっと、浮気はダメよ?」

「しないよ!?」


 俺の顔を覗き込むように、ジト目の麗がそんなことを言ってくる。

 たしかに千垣はかわいいが、俺は麗一筋だ。


「ま、知ってるけど」


 麗は座り直しながらそう言う。

 それに対して琴羽がニヤリとしながらぼそっとこんなことを言ったのだった。


「ちょっと嫉妬してる……?」

「な!」

「大丈夫……神城は藍那あいなのだよ……。取らない……」

「ちょ!」


 顔を真っ赤にしつつ琴羽と千垣にわーわーと騒ぐ麗は、今日もかわいい。


「俺は麗一筋だって」

「あんたまで!」


 俺は麗の頭に手を伸ばしてよしよしと撫でる。

 嫌がるかと思ったのだが、麗は動きを止め、急に大人しくなった。


「あれ?」


 俺は不思議に思って麗の顔を覗き込む。

 そこには、さっきよりも顔を真っ赤にしているまるでリンゴのような麗の顔があった。


 なんだか恥ずかしくなった俺は、琴羽と千垣を見る。


「いいですな紗夜殿……」

「まったくですな……」


 普段は言い争ってばかりの二人が身を寄せ合ってニマニマ笑っていた。


「こういう時ばっかり……」


 やっぱり仲良しなんじゃないか。


「それよりも、みんな今日の放課後で大丈夫?」


 俺は今日も心優の下に行くので、みんなはどうか聞いてみる。


「あたしはいいわよ……?」

「私も大丈夫だよ康ちゃん」


 麗はまだ頬を赤くしながら、琴羽は大丈夫と親指を立てて教えてくれた。


「千垣は?」

「ごめん……。私は今日は無理……」

「わかった」


 なんだか珍しいとも思ったが、用事があるなら仕方ない。


「あ、もう時間だね」

「本当ね」

「それじゃあ紗夜ちゃんまたね!」

「また……」


 俺たちは空き教室を出て、自分のクラスに戻る。

 扉を開けると、祐介と鉢合わせになった。


「お!」「わ!」


 お互いに驚いた声を上げ、お互いに知ったやつで「なんだお前か」みたいな顔になった。

 それから何を思ったのか祐介は微笑んだ。


「大丈夫そうだな」

「ああ。ありがとうな」

「俺はなんもしてねぇよ」


 そう笑うと、祐介は教室を出た。

 トイレかなにかだろう。


 見送っていると姫川さんがこちらにやってきた。


「神城くん。私も今度お見舞い行っていい?」

「もちろん」

「よかった。じゃあ教室に戻るね」

「また」

「うん。また」


 後ろを振り返ると麗と琴羽が微笑んでいる。

 どこかドヤ顔に近い麗と優しく微笑んでいる琴羽。

 ここまでくるとさすがに思ってしまった。


 俺、何してたんだろうなって。

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