四十二歩って知ってる?

松藤かるり

四十二歩って知ってる?

 試しちゃいけないものってのはこの世に存在する。例えばコックリさんだって試しちゃいけない。だって呪われるかもしれないから。

 これから話すこともその一つで、『四十二歩』って言われてる。方法は教えてあげるけど試しちゃいけないよ。だって本当に危ないことだから。


 『四十二歩』は簡単だよ。まず、下校の時ひとりで帰ること。友達がいると『四十二歩』はできない。

 そして学校を出る時、校門で立ち止まること。歩道と学校の境目に立って深呼吸。それから口に出さず心の中で歩数を数えるんだ。

 通学路を家に向かって四十二歩。そこで振り返る。すると、何かがいるんだ。そこにいるのは色々あってね、猫とか空き缶とか様々。

 だけど見えちゃいけないものが一つだけある。それが見えちゃったらオシマイさ。


 何が見えたらだめなのかって? じゃあ今から、その話をするよ。くれぐれも『四十二歩』を試さないようにね。


***


 僕が『四十二歩』の話を聞いたのは友達からだった。クラスで怖い話が流行っていたから、休み時間になれば本やネットで仕入れてきた話をしていたんだ。特に実際に試せるものは人気だったよ。コックリさん、ひとり鬼ごっこ、紫鏡。

 そこで誰かが言ったんだ。


「『四十二歩』って知ってる? 絶対に試しちゃいけないよ」


 僕は「知らない」と答えたし、みんなも首を横に振っていた。初めて聞く単語だったよ。

 そこでこの『四十二歩』のルールを教えてもらった。小学校でも中学校でも、どんな道を通ろうとも構わない。とにかく校門から四十二歩ぴったりで振り返ること。

 さっそくその日、みんなで試してみることになった。



 中学校の校門。一歩踏み出せば歩道ってところで足を止める。

 深呼吸。それから声に出さず、心の中でカウントスタート。

 中学校から僕の家までは距離があるから四十二歩歩いても家には着かないだろう。ゆっくりと歩きながら数えていく。

 横断歩道を渡って、公園の前を通る。車もあまり走らない住宅街。


 赤い自動販売機を過ぎたあたりで、ちょうど四十二歩。そこで立ち止まった。

 ドキドキしたよ。本当は怖かったんだ。見えちゃいけないものがあるって聞いていたけど、その時はわからなかったから。もしも見えちゃったらどうしようって思ったんだ。

 でもみんなと約束したから振り返らないと。意気地なしって思われたくない。

 息を大きく吸いこんで、振り返る。


「……なんだ」


 確かめるように見渡し、それから詰めていた息を吐いた。

 何もいなかったんだ。そこは僕が歩いてきた通りの道、そのままだった。


 がっかりしたような、でも安心したような。複雑な気持ちになりながら僕は家に向かった。


***


 次の日。学校に行くといつものメンバーが集まって、話題はやはり『四十二歩』のことだった。


「お前、何が見えた?」


 聞かれたので僕は答える。


「何も見えなかったよ。いつもの道と変わらない」

「だよなあ。俺も俺も」

「俺なんて四十二歩の前に家に着いたぜ」


 みんなも試したけれど、僕と同じように見えなかったらしい。


「嘘だろこれ。誰が言い出したんだよ」

「誰だっけ。つーか、何が見えたらマズいの?」


 試しても何も起きなかったのだから、『四十二歩』はただの噂話。みんなそう思ったらしくあっという間に興味は薄れて、別の話題に変わった。


 でも僕は気になっていたんだ。あれって何が見えたらいけないんだろう。聞きたいけど、僕に『四十二歩』の話を教えてくれたのが誰だったのか覚えてないんだ。誰かが話していた気はするけれど顔も名前もわからない。


 その日の帰りも、僕は『四十二歩』を試してみることにした。

 友達に一緒に帰ろうと提案されたけど断って、一人で学校を出る。


 やっぱり四十二歩目は赤い自動販売機を過ぎたあたりになりそうだ。住宅が並ぶ道は今日も車が通らず、猫も人も、何もない。


 四十二歩目。僕は立ち止まる。

 昨日ほど怖くなかった。どうせ何も見えないんだろうと思ったから。

 そして振り返った。


 そこには空き缶があった。風は吹いてないのにコロコロと転がっていく。

 空き缶は道を横断するように転がって、それから側溝の中に落ちていった。カランと乾いた音が響く。


 空き缶が見えた時は少しだけびっくりした。悪いことをしているような気になって、心臓がきゅっと摘ままれたように苦しくなった。

 害はない。ただ転がって落ちていっただけだから。


 でも僕が歩いてきた時、ここに空き缶はあっただろうか。通り過ぎてきた場所だから落ちていたらわかるはずだけど。


 いや、住宅の塀から落ちてきたのかもしれない。僕が気づかなかっただけかもしれない。そうやって結論付けて、僕はまた歩き出した。


***


 四十二歩を知ってから三日目。クラスはもう『四十二歩』のことなんて忘れていた。


「ねえ」


 次の授業の準備をしていると、友達に声をかけられた。あまり喋ったことのないやつだから、ぱっと名前が出てこない。その顔を見上げながら考えていると、彼は笑った。


宇城うしろだよ。忘れたの?」

「あ、ごめん」

「いいよ、気にしない。でもこれからは名前覚えてね」


 僕は頷きながらも、気まずい気持ちになっていた。クラスメイトなのに、名前を覚えていなかったのが恥ずかしい。笑顔で許してくれたからよかったけど。


「次の授業、なに?」

「数学。あの先生、出席番号順に当ててくるから用意しとかないと。僕、問三で当てられそうなんだ」


 話しているとチャイムが鳴った。宇城も席に戻っていく。

 先生はいつも通りに授業を始めた。黒板に問題を書き綴った後、出席簿を眺めながら言う。


「問二は出席番号十三番のやつに答えてもらおうか」

「げー、俺じゃん!」


 僕の一つ前だ。当てられた生徒は顔をしかめながら黒板の方に向かっていく。ノートを見ながら黒板に答えを書いた。


「よし、正解だ。じゃあ次の問三は――出席番号十四番の生徒!」


 出席番号十四番。僕だ。

 用意していたから答えには自信がある。僕はノートを持って立ち上がる。

 すると、先生が「おいおい」と慌てたように声をあげた。


「お前、十四番じゃないだろ」

「え? いや、僕は――」


 みんながおかしなものを見るように僕を見ている。振り返れば、十五番の生徒が立ち上がっていた。


「十四番って俺だけど」


 嘘だ。そんなはずはない。

 でもクラスのあちこちからクスクスと笑い声が聞こえているし、先生も「だよなあ。お前が十四番だよ」なんて頷いている。

 おかしい。僕は十四番だったのに。すると先生が僕を見て言った。


「お前は四十二番だろ」


 瞬間。僕は冷たい世界に閉じ込められてしまったように動けなくなった。足も手も動揺して固まっている。

 四十二番なんておかしい。このクラスで最後の番号でも三十番台のはず。どうして僕がそんな番号になってしまったのか。

 そういえばノートに出席番号を書いていたはずだ。おそるおそる視線を落として、手元のノートを見る。


 そこには僕の字で『四十二番』と書いてあった。



 その日はなんだか憂鬱だった。部活に出る元気もなくて、僕は一人で帰る。いつもなら声をかけてくる友達も、今日は声をかけてこなかった。

 なんとなく校門で立ち止まって深呼吸。今日は『四十二歩』を試さなくてもいいかなって思ったけど、二日間続けてきたことだから体が覚えてしまっていた。


 昨日と同じ道を歩いて、たぶんそろそろ四十二歩目。赤い自動販売機を過ぎたあたり。

 変わったことはないと信じながら、振り返った。


「……え?」


 振り返ると、そこには猫がいた。といっても歩いてるんじゃなくて、道路に寝そべっている。

 目をこらすとそれは死んでいるのだとわかった。体の周りに血が飛び散っている。車にはねられたような形跡もない。


 何よりも恐ろしかったのは、そこは僕が通ってきた道であるということ。その時は猫の死体どころか猫一匹もなかった。空き缶も何もない道だった。

 振り返った瞬間、それが現れたのだ。


 僕は怖くなった。だって猫の死体が急に出てくるなんておかしなことじゃないか。

 猫には申し訳ないけど、僕は見なかったふりをして駆けだした。怖い。手が震える。早く家に帰らなくちゃ。


 僕がこれまでに見てきたものは初日は何もなく、二日目は空き缶。三日目が猫の死体。

 見てはいけなかったものって、どれだろう。気になるけれどこれ以上振り返ったらいけない気がした。

 だから『四十二歩』はやってはいけない。明日は絶対に振り返らないって決めた。


***


 四日目のことだ。

 その日は少し早く学校に着いてしまった。席で待っているのもつまらないから、友達に声をかけにいく。


「おはよ」


 いつもと変わらない挨拶のつもりだったけれど、友達は僕を見て不思議そうに首を傾げていた。


「あ……えーっと、誰だっけ」

「何言ってんだよ。変な冗談やめろって」


 小学校の時から仲良かったのに、なぜか顔をしかめている。僕の名前を忘れてしまったらしい。どうせ変な遊びをしているんだろう。ドッキリでもしてるのかもしれない。

 そう思って笑いながら彼の肩を叩こうとして――。


「やめろって! 知らないやつに触られたくない」


 手を払いのけられた。

 今まで仲が良かったのに、急に僕を避けるのはどうして。

 それから彼は気持ち悪いものを見るように僕を睨みつけた。


「俺、お前の名前もしらねーし」

「え? な、なんで……」

「なんでって言われてもしらねーよ。声かけるな」


 冷たくあしらった後、彼は友達のところに歩いていく。

 僕のことを無視して楽しそうに話す。今日の話題は、昨夜テレビでやっていた怪談特集についてのようだ。僕もそこに混ざっていたはずなのに、どうしてだろう。

 呆然と立ち尽くしながら、友達の様子を眺めていると後ろから声をかけられた。


「大丈夫?」


 僕に声をかけてくれたのは宇城だった。


「僕、みんなと仲良かったのに。なんで無視するんだろう」

「仕方ないよ。そういう子たちもいるさ。住む世界が違うと思えばいい」


 宇城はそう言って微笑んだ。

 僕はそれが嬉しかった。仲良かった友達に無視されて寂しかったけれど、宇城がいるから平気かもしれない。

 今の友達と合わなくなったのなら別の友達と仲良くすればいい。宇城の存在が、僕が抱えた不安の穴を埋めていった。


 不思議なことに授業は一度も当てられなかった。出席番号で当てる先生はもちろん、座席順にあてる先生も僕を飛ばして指名する。

 まるで認識されていないみたいだ。でも手をあげたり声を出すと「あ、いたのか」と気づいてもらえる。

 クラスメイトから話しかけられることもなくなったけど、宇城だけが僕に声をかけてくれた。


 下校時間になって、僕に声をかけてくれる友達はいなかった。仲がよかった友達はみんなで仲良く帰ってしまったらしい。僕は一人寂しく学校を出る。

 もう『四十二歩』は試さないと決めていた。昨日見た猫の死体が忘れられない。だから今日は振り返らず、まっすぐに帰るつもりだった。


 誰もいない住宅街を通って、赤い自動販売機を通り過ぎる。そろそろ四十二歩目になる場所。


 あれほど振り返らないと決めていたのに、この場所になぜか来ると後ろのことが気になる。

 背中がぞわぞわして、引っ張られるような、重たいものが引っかかっているような、そんな気持ちになったんだ。

 誰かが僕を呼んでいる。でもうまく聞こえない。耳の奥をくすぐられているように雑音が混じっているから。

 四十二歩目の位置から動けなかった。振り返って後ろを確かめなきゃいけない。振り返らなきゃ。


「あ……」


 振り返って、その姿が見えた瞬間――あれほど体中を駆け巡っていた不安が一気に消えていくようだった。

 僕の後ろにいたのは、クラスメイトの宇城。彼は振り返った僕に微笑んだ。


「いま帰り?」

「う、うん」


 まさか『四十二歩』を試していた、なんて言えずに頷いた。


「もうすぐだよ」


 宇城はそう言った。どういう意味かわからなくて僕は聞き返す。


「もうすぐ着くよ」

「ぼ、僕の家ってこと?」

「そう」


 何のことかわからなくなっていたけど、確かにもうすぐ僕の家に着く。宇城はそのことを言っていただけなんだろう。

 僕は宇城に別れを告げて、また歩き出した。


 びっくりした。まさか四日目は宇城がいたなんて。


 宇城はずっと僕の後ろにいたのだろうか。声をかけるタイミングを計っていたのかな。

 それなら早く声をかけてくれればよかったのに。


 ***


 さいごのひ。


 その日は朝からおかしかった。目覚まし時計は鳴らないし、起きても僕だけ朝ご飯がない。両親に話しかけても返事をしてくれない。僕の姿が見えなくなっているかのように。

 無視されるなら自分でご飯を用意しようと食器棚を開けたけれど、僕が使っていた箸も食器もなくなっている。僕が好きだったマグカップもない。


 学校に着いても僕の下駄箱はなくなっていた。僕じゃない生徒の靴が入っている。探しても僕の名前はない。

 仕方なく空いているところに靴を置いて、来客スリッパを借りて教室に入った。


「おはよう」


 扉を開けて声をかけたけれど、誰も振り返らない。

 僕の席は違う人が座っていて、引き出しの中身もなくなっている。ロッカーも、そこに入れていた荷物も消えていた。


 友達に声をかけたけれど返事はない。無視されているのだろうと肩を叩いてみたけれどそれすら気づいていないようで、他の友達と仲良く喋っている。

 そのうちに先生がやってきた。出席簿を取り出して生徒の名前を呼ぶ。

 でも、僕の名前は呼ばれなかった。



 どういうことだろう。

 どうして僕は、誰にも気づいてもらえないんだろう。


 まるで僕が透明になったように、最初からここにいなかったかのように。


 気づいてもらえないまま授業が始まり、虚しくなった僕は教室を出た。


 学校を出て、行き先ないまま歩く。気づけば家の方向へと向かっていた。

 隣を見れば赤い自動販売機。

 そろそろ学校を出て四十二歩目になるだろうか。


 その時、後ろから声がした。


「おいで」


 雑音混じりで、誰かが僕を呼んでいる。背中がひやりと冷たく、何かに撫でられているよう。

 そうだった。四十二歩目だから振り返らなければ。


 五日目の『四十二歩』、僕は振り返った。

 振り返った瞬間、あれほど頭を占めていた不安や背にのし掛かっていた重さが消えていく。雑音も消えて、まるで世界が綺麗になったみたいに。


 そこには宇城がいた。僕に手を差し伸べている。


「おいで。まっていたよ。きみならきてくれるとおもっていた」


 家や学校に戻ったところで、僕はだれにも気づいてもらえない。それなら宇城と一緒に行った方がいい。

 僕は宇城の手を取り、来た道を引き返していった。

 黒い自動販売機。枯れ草の公園。荒廃した住宅街の道。猫の死体と空き缶。



 僕たちがどこに行ったのかって? 近くにいるよ。でも君たちが気づいていないだけ。


 これが『四十二歩』さ。

 この世界にいない人を見てしまったらもう引き返せない。大変なことになってしまうから。


 君に『四十二歩』の話を教えちゃったけど、絶対に試しちゃいけないよ。絶対にね。

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