浦島シンデレラ桃太郎

皿日八目

浦島シンデレラ桃太郎

 まるごと食ったらばたちまちにして糖尿病発症疑いなし的巨躯を誇る桃である。


 ドンブラコ、というゴシック体の擬音を伴って下流へ流れ行くそれを見ていたのは、あなただけではない。老婆。老婆がいた。


 この老婆はギザギザの岩ですり潰されたようにクシャクシャな着物をまとい、顔のほうも同じくらいクシャクシャであった。みにくい。とてつもなくみにくい。


 体臭も魔王的である。うかつに彼女(このような老婆にもこの代名詞は適用されるのか?)へ近寄ったらば、その悪臭異臭腐臭に鼻孔を破壊され、二度と都市ガスの発生に気がつけなくなるにちがいない。

 

 とはいえ、道徳観を備えたあなただから、見栄えばかりを気にするこの語り手には嫌悪感反感義憤を感じるのではなかろうか!? 


 なるほど確かに見た目で判断するのはよくないかもしれない。その愚を犯したために処刑された者の数は両手両足の指では足らぬ。


 しかしこの老婆は性格も外見並みにおぞましかったのである! 


 もうしばらくすると彼女は殺されるのだが、その理由もまったくその性格の歪みのためであった。ゲロみたいな人格。


老婆「なんじゃこの桃!?」


 非存在に外見を嘲罵されていたとは知る由もない老婆、時の無情さ残酷さを如実に体現する皺だらけの手を伸ばし、思わずその桃をひっつかんだ(こういう時の桃ってたいていばかでかいものだから、この老婆の手もばかでかいということになるのだろうか? 彼女は巨人なのか?)。


 言うまでもないことだが老婆は洗濯のためこの川辺へ訪れていたので、その桃は必然的に洗濯桶に保管されて彼女の住処へ輸送されることとなった。

 

 家のまわりの三千里には人家ひとつとしてなかった。この老婆とその伴侶たる老爺とはただ二人でこの界隈に住まわっていたのである。人里離れたというか人里がなかった。


 この家もみすぼらしくちんけで貧しくせせこましくちっぽけで小汚く薄汚れたボロいものであった。ボロい家と検索すればおそらくこの家が一番上に表示されるであろう。典型的ボロ屋。


 桃はあまりにこの家が汚いために、当初中へ入ることを拒み、そのために老婆は玄関を斧で拡張しなければならなかった。


 壊してしまってから別に中へ必ずしも入れなければならないわけではなく、外へ置いておいてもよかったのだと気がつき、悔しがって八つ当たりをし、家の壁に新しい窓がふたつできることとなった。もはや雨風をしのげそうもない惨状である。

  

 老爺(言うまでもなく山へ柴刈りのクエストをこなしに行っていた)は帰ってみて、家がますます廃屋への道を驀進したらしいことにも驚いたが、老婆が持ち込んだ桃にはさらに驚いた。


老爺「なんじゃあこの桃は」


老婆「わたしが川で拾ってきたんだよ」


老爺「は、お前また川に行ったのか?」


老婆「洗濯をするんだから、当たり前じゃないですか」


老爺「なんでわざわざ川まで行くんだ。井戸の水があるだろう。さてはお前男がいるな!」


老婆「この辺に男はてめえしかいねえじゃねえかよ! つか、お前こそ何じゃ。お前こそ毎日毎日柴刈りだとかなんとかってほざいて山へ行きおって。だいたい柴ってなんじゃ。何に使うんじゃ柴って。女に会いに行く口実だってのはわかってんじゃよオラ!」


老爺「この辺にいる女はお前だけじゃろうがよ!!!」


老婆「うるさいうるさいうるさい! てめえの顔にはもう飽き飽きじゃ。わしはこの桃を売り飛ばして金を作り、こんなボロ小屋出ていってやるのじゃ!」


老爺「なにっ。そうはさせるか(斧を構える)。この桃はわしが頂く!」


老婆「拾ったのはわしじゃ! これはわしのものなんじゃ(鎌へと手を伸ばす)! 誰にも渡すものか!」


老爺「渡せ! 渡さないと殺すぞ殺すぞ殺すぞ!」


老婆「お前が死ね(老爺に向かって飛びかかる)!!」


両方「ああああああああ!!!」


 言い忘れていたがこの夫婦の顔は両方とも猿に相似であった。おそらくこやつらの先祖は猿に犯され、ヒトとサルの混血児を産み、その末裔がこの老婆と老父なのであろう。これだけ顔が似ているのだから、親戚同士という可能性はなくもない。


 というわけで彼らは最終的にお互いの口にバナナを突っ込んで死んだ。やがて屍体から漂う腐臭は三千里をまたいで街にまで広がり、大量のネズミを呼び寄せて黒死病を流行らせた。

 

 この悪疫の原因はどこにあるのかと詰め寄られた占星術師たちはてんでバラバラの元凶を示唆したが、奇跡的に真理を示したものが一人いて、この人里離れたボロ小屋を発見したのは彼であった。


 後に神格化された彼の肖像は現在でも御神体としてどっかで祀られていたかもしれないしいなかったかもしれない。


 人がその家を探し当てた頃にはすっかりスケルトンと化し夜な夜な墓地を徘徊していた夫婦であったが、桃はまるでおとといもぎ取られたばかりですぞと言わんばかりに新鮮で、保存料の過剰使用が疑われた。


 こんな物騒な桃を欲しがるものは誰もいなかったので、悪臭にまみれた小屋を死にものぐるいで探索した結果見つけ出した連絡先を参照し、遠い異国の地で暮らす孫夫婦へと着払いで郵送された。

 

 孫夫婦の住まう館は、まるでその夫婦と子どもたちの性格を反映したかのごとくねじくれまくった木が林立する森の中に位置していた。


 桃はその森の中を馬車で運ばれ、迷惑そうな様子を隠そうともしないで玄関先に立った孫夫婦の目の前に放り出された。


夫「クソジジイどもめ。やっとくたばりやがったと思えばこんなもんを遺しやがった。しかも着払いだ。頭おかしいのか」


妻「おかしいから死んだんじゃないの」


夫「それもそうか」


 べつに食べるのに困っているわけでもない彼らであったので、この桃の賞味についての興味は道端に転がる石へと向けるそれにも劣っていたのだが、それでもこれだけの大きさを誇る桃にまったく無関心でいられたというわけでもなかったようで、兎にも角にも割ってみようということで話がまとまった。


 夫婦に数人いた娘たちも解体の現場に立ち会った。キッチンの俎上の上。桃には牛を殺すような刃が当てられた。ずぶりと果肉に刃は刺さり、黄金色の果汁が爆発のように飛び散った。抵抗もなく刃が沈み込んでいくにつれ、開帳の角度が次第に拡大していく……


夫「え?」


妻「あら」


娘1「わ」


娘2「あっ」


娘3「なんで」


 彼女は首を傾げた。


娘3「赤ちゃんが入ってるの?」


 2700字目に突入するに当たり、ようやっと主人公の登場である。


主人公「?」


 男の子ですよ。


 彼は最初桃から生まれたというのでふざけてモモタロというその国においては時代錯誤もいいところな名前で呼ばれていたが、成長するにつれてお前はこの家にとり永久に部外者であるとの嘲りをこめて義母がサン付けで呼び始めたことにより、モモタロサンという名前に落ち着いた。


 彼は使用人のように、というか使用人未満の、ガレー船でも漕いでそうな奴隷かなにかのように扱われた。


 もともとこの屋敷には何人か使用人が雇われていたのだが、彼を養育するために出費を抑えよう、というのは建前、代わりに全部の家事をやらせようという邪悪な意図のもと、全員が解雇され路頭に迷った。


義父「おい火をつけろ!」


モモタロサン「はい……」


義母「これ全部今日中に洗濯するんだよ!」


モモタロサン「はい……」


義姉1「ちょっとわたしの部屋まだ埃があるんだけど!?」


モモタロサン「はい……」


義姉2「庭の草全部刈っておいてね!」


モモタロサン「はい……」


義姉3「歩き回らないでよ、目障りでしょ!?」


モモタロサン「はい……」


 ロウソクでもひっくり返して屋敷を火に包んでやろうか、と彼が思ったことは少なからず。それでも他に行くべき場所はなく、生きていくためには彼らが押し付ける無量大数の仕事をこなす終わりなき労働の日々に隷属するしかなかった。


 屋敷はアレクサンドリア図書館のように広く大きく、庭はバビロンの空中庭園のように広大でむやみやたらに入り組んでいた。彼はその宇宙的空間を掃除用具を抱えて駆けずり回ったのである。


 常人ならば一週間で五臓六腑を病み苦しんで吐血し果てたにちがいない過酷な労働であったが、彼はこれを十八年に渡って耐え忍んだ。つまり彼は常人ではなかったのである。


 まあ、桃から生まれたような人間が常人だったら、焚火を囲む聴衆ががっかりしてしまうだろうから、当たり前といえば当たり前であるが。

 

 そんな語り手たちの都合を知ってか知らずか(知るわけがない)、彼は人知れず、乱神的な怪力を体に育んでいった。


 仮初の家族たちが彼に下した神話的無理難題の数々が、図らずもその成長に寄与していたにちがいない。


 そんな逸話のひとつも知らない家族たちであったが、英雄たることを運命づけられた者の素質を引き出す教官としては、お手本のような指導をしたと言っても過言ではない。


 ねじくれた木が辺り一面に生えまくっているのを見るにつけ、義母は不満を抱いていた。自分たちの人格の歪みから発現したのだとは考えもせず、なんとかこれを見栄え良くできないものかと考えていた。


 そこである時、義母はモモタロサンに対し以下のような指令を下した。


義母「この森の木だけどね、あれ、全部真っ直ぐにしなさい」


モモタロサン「は?」


義母「できなきゃ夕飯は抜きよ」


モモタロサン「夕飯作ってるのはおれですけど」


義母「いいからやりなさい!」

 

 自身が生まれでた桃の巨大さを体現するがごとき剛力をすでに携えていた彼ではあったが、ねじくれまくった木をまっすぐに伸ばしてみることは、何度か試した結果、流石に無理だと断定した。


モモタロサン「あのババア、自分が何言ってんのか分かってんのか?」


 悪態をつきまくりながら木にラリアットをぶちかますと、その衝撃に耐えかねた根はあっさりと大地から手を引き、ごろりと屍体のように転がった。


 よい考えが彼の頭に広がった。


 一日後、屋敷を囲む森を構成する木は定規をその軸に埋め込まれたかのような垂直さで立つそれとそっくり入れ替わっていた。


モモタロサン「どーだい?」


 彼はねじくれた木をすべて引っこ抜き、隣の森に植林し、代わりにそこから真っ直ぐな木を抜いてきて代用品としたのだった。


義母「……」


 なんとか文句をつけようと彼女は頑張ったが、どうしても見つからないことに腹を立て、その八つ当たりとして彼に昼食の割愛を言い渡した。


 このように家人の性格の歪みは相変わらずであったため、数日後、またすべての木は媚びへつらったお辞儀をするようにねじくれ歪み曲がりまくるのだった。

 

 タダ飯ぐらいとかそれに似た意味合いを主題とする罵倒と、仕事を命じる言葉を除き、仮初の家族たちは一切モモタロサンに向かって口を聞こうとしなかった。


 桃から生まれいでし時から十八年、孤独のただ中に彼は捨て置かれていたわけだが、そのような時に転機が訪れた。


 まあ転機が訪れたからこうして物語化されているわけだが。


 義母に命じられた十三度目の植林を行っている最中、彼は木々のはざまの彼方、樹冠をかいくぐって差し込んだ光に照らされて、なにか翠の動くものを見かけた。


 ついぞそのようなものを目撃した経験は皆無であったため、興味をひかれた彼が現場へ接近してみると、そこには艶やかな姿で横たわるキジがいた。


 どうやら狩猟者の罠に捕らえられたらしく、羽ばたくも地面から飛び立てないでいるさまは、いかにも見るものの同情を誘うようであった。そこでつい彼は罠を外した。


 もしかしたら身動きのとれないキジに自らの姿を重ねていたのかもしれな「違います」あ違いました。違うそうです。


 そういった感傷とは無関係にとにかくトラップを解除した。罠を解除したことによる罠の作動といういやらしさもなく、無事にキジは解放された。


キジ「どうも」


モモタロサン「わっ」


 前置きなく人語を発したキジに彼は腰を抜かした。


 しかしこのねじくれた木が立つ森とねじくれた人がいる屋敷という二世界にのみ未だその視野を限られている彼はしばらく考えてみて、たまには人語を解すキジがいるのかもしれないという柔軟な想像力に導かれ、それならいきなりびっくりしてみせるのは失礼に値するだろうということで、居住まいを正して向き直った。

 

 一匹と一人はそれから友人となった。


 孤独な植樹活動の伴として、虚ろな時間に華を添えた。森に出るたび、いずこからともなくキジはやって来て、彼の話し相手となった。


 その時間はこの世界に生まれ落ちてから初めて彼に、桃の中に閉じこもっているよりマシなことがあるのだと思わせた。


モモタロサン「ずっと桃に入ってりゃよかったと今までは思ったものだがな」


キジ「ずっと入っているわけにはいきませんよ」


モモタロサン「そうだよな」


キジ「桃は腐ります」


モモタロサン「そうだよな」


 系統樹の垣根を越えた交流はしばらく続いた。

 

 ある時、義父がまた理不尽な要求をモモタロサンに突きつけた。


義父「おい、魚が食いたいぞ。しかも川じゃなく海を泳ぐものをだ」


 生まれてこの方海などというものを見たことはないモモタロサンであったが、それでもその海とやらが絶対にこの辺りには存在していないであろうことは明らかだった。


モモタロサン「海ってどこにあるんですか?」


義父「知るか。いいから行け」


モモタロサン「それでどこに行けって言うんだろうな」


 彼はあてもなく森を歩きながらキジに訊ねた。


キジ「海がどこにあるのか、わたしが案内できますよ」


モモタロサン「それって遠い?」


キジ「いえ。ちょっとそこまでです」


 彼がキジの言う海まで辿り着くのには二週間かかった。


 地図を見ればこの森と屋敷とが位置する場所が内陸もいいところであったと知れただろうが、ただはるか天空を飛ぶキジの影を追うことに気を取られ、そのようなことが彼には思い浮かびもしなかった。


キジ「ほら、もう着きましたよ」


モモタロサン「もう?」


 実は彼らが海へ辿り着くまでには艱難辛苦が山と連なり、それについて書くだけでひとつの書棚を羊皮紙でいっぱいにできるくらいの出来事があったのだが、そのすべては一切この物語に関わるものではないので、彼らの旅程は百文字いくらに省略された。


 視野にはまんべんなく青い水が広がり、手前には精神病院の壁紙の色みたいな黄色さをまとった砂と、多数の悪童に囲まれ打擲を浴びせられているカメとがあった。


モモタロサン「あれちょっと君たち何やってんの?」


悪童「僕たちは海岸の美化活動をしています。この小汚いカメは美しい浜辺の汚点です。だから殺しています。オラッさっさと死ね!」


キジ「お前が死ね、とこのお方が申しております」


モモタロサン「え?」


悪童「はあ? 何だよこいつ。おいお前ら、こいつもゴミだ。いっしょに掃除しちまおうぜ!」


モモタロサン「え。いや。あの。ちょっと」


 あああああああああという悲鳴が一瞬聞こえ、すぐに静かになった。


 モモタロサンは悪童たちが持っていたゴミ袋に彼ら自身を梱包し、丁寧に住所を書いてクール便で各家に送りつけた。


モモタロサン「なんだって焚きつけるようなことを言ったのか」


キジ「あのカメを放ってはおけなかったもので」


モモタロサン「まあそうだけど……あ、生きてるかな?」


 海岸にぽつんと取り残された甲羅から、カメがわずかに頭を出した。


 あたりを伺ってみて、もう自分を殴ったり蹴ったり叩いたり刺したり突き飛ばしたり張り倒したり転がしたり持ち上げたり落としたり邪険にしたり乱暴したり打擲したり痛めつけたり傷つけたり撃ったり射ったりしそうな生命体が確認できないことを確認して、安心したように見える。完全に頭を出した。

 

 なんだかずいぶんと年季の入ったカメである。実物のカメとは初対面のモモタロサンであるが、これが尋常のカメではないことは理解できた。その証拠に、ほら、こいつも人語を操りおる。


カメ「死ぬかと思った」


 キジが喋るならカメが喋ったとておかしくないと織り込み済みのモモタロサン、今度は腰など一切抜かさなかった。


キジ「こちらの方があのガキらを追い払ったんですよ」


カメ「それはそれは。そうなのかね(モモタロサンに目をやる)?」


モモタロサン「そのようだな」


キジ「すごい力の持ち主なんですよ」


モモタロサン「はい。モモタロサンと申します」


 カメはキジが喋ることに違和感を持たないようであった。しかし自分が喋れるなら他に喋れる動物がいることを予想してもおかしくはなかろうということで、そのことに関して彼がそれ以上疑問を持つことはなかった。

 

カメ「よし、命の恩人へのお礼じゃ。わしの背に乗れ。すばらしいところへ招待しよう」


モモタロサン「いや、いいです」


 カメは困った顔をした。


モモタロサン「魚を取りに来たんですよね。もう二週間も経ってるし、今すぐ帰らないと怒られてしまいます」


カメ「おお! 魚ならわしが案内する場所にたんとあるぞ。どっさり。ふんだん。ぎょうさん。たくさん。いっぱい。ぎゅうぎゅう」


モモタロサン「ホント?」


カメ「マジじゃ」


 じゃあ行ってもいいかなあ、の、「じゃ」を言う刹那すら待たずにカメはモモタロサンを背中にかち上げ、あの昔話やあの童謡を根本から否定するような速度で海へ向かって驀進した。


キジ「わたしもお供します」

 

 キジはモモタロサンの腹部に潜り込んだ。


モモタロサン「え。いややめたほうがいいよ。だって海の中じゃ息が……息……」


 それはまさしく彼自身にも該当する問題であった。


モモタロサン「待」


 その言葉を口から吐き出したとたん、お返しのように大量の海水が入ってきた。海の恵みのもっともわかりやすい提示である。


 海の中はそれはそれは壮麗であり、きちんと気道を確保した生物ならばその素晴らしさを髄まで味わうことができただろうが、あいにく彼はそれに失敗していたため、地上のいかなる宝石にも勝る輝きを放つサンゴ礁にも、雪花石膏のごとき鱗を持ち達人の手になる彫刻のような魚の群れにも、一切気も目も注意も意識も留めることなく、ただ四方八方に飛び散りそうな肺になんとかあとちょっとだけ我慢してくださいお願いしますと懇願するばかりであった。


 そんな瀕死的状況下に置かれていたから、モモタロサンは海底の秘密の岩礁の暗がりの深淵の奥の奥、太陽が出どころではない不可思議に青く柔らかな光に照らされて、古の神々の住まいのような宮殿が現れたことに、さっぱり気づかないのだった。


カメ「見よ、あれぞ世にも名高き竜宮城!」


モモタロサン「ぶくぶくぶくぶく……」


 宝石商が一目見たらば網膜にその姿が焼き付き一生焦がれること請け合いの、さんざめく光を放つありとあらゆるもので覆われた宮殿は、一方の端ともう一方の端とが海底の地平のどこまでも続く、無限を体現するかのような巨大さを持っていた。


 その広大無辺のどこに見つけたのやら、さっぱりわからないけれど、とにかくカメは入り口に向かって降下していき、半魚人の衛兵たちはその姿を見たとたん息をつまらせたような顔をしたが、それはまさしく今のモモタロサンの顔にそっくりであった。


カメ「ほうら、到着したぞ! ここが竜宮城じゃ……おい、大丈夫か?」


 人智の及ばぬ働きで、宮殿内を充たす海水中ではエラを持たぬヒト科にも呼吸の業が許されていたのは幸いであった。というのも、そうでなかったら我らが主人公はとっくにドザエモンへ姿を変えていたであろうから。


モモタロサン「あっ。あっ。あっ。あっ。あっ。は。は。はっ。はあ」

 

 末期の歯周病に犯された歯茎のような色に彩られていたモモタロサンの顔も、しだいに生気が復活してきた。


モモタロサン「あのさあ、これが恩人にする仕打ちかと?」


カメ「なんじゃ、素晴らしいじゃろ? この宮殿は」


モモタロサン「二時間窒息する前に見られるならもっと素晴らしいけど」


 モモタロサンはぼやいた。ところでキジのことを思い出した。今度の彼の顔は収穫前のバナナのように青くなり、傍から見ていると愉快だった。


キジ「どうですかモモタロサン! この宮殿!」


 まったく生命に別状はない様子の声が上から響き、見上げると森の中でそうしていたのと変わらずに飛ぶキジがいた。


モモタロサン「あれ。おれが知らないだけなのかな。鳥って水中でも息できるのか。すごいな」


 ヒト科の劣敗を予感しつつも、ようやっと酸素の供給体制が全盛期のそれに引けを取らないまでに回復したモモタロサンは、改めて自分のいるところを見回した。


 左右対称の階段はDNAに勝る螺旋構造で上階へと伸び上がり、定命の者には決してその行末へ辿り着くことはできないのではないかと確信されるまでに高かった。


 かつて誰も見たことのないほど磨き上げられた床は踏むと固いが、不思議と石よりもずっと温かで滑らかなもので作られているように思われた。


カメ「これは海溝に咲く花の堆積から生まれた石じゃよ。一万年単位でしか目に見えて蓄積しないほど希少でな……」


 モモタロサンは特にカメの話を聞いてはいなかった。最も想像力豊かな者ですら想像し得ないほどの光景のただ中にあり、目を除く器官はすべて圧倒され、その機能を一時的に失ったためである。


 正面には大扉があった。彼はカメに促され、顎関節を引っこ抜かれたような顔つきのまま、憑かれたようにその扉へ近づくと、この時を待ち望んでいたかと思われるほど勢いよくそれは開かれた。


「ここが最後尾」


モモタロサン「は?」


 ここが最後尾、と極太の明朝体で記された看板とそれを握ってなぜ自分は生まれてきたのかとおそらく数百回に渡って自らに問いかけ続けているのであろう鬱症的相貌の人魚を見たとたん、魔法と憑き物とはずるりと彼から滑り落ちた。


人魚「押さないで! 押さないでください! ああ! 勝手に新しい列を作らないで!」


モモタロサン「この人たち何やってんの?」


カメ「さあ、わしらも並ぶぞ」


キジ「ええ」


モモタロサン「聞けよ」


 わけがわからないまま、おそらく人の一生とはこのように決められてしまうのかと知ったような感想を胸に抱きつつも、不可避の力で彼もまた列に巻き込まれた。


 周り中に生き物がいた。人魚も半魚人もいるし、もっとモモタロサンに似て、つまり上半身も下半身も人間に見える者もいた。


 しかしそればかりではなく、ヒトデやサメやシャチやマグロやイルカやイカなどもいる。海が作り出した生命の半分は集っているにちがいないと思われた。


モモタロサン「ねえ、だから、これいったい何の列……」


「あああああああ!」


モモタロサン「そりゃこっちのセリフ……ありゃ? なんだアレ? ぎゃっ!?!」


 大広間の遥か彼方、しかしおそらく前方からと思われる飛来物は、よく見れば人魚であった。その顔が地獄を見たような苦痛で歪んでいるのが、まあ気がかりと言えば気がかりであったが。


カメ「あれは東の国の王子ではないか。あれほどの戦士でもダメだったのだな」


キジ「そうみたいですね」


モモタロサン「なにがそうみたいだ……って、キジよ、なんでこんな海底くんだりの事情なんか知って……」


「ああああああ!」


「ああああああ!」


「ああああああ!」


モモタロサン「ああああああ!」


 先程吹っ飛んでいった王子とやらはただの前兆に過ぎなかったらしい。此度の吹っ飛びはものすごく、どれほどすごいかと言えば、広間にいた全員が竜巻を食らったように巻き上げられ、空中でお互い同士にぶつかって図らずも脳漿の交換式を行えるほどだった。


モモタロサン「生きてる人いますか?」


 しばらくしてモモタロサンが声をかけると、あちこちからうめき声が聞かれたが、それはとても生きているとは言えないような弱々しさであった。


???「ほう。少しは骨のあるやつがいたようだな」


モモタロサン「なんだこの強敵感のあるセリフ……でも声は」


 彼は首をひねった。


モモタロサン「お姫様みたいだな?」


 広間にいる中でまだ立っていたのはモモタロサンと、彼の足元で甲羅に閉じこもっていたカメと、天井にへばりついていたキジと、もうひとりいた。


カメ「カグヤ!」


 カメはそう呼ばわって、死屍累々の広間を声のした方向めがけて駆けていった。キジもそれに続いた。


 モモタロサンは何が起こっているのかまだわからなかったが、とりあえず新キャラが登場することは確定しているようなので、流暢な自己紹介の練習を秘密裏に始めた。


カグヤ「父上! 母上! ならば、もしやその者が……?」


モモタロサン「ちち? はは? は?」


カメ「すまない青年よ。桃太郎と言ったか……」


モモタロサン「モモタロサンです」


カメ「モモタロサンよ、実はわしらはお主を試していたのじゃ。あの剣、月から降りてくる鬼どもにも通じるかもしれないあの剣を、任せるに値する者であるのかどうかをな」


 その説明の三分の一でもモモタロサンが理解する前に、カメとキジとは一陣の風に包まれたかと思うと、次の瞬間には雅びやかなる衣を纏った、帝と天女とも言うべき姿に身を変えた。おかげで彼はカメの説明が完全に頭から吹き飛んだ。


モモタロサン「人じゃん」


天女「わたしたちはこの龍宮城の城主です。そしてこのカグヤ……彼女はわたしたちの娘」


 名前が出たので改めてモモタロサンはそのカグヤとかいう姫のほうを見た。目が潰れるかと思った。真にまばゆきものは太陽のごとく、決して正視することがかなわない。彼女もそうした超越のひとつとして列せられるにちがいなかった。


モモタロサン「ちょっと引くくらいの美しさすね」


カグヤ「それは褒めているのか?」


 カメとキジとは交互に、お互いの説明を補完しあいつつ、モモタロサンをこの場へ招致するに至る経緯を述べ伝えた。


 カグヤは十年前、彗星のごとくこの城へ垂直落下してきた隕石の中に発見された。当時はまだほんの赤子であったが、すでに女神として百万の求婚者を悶絶させることが運命づけられているかと思われるほど、輝かんばかりの面立ちであったという。


帝「これがその時の写真じゃ」


モモタロサン「ダ・ヴィンチの描いた天使じゃんか」


カグヤ「あああ! 来客者全員に見せるなとあれほど言ってるのに!」


 適当に開いた姓名判断本の教示によりカグヤと名付けられたこの娘を、子供のいなかった彼ら夫婦は大切に育てた。成長の速度は極めて早く、数年にしてもはや比すべきものも見当たらぬほどの美しさを所有した。


 その美麗を礼讃する名声は海洋中に轟き、北極海から南極海まで、ありとあらゆる海域から求婚者が訪れた。カグヤは全員殺そうとしたが、


モモタロサン「えっ。殺す?」

 

カグヤ「ああ。どいつもこいつもわたしより貧弱に見えたからな」


モモタロサン「説明になっていない気がする」


 カグヤは物心がついた時からずっと戦闘の鍛錬を積み続けていた。なぜそこまで鍛えるのかと海底の両親に訊ねられても、彼女は決して答えようとしなかった。


 しかし求婚者が現れ初めてすぐ、カグヤは泣きながら両親に言った。


 わたしは実は月から花嫁修業として地上に送られた月人で、十年が経てば迎えの使者が来る。しかし横暴な人間ばかりのあんなところへは死んでも帰りたくなく、できればこの龍宮城にずっといたい。


 そのため体が動くようになってすぐ返り討ちにするための訓練を積み、この城に代々伝わるあの剣を自らの手で抜きたかったが、わたしには抜くことができなかった、と。


 モモタロサンはそれを聞き、正直どこからがどこまでがカグヤのセリフなのか、あまり理解することができなかったが、とにかく月から鬼が来るらしいということだけはわかった。


モモタロサン「月にはてっきり鷲しかいないと思ってたよ」


帝「それで求婚者を問答無用で殺戮することはやめ、代わりに条件として、あの剣を抜くことを提示したのじゃ……さあ」


 カメだったものは剣の在り処へとモモタロサンを促した。それは広場の中央に位置する台座に収まり、刀身も柄もガラスのように透き通って向こう側が見えるほどだった。


帝「地上に救世主を求めたわしらは姿を変えてそれを探した。お主はキジやカメを助ける心根と、大木を動かす怪力とを持っておる。きっと抜けるはずじゃ。」


モモタロサン「それじゃ、二時間も息を止めさせられたのも……」


帝「あっ。あ。あー。そうじゃな。それもあるな。うん」


モモタロサン「この剣を抜いたらお前から斬ってやる」


 モモタロサンは剣の柄に手をかけた。


 ふと我に返ると、辺りには無数の鬼が転がっていた。いつの間にかすべてが終わっていたようだった。


 カグヤは広間のあちこちでグロッキー状態にのびている人魚や半漁の衛兵の一人ひとりに手をかけた。


カグヤ「くっ……卑劣な鬼どもめ……!」


モモタロサン「その人ら鬼が来る前からのびてましたよ。どっちかっていうと君のせい……」


カグヤ「何?」


モモタロサン「(無言)」


帝「傷ついたものはいるが、命を失ったものはいないようじゃ。我らの勝利じゃ!」


モモタロサン「なんか最初からおれたち以外全員気絶していたような気が……まあいいか」


帝「おっ。そうじゃ。お主は剣を抜いた。鬼も倒した。資格は十分じゃ。カグヤよ、この者では不足か?」


カグヤ「わたしは……」


 彼女はモモタロサンのほうを見た。彼は困った顔をした。


モモタロサン「でも正視できない人と生活するのはちょっと……」


帝「それもそうじゃな。やめるか」


カグヤ「おい」


 この間、どこかに消えていたあのかつてはキジだった天女のような海底人は、なにやら細密的装飾を施された箱を携えて戻ってきた。


天女「ほんのお礼です」


 モモタロサンは言われるがままに開けてみた。


 そのとたんもくもくと煙が立ち上り、咳き込む間もあらばこそ、魔神の形をとって現れた。


魔神「われ玉手箱の精霊なり。男、この箱を開けし者はお前か。よい。爾の願いを三つ答えるが良い。わたしがそれをすべて叶えよう」


モモタロサン「じゃ、お願いを一つ」


 あっけにとられていたモモタロサンだったが、ぴったりなものがひとつあることを思い出し、威勢よく答えた。


モモタロサン「ここで話を終わらせてください」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

浦島シンデレラ桃太郎 皿日八目 @Sarabihachimoku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ