16.家に帰るまでが遠足です
「雷帝招来。発!」
鞭のような声が響いたかと思うと、しっかり閉じたまぶた越しにも目の前が真っ白になったのを感じた。ピシャアアッて、空気を切り裂くみたいな音が轟いて、耳も押さえておいた方がよかったのじゃ、なんてマヒした頭の隅で考えた。
すぐにシンとあたりは静かになり、タカムラさんの手が体から離れたので、わたしはおそるおそる目を開けた。
さっきまでと同じプレハブ小屋と井戸の前。怪人アウチはいなくなっていた。
「こんなこともあろうかと、知人の私物の中からお札を拝借しておいてよかったです」
さわやかな笑顔で犯罪チックなことをおっしゃっている人がいるのですけど、無事にすんだってことでいいんだよね。
「にしても」
改めて、というふうにタカムラさんがわたしに向き直る。
「ひよりさんは、とても素直な方なのですね」
へ?
「そのままをそのままに受け止めて、そのままに共感なされる。だからあなたは順応力が高いのです」
「え……」
そうなの? これって褒められてるの?
「素晴らしい資質です。ですから、ひよりさんにはもう少し、踏み出してほしいと思いますね」
学校の先生みたいな口調がいっそう優しくなって、わたしは照れくさくも、それってどういう意味だろうと考える。
と、いきなり、足が地面から浮いた。足だけじゃない、体がふわりと横向きになってタカムラさんにくっつく。タカムラさんが、わたしの背中と膝裏をすくって抱き上げたのだ。ぎゃあ、これってつまり、お姫様抱っこ!?
タカムラさんはわたしを抱っこしたまま軽々と踵を返し、くるんと井戸に向き直った。
「楽しい旅でございましたね。しかし旅とは帰る場所があってこそ。わたしの好きな名言にこういうのがあります」
井戸の上部のエンジンポンプが音もなく横に移動する。な、なんで?
「〈家に帰るまでが遠足です〉。では、帰りましょうね、ひよりさん」
いや、井戸を見たときからもしかしてとは感じてた。感じてたけど、こ、心の準備がっ。
タカムラさんは井戸の縁に足をかけ、そのまま身軽く飛び上がった。
え、ちょ……っ、そんな、なんの合図もなくっ。ていうかお姫様抱っこで!? もう、どこを突っ込んでいいのかわからない!!
ふわりと髪が宙に浮くのを感じ、その直後、わたしの意識は一気に下へ下へと引き込まれた。
はっと、正気に返ると、そこはのどかに穏やかな日差しの下だった。初冬の少し肌寒さを感じるクリアーな空気の中、だけど降り注ぐお日様の光は暖かい。
目の前にはマンホールのフタみたいのできっちり上部を覆われた古井戸がある。ここは会社の敷地内で、わたしはゴミを捨てにいく途中だったはずで。足元に、そのゴミ袋が転がっている。
やだ、わたし。いい天気だからってうたた寝しちゃったのだろうか。立ったままで? そして不思議な夢を見た。
井戸から出てきためちゃ好みの男性、タカムラさんにカラハリ砂漠に連れていってもらったのだ。
夢の内容を、まざまざ思い出す。あんなに鮮やかな夢を見たのは初めてかも。うーん、おもしろかったな。うん、おもしろかった! あとで、カラハリ砂漠やブッシュマンのこと、調べてみようかな。
あれこれ考えながら、わたしはゴミ袋を持って走り出す。とりあえず、仕事、仕事。
~カラハリ砂漠編 おしまい~
タカムラさんと行く世界紀行 井戸の中からコンニチハ 奈月沙耶 @chibi915
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