野望
松長良樹
野望
俺はその日いつものようにパソコンに向かっていた。
ウェブの小説サイトに短編を掲載するのが俺の楽しみだった。しかしそう簡単に作品は出来ず、悩んだり、苦しんだりするのはいつもの事だった。
やっと書けそうになって、画面に向かいキーボードに指を乗せると、いきなり肩をこずかれて俺はびっくりして振り返った。
瞬間、俺は天井を突き抜けるくらいに驚いた。いや、本当に驚きすぎて心臓が口から飛び出てしまいそうだった。俺は冷蔵庫の新巻鮭みたいな顔をして何度も眼を擦った。
黒い顔に真っ赤な口をした男が醜悪な笑顔をつくって俺を見ていたのである。言葉も出ず、俺は息を飲んだ。
「なにを書こうとしている?」
そいつは、いきなりそう訊いてきた。
「……」
言葉を忘れた俺。
「お前は物書きか?」
そいつは生臭い口臭を俺に放った。魚を食べた後の猫のようだ。
「いえ、そのう……。 ただの趣味で。まあそのう」
俺は蚤の心臓の持ち主のような顔をしていたと思う。
「ここに載せれば多数の人間がこれを見てくれるのか?」
「ま、まあ。とは思いますが……」
「では、俺の武勇伝をここに書け」
そいつは恐ろしく傲慢そうな顔でそう言った。
「失礼ですが、どちら様で」
俺は震える声でそいつにそう訊いた。
「俺は、悪魔だ!」
「お、恐れ入ります」
なんか訳のわからない言葉で俺はそう応じた。
「俺の数知れない陰謀と策略と戦闘の歴史をここに書けと言うのだ」
「は、はい」
俺は素直にそう答えた。仮に嫌ですと答えたら何をされるかわからないじゃないか。
「想えば俺は神との闘争に明け暮れていた」
「なるほどです」
俺は江戸時代の
「さて何処から書こう」
悪魔はそういうと太い腕を組んで暫らく思索したみたいだった。
「まず、タイトルはレジェンド・オブ・悪魔」
そう言って悪魔は俺を睨んだので、その通りをタイプした。
内心俺の胸はときめいていた。恐怖よりこれから悪魔の口から語られるであろう、様々なエピソードを俺は悪魔本人から直に聞けるのだ。脳下垂体から変なホルモンが分泌されたみたいだった。
――これはもしかして大変なドラマになるかも知れない。
俺はそう思って悪魔のいう一字、一句も聞き逃すまいと聞き耳を立てた。
「時は紀元前まで遡る。地獄の黒雲を電光が切り裂いた…」
すげえ。と俺は思った。心臓が再びドキドキしだした。ついに俺は名作の執筆に取り掛かるのかもと思った。
が、その時だった。
「待てーっ!」
という甲高い声が耳を
そこには色白の小さな男の子が立っていた。いや立っていたという表現はあたらない、彼の足は床から数センチ浮いていたから。
その子は白い衣を纏い、背中に白い羽を生やしていた。金髪の上品な顔立ちの少年だ。ちょうどウィーン少年合唱団の一人みたいな顔をしていた。
俺は天使だと直感した。悪魔が存在してしまった以上、天使もいてしかるべきだ。
「こ、こんなところまで貴様何しに来た!」
文字通り悪魔が悪魔のような顔をして怒鳴った。
「神様がおまえにものを書かせてはならぬとおっしゃった。悪魔崇拝の邪教を広めるのがお前の魂胆なんだろ」
天使の言葉は凛々しかった。
「くっそー!」
次の瞬間天使は指先から電光を奔った。悪魔があわてて身をひるがえした。
「ちくしょー、憶えてろ!」
悪魔にしては陳腐な捨て台詞だった。そして悪魔はその場から消え去った。
天使が俺を見て微笑んで言った。
「危ないところでした。あんな奴と関わっちゃ危ないですから」
俺は安心した一方、ちょっと残念でならなかった。悪魔の話を俺はもう少し聞きたかったんだ。
その天使は天界になかなか帰ろうとしなかった。そして眼を細めてこう言った。
「題名は天使でいいです。天使という題名の僕の伝記を書いてください。いいですか
僕の言うとおり、一時一句間違わないでくださいね」
俺はたぶん不思議の国のアリスみたいな顔をしてパソコンに向かっていた。
なるほどファンタジーになると俺は思った。いやノンフィクション天使になるのか?
俺の心に色んな想像が湧きあがってきた。
それはキーボードに指先が触れる瞬間だった。
「待て」
という声がした。俺と天使はほとんど同時に振り返ったと思う。
「か、神様……」
天使の声が上擦っていた。そこには神が厳粛な表情で俺達を見下ろしていた……。
――まさか、まさか。あなたには既にベストセラーがあるじゃないか!!
了
野望 松長良樹 @yoshiki2020
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