仲間が全員人じゃない件について

こたつねこ

第1話

 夕暮れ、この時間帯になると仕事を終えた冒険者の面々が疲れを癒そうと帰路に着くか、もしくは夜間が書き入れ時となる酒場だの娼館だのに足を運ぶ事となる。

 自分は後者に属する人間だった。冒険者ギルドにて一日分の報酬を貰った後、大した稼ぎもないのに仄暗い闇に染まった街中をふらふらとして、酒場に入る。


 あの安宿に帰っても眠れる気がしなかった。かと言って、金を払ってまで女を抱く気も起こらず、そもそも俺の稼ぎでは路地裏で客引きをするような薄化粧の女しか選べないだろう。

 席に座り周りをふと見回してみれば、案の定と言うべきか多くの冒険者が見えた。


 皆一様に、今日の稼いだ額を口にして楽しそうにしている。尤も、中には俺のような惨めな思いをしている人間も居るが、彼等とてパーティーを組んで生計を立て、自身らの境遇についてを共有している。

 一人寂しく、胡乱な瞳で辺りを眺めているような人間は俺だけだった。


 席に届いた酒は琥珀色の、一杯につき銅貨五枚分程度の安酒で、いざ喉に流し込めばそれに味なんてなく、アルコールによるひりつくような痛みが喉に残るだけだ。

 それでも酩酊感を得られるのなら何でも良かった。何せ素面のままでは碌に眠れもしないのだから。


 グッと安酒を煽り、グラスの中身が空になったのを確認するなりもう一杯を頼もうとして、止まる。

 俺は机の上に今日の稼ぎを並べた。皮の袋をひっくり返せば、硬質な音を立てて数枚の銅貨が机の上を転がる。枚数は八枚、酒を二杯頼めば赤字だ。


 採取系の依頼は稼げない、と言うより大体が歩合制の上に採取する代物を別の冒険者に取られる事が多いので、こんなしょぼい報酬しか貰えない。それに自分はPTを組んでいないソロだ。稼ぎが少ないのは当然と言えた。

 

 昔は上質な酒を呑みながらパーティーと夢を語り合ったものだが――。

 そこまで考えて思考を止める。あの連中とは縁を切ったのだ。例え縁を切った結果がこれでも、自身の選択は間違いではなかったと信じたい。


 浮ついた感覚が少ない。金銭に余裕がないものの結局二杯目を頼もうとした時、自分の座る席に断りもなく同席し、その上で微笑むような見慣れた顔が見えた。

 

「久し振りね。元気にしてたかしら」


 彼女の声音には久方振りの再開を感じさせないような親しさがあったが、生憎こちらはこの瞬間を以て今日と言う日が最悪の一日であることが決定付けられる。


「……魔術師。何の用だ」

「ノーチって、名前で呼んで頂戴よ。それにしても随分な落ちぶれようじゃない、アルバ。安そうなお酒呑んじゃって」


 ――忘れる筈もない。この元パーティーメンバーの彼女とは数か月単位を跨いでの再開であったが、その容姿は兎も角、身に纏う服装も最後見た時と全く変わりがなく、妙な感覚になる。


 ニヒルに見える彼女の空虚そうな笑みとか、人の心の内まで見透かしそうな碧眼の、冷めた瞳とか、小まめに手入れがされていそうな美しく、鮮やかな赤色の長髪とか、何も変わりがない。

 日光に当たらないように肌の露出が少ない新緑色の、彼女の職業である魔術師然としたローブも相も変わらず身に着けているようで、唯一変わった点と言えば俺を見据える瞳に仄暗い感情が混ざった事と、多少顔色が悪いように見えるくらいの事だ。


 ノーチと顔を合わせてから周囲の喧騒が強くなり、視線が集まるのを感じた。何せ今のノーチ含む、俺と元々組んでいたパーティーの連中は知名度が高い。

 正確には俺がパーティーに入っていた頃からそれなりに有名ではあったが、現在においては彼女らの冒険者としてのランクも高くなり、注目されるようになったような形だ。


 故に見すぼらしい恰好で安酒を煽る俺のような人間に対し、彼女が話し掛けたと言う絵面が物珍しかったのだろう。更に言えば彼女自身、他者に向けてあまり関心を寄せないようなタイプなので余計に視線を買っている。

 

「ひぃふう、みぃ……。銅貨が数枚。もしかして、これが今日の貴方のお給料? こんなんじゃあ何も呑めないじゃない、冷やかしに来たの?」

「……1番安い酒なら呑める」

「ハ。そんな泥水呑んで酔ってるのね。文字通り泥酔するわよ?」

「余計なお世話だ。それで、皮肉を言いに来たのか。なら申し訳ないが席を移動させて貰う。不味い酒がもっと不味くなるからな」


 辟易した思いと共に席を立とうとした拍子に、彼女の顔がちらりと見えた。

 含みのある薄い笑みを浮かべて、感情を排したような無機質な瞳で席を立った俺を見据えている。良く見れば、その瞳は吸い込まれそうな碧眼ではなく赤い、血を彷彿とさせるような色に変化しており、雰囲気も何処となく威圧的だ。


 ノーチの目線は俺にのみ向けられており、周囲の人間が彼女の目の色が秘かに変化した事を気付く事はなかった。

 一先ず、周りの人間にその事を気取られるよりも早く浮かせた尻を再度席に落ち着かせ、動揺を悟られないようにと酒を煽ろうとするも、氷の溶けた味しかしない。


 先ほど中身を飲み干したばかりなので当然と言えば当然なのだが、その俺の一連の行動を滑稽だと思ったのか噴き出すように笑う声がした。

 言わずもがな、笑い声の主はノーチ本人である。


「あー、面白い。そんなに焦らなくていいじゃない、もう。店主さん、私と彼にお酒頂戴、一番高いのでいいわ。折角だし」

「……何のつもりだ」

「ん、何に対してかしら」

「判るだろう。こんな人の目の付くような所で自分の正体を晒すような真似をして、バレたらどうするんだ。無事じゃあ済まないぞ」

「……へぇ。もう仲間でも何でもない癖に、心配してくれるんだ。優しいのね」


 笑い声がふいに止まり、ノーチの笑みは暗く、影のあるものに戻った。

 自分自身これが水を差すような言葉である事は自覚していたが、そもそもこのまま仲良くお話を続ける方が、自分と彼女との関係を顧みると異質と言えるだろう。


 店主が上等そうな容器に入った蒸留酒とグラスを二つ運んで来て、彼女が中身を注いでくれた。

 そのアルコールの強い香りと、宝石を溶かしたような琥珀の色合いに興味が惹かれない訳ではないし、値だって今の自分の稼ぎだとグラス一杯どころかワンフィンガーも舐めれないだろうけど、呑む気にはなれない。


 酒を呑まず先程の答えを待ち続ける俺に苛立った様子を見せながら、唇を湿らすように口を付けるノーチだったが、途中で気でも削がれたのかグラスを置いた。

 おそらく彼女も、辛気臭い相手の顔を見て呑む気が失せたのだろう。それとも単に答える気になったのだろうか、最早彼女の仲間ではない俺にはノーチが何を考えているのか判らなかった。


「仮にバレたら殺せばいいのよ。それこそ、酒場の人間すべてね」

「……本気で言ってるのか」

「本気よ。この際だから言っておくけど、貴方がパーティーを抜けてから皆自暴自棄になっちゃってね。別にバレちゃってもいいかなって、思ってるのよ――自分達が人間じゃない事を」


 蠱惑的に、けれども何処か空虚に微笑むノーチの声は周囲の喧騒に吞み込まれる程小さかったが、自分にとっては周囲の喧騒こそが遠かった。

 瞳は又しても赤色を帯びている。血のように赤い、禍々しく残酷な色だ。その瞳の色はノーチが人外の類である事を象徴していて、この世界で言う『悪魔』に分類されるのだろう。


 最早魔王が殺されて長い時が経ち、それと共に多くの悪魔が消えたが――中には生き残りも居た。

 尤も悪魔の多くは傲慢なまま死んで行ったが、その中の少数の生き残りの大体は人との共存を選択し、人間の作ったこの社会にひっそりと溶け込んでいる訳だが。彼女はその自身の選択を捨てても構わないと明言したと言う訳で、それはつまり人に仇なす怪物になっても構わないという事になる。


 事実上の敵対宣言とも捉えかねないノーチの言葉を、俺はどう受け取ればいいか判らなかった。

 自分がパーティーを抜けた理由だって、自分達が人外の類である事を暴露されて、彼女達とは共に居られないと判断したからだ。


 今思えばあの瞬間に、彼女らに剣を向けるべきだったのかもしれない。それをしなかったのはおそらく、自身の情から来るものだったのだろう。簡単な話、俺はあの時彼女らを殺す事も受容する事も出来ず、逃げたのだから。


「私はまだ我慢が効くけど、あの子――僧侶ちゃんは、そろそろ限界みたいよ。剣士は相変わらず何を考えているか判らないけど、思う所はあるみたい。貴方の席もまだ空けておくから、早く結論を出して頂戴。じゃないと、もっと嫌がらせするから」

「……やっぱり、俺にだけ渋い仕事が回るのはお前らの仕業か」

「ええ。お金と、あとは少しの魔力があれば人間なんて簡単に操れるのよ」

「そうか。それにしても意外だな、個人的にはお前が一番辛いのだろうと思っていたんだが――」


 流石にこちらも皮肉や嫌味のひとつやふたつと口にした矢先、抵抗する暇もなく、彼女の華奢で細い腕からは想像も付かないような力で自分の腕を引っ張られ、周囲の動揺も他所に外に連れ出された。

 外はもう夜の帳が下りており、その中を足早に腕を引かれ無理矢理歩かされている訳だが、間もなくして人気のない路地裏に来たかと思えば今度は、お互いの身体が密着し、熱を感じる程の距離にまで詰め寄られる事となる。


 ノーチはその見目の良い顔を俺の首筋に近付けて、婀娜やかな吐息を漏らした。

 血のように赤いままの瞳を路地裏の光も当たらない暗闇に爛々と輝かせ、我慢が効くと言った癖に限界だと言うような切羽詰まった表情でこちらを見上げて来ている。


「良く判ってるじゃない。本当は久々に貴方に会ったのだし、いい恰好見せたかったのだけど。でも、そろそろ精神的な意味合い以前に、喉が渇いて仕方がないの」

「……まさか、お前」

「ええ。貴方がパーティーを抜けてから、血を一滴も飲んでなくて。貴方が私達の元から去った理由は、私達が怪物だからでしょう。だから、人の真似事をしてみたのだけど――【吸血鬼】が血を飲まないだなんて、まず無理よね」


 ノーチの正体は吸血鬼だ。人の血を吸い、永久を生きる悪魔。

 その並外れた身体能力や、人とは比べ物にもならない桁違いの魔力――正真正銘の怪物であるが、その代わりに幾らかの制約がある。人の血を吸わねば生きる事が出来ないと言うのも、その内のひとつだった。


 彼女が吸血鬼だと気付いたのも、戦闘後に流した俺の新鮮なままの血を舐め掬っていたからで、

 当初は妙な趣味か性癖かと気味悪がる程度だったが、後にこちらの気配に気付き振り向いたノーチの赤い瞳を見て、意図せず正体を知ってしまったのだ。

 

 俺は暫しの逡巡の後、自身の外套の服をずらし、首元を露にした。俺の行動に丸い目をするノーチだったがすぐに意味を理解したようで、口を開けば尖った犬歯が路地裏に差し込む月の光にあてられ輝いて見える。


「……すまない。少し、時間をくれ。お前等を殺すべきか、共存すべきか。その間、俺の血を吸わせるから」

「ええ、貴方の血が貰えるなら何時までも待ってあげる」

「吸う際に魔力は込めるなよ、眷属にはなりたくない。それと、あまり吸い過ぎないでくれ、頼むから」


 一先ず納得したように彼女は首肯したものの、念の為に自分の魂に類するものを自身の魔力で保護しておく。ノーチに抱いた感情は同情であり、信頼感を得る程のものではないからだ。

 それでも彼女の安堵したような笑みを見ると、俺と彼女とがまだ仲間であった時の事を思い出してむず痒い感情を覚えて仕方ない。


 歯が首筋に食い込んで滴る俺の血液を、ノーチの生温い舌が肌をなぞりながら舐め取った。その際に感じた鋭い痛みと浮ついたような悦楽は、酒に酔っているからだと言う事にしておこう。

 今日はあの安宿の床でも、眠れるような気がした。


 ***


「やぁ、遅かったじゃないか」

「うわ、まだ起きてたのあんた」


 上機嫌な気分で帰って来た矢先、もう夜も遅い時間だと言うのにまだ起きて武器の手入れをしている自分の仲間に思わず声を上げる。

 厄介者を見たとでも言うような私の物言いに――まぁ実際に今一番見たくない顔の相手が彼女だったし、あながち間違えでもないのだけど――彼女は仮面のような薄い笑みを貼り付けるだけだった。

 

「機嫌がいいね。何かあったのかい?」

「ふん、あんたには関係がない――」

「彼に会って来たのかな。それでついでに血を貰ったと」

「……もしかしてあんた、見てたの?」

「血、付いてるよ。頬の所に」


 思わずぎょっとして頬の所を擦ってしまう。こういう時、自分の姿が鏡に映らないと言うのは不便だ。

 取れたのかと尋ねると彼女は悪びれた様子もなく「ごめんね、本当は付いてないよ」と答えて、その時に自分がハッタリに引っ掛かったのだと気付いた。


 そこでようやく彼女は武器を手入れするのを止め、こちらに向き直った。

 悪魔特有の赤い目。互いに人外の類なのだ、別に隠す必要もないのだけど、彼女の鮮烈な赤だと言うのに何処か無機質な瞳を見ていると、底の知れない恐怖を時折覚える事がある。


 外はもう厚着をしないと肌寒い季節だが、皮肉なことに人外の住むこの家は自分らが正体を隠していると言う事もあり、それなりの豪邸だ。

 焚火の傍で質の良いソファに腰掛ける彼女は部屋着のラフな格好で、炎の色に照らされた彼女の白い長髪も薄い笑みも外見は良いので絵にはなる。が、実際の所何を考えているのかは長い付き合いだけど判らない。そんな女だ、コレは。


「ただまぁ、君から血の臭いがしたのは事実だよ。ボクの鼻がいいのは知っているだろう。となると、彼と密会しているのは確実だろうね」

「何でそうなるのよ」

「彼の血が好きなのは知ってる。それこそここ最近、他の人間の血を飲む気が失せるくらいに。随分な偏食家なんだね」


 言われて思い出す。彼の血の味を。

 人の真似事をする為に血を飲まなかった等とのたまったが、本音を言えば彼以外の血を口に入れる事にほんの少しの抵抗感があっただけだ。あんな不完全で、脆弱な人間になる気なんてさらさらない。


 人の血は様々な理由によって味が左右される。本来のその人が持つ血の味の他、健康状態、処女か否か、個人の魔力の質等々。

 特に自分は、相手がその時に抱いている感情の煩雑さから来る味の変化が好きだった。


 思い出す。彼の血の味を。

 吸血行動の際に感じる僅かな悦楽。怪物に血を吸われていると言う恐怖心。嘗ての仲間に対する温情と失望。そして、おそらくは彼の奥底に潜んでいるであろう、何かに対する仄暗い感情。


 おそらくは、私達に対するものではないと思う。何せ自分が初めて彼の血を口にした時から既に、あの味がしたのだから。

 自分は彼の何かに抱いている感情が好きだった。それとは別に、彼の仄暗い感情の正体に対する興味も湧いた。


 結果節操なく彼の血を口にしていたら自分が怪物である事を見破られた訳で、仲間に対する申し訳なさもあるし、更に言えば彼の血の味を知ってしまったからか別の人間の血を魅力的に思えなくなったというダブルパンチ。正直言って反省はしている。

 思いに耽っていた私の意識を、彼女の声が呼び戻した。口元に腕をやると涎が垂れている。全く以てはしたない。


「……まぁ、抜け駆けした事は反省してるわ。その代わり、彼に早めに答えを出すようにと催促しておいたから」

「ふぅん。まぁ、ボクは構わないけどね。僧侶が知ったら嫉妬するかもしれないけど――にしても、そんなに彼の血って美味しいのかい。肉になら興味あるんだけどね」


 彼女の種族は悪魔に分類される『人狼』だ。

 満月の夜に人を食らい殺す獣のようなもの。事実髪の色と同じ色をした尻尾と耳がある。人前では赤い瞳を隠して、自身が亜人に属する種族だと公言している訳だが。


「自重しなさいよ。血は飲んでも増えるだろうけど、肉はそうもいかないでしょう」

「あはは、そうだね。仮にさ、ボクが彼の血を横取りしたら、君。怒るかい?」

「――さぁ、どうでしょうね」


 自分以外の誰かが、彼の首元に顔を埋めて血を飲んでいる。

 ああ、独占欲など抱く年でもないのに、浅ましい。まぁおそらく、殺すだろう。彼の血の味を知る者は自分ひとりで充分なのだから。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

仲間が全員人じゃない件について こたつねこ @kotatukoneko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ