第64話 誰かの特別になるために
「そんなこと……ですむような問題じゃないんだよ!」
私は、そのすべてを見透かしたような態度に無性に腹が立って龍山の姉を怒鳴ってしまった。
大人げないって自分でもわかってるけど……ああそうだよ!
思い込んだだけだって知ってたさ!
どうしようもないから諦めただけだってわかってたさ!
でも、そうやっていろんなものを諦めていくのが大人なんだよ!
寂しさを身体に蓄えていくのが生きていくってことなんだよ!
まだ大人にすらなってない高校生の女に生き方を批判されたくないんだよ!
「婚約なんてそんなことですむ問題の代表例ですよ。私は辰馬が結婚しようが関係なく愛し続けます。愛してるっていうこの気持ちを伝え続けます」
「ははっ、なんだそりゃ。そもそも論としてそれは諦めろよ。姉弟だろ」
「姉弟なんて私には関係がありません。中本先生だって、相手が結婚するとかしないとか、そんなものは気持ちを伝えるのに関係ないですよね?」
「でも私は……もうふっきったから」
「本当にふっきっている人はここにいないし、ここで泣かない。違いますか?」
拳をぐっと握りしめる。
図星だ。
完全なる図星だけれど、どうしようもないことはある。
この先、私はこの後悔をずっと抱えて生きていくのだ。
仕方ないのだ。
「青春とは後悔なんだよ。だから私の叶えられなかった恋は特別なんだ。いつだって思い出せる、素敵な、キラキラしてる、一生懸命だった、そんな後悔になったんだ」
「後悔が輝くことなんて決してありません」
私がよりどころにしていたわけのわからない理由も、こいつは容赦なく一刀両断してくる。
真剣白刃取りができるほどの力はもう残っていない。
「中本先生」
私に歩み寄りながら、龍山の姉が柔らかな声で続ける。
「青春にはたった二種類しかないんですよ。それは愛すべき弟がいるかいないか」
「すまんがそれは絶対に違うと思う」
「つまり弟がいない人の青春はみんな陳腐ってことです」
「おい無視するな」
「特別なんてないんです。自分の青春時代を過剰に美化して過去にとらわれる人は、いまを生きている誰かの特別になんか一生なれない」
「そんなこと、そんなことは……」
自分でもわかっている。
私の青春なんてありきたりだ。
ただ、好きな人に告白できなかっただけ。
そんな人間この世界には大勢いる。
私の生き方に特別も陳腐もあったもんじゃない。
「過ぎ去った青春時代を特別だと思うくらいなら、いまを特別にする努力をした方がいい。それが本当の後悔のない人生なんじゃないですか?」
「うるせぇなぁ。生徒が教師に説教垂れてんじゃねぇよ」
「説教じゃなくて事実です。愛すべき弟がいない時点でシャリだけのお寿司を食べてるみたいなものなんだから、恥ずかしくても不恰好でも、いまを足掻いたらいいじゃないですか。自分に正直になったらいいじゃないですか」
そうですよね、中本先生。
私の震えている肩に彼女の手がポンと置かれた。
やべぇ。
まじで情けねぇ。
教師の威厳もへったくれもあったもんじゃねぇな。
「マジふざけんなよ。逃げ場がなくなったじゃねぇか」
「中本先生は逃げたんじゃなくて、最初から立ち向かおうとしなかっただけでは?」
「この逃げ場もつぶしてくんのかよ」
ほとほとうざいなこいつ。
でも、その通りだ。
きっと私は、ただずっと、十年間ずっと、好きな男に告白することを怖がっていただけなのだ。
「この歳で告白に失敗とか、一生独身確定みたいなもんなんだぞ。アラサーは勝利確定の勝負しか挑まないもんなんだぞ」
「アラサーの女にはもう勝利確定の勝負は回ってきません」
「お前はほんと遠慮なく何度もぶっ刺してくるな。前田利家かよ。薬物中毒のキツツキかよ」
「大丈夫です。もし中本先生が告白に失敗したら、本当に仕方ないですが、私と一緒に辰馬を愛する権利をあげます。月に一回くらいなら好きな時に貸してあげます。それでどうですか?」
「言ったな? その時にホテルに連れ込んで骨抜きにしてもいいんだな? 私がその気になれば一回で充分だぞ?」
顔を上げ、笑いながら睨みを利かすと、龍山の姉は腕を組んでその大きな胸をくいと強調させた。一歩だけ前に出てその胸を私の胸にぱふんと押しつけ、同じく笑いながら睨み返してきた。
「やれるもんならやってみなさい。辰馬はすでに私の身体にメロメロよ」
へぇ、こいつ、結構いい胸してやがるじゃねぇか。
こんな爆弾級の胸を見慣れてる辰馬を満足させるのは、私でもそう簡単じゃねぇなきっと。
知佳、頑張れよ。
お前の彼氏を満足させる方法なら、いくらでも教えてやるから。
――あ、そもそも間違えたわ。
いい胸じゃなくて、いい度胸してやがるじゃねぇかの間違いか。
ま、どっちも同じようなものだけど。
「高校生風情が調子乗んなよ。大人のテクを舐めんな。覚悟を決めた大人の色香に勝る魅力なんざどこにもないんだよ」
「若さに勝るものもないですけどね」
「うるせぇ。二十八は充分若いんだよ」
私は胸で彼女を軽く突き飛ばしてから歩き出す。
マジムカつくなぁ。
高校生風情の言葉に乗せられて、勝ち目のない勝負に挑みに行くとは。
でも、いまの方がはるかに気持ちいい。すがすがしい。
これがアラサーの青春か。
「私は……もう酔ってない」
そう呟きながら、辰馬の姉の横を通り過ぎたときだった。
「中本さんっ!」
エントランス横の関係者以外立ち入り禁止と書かれた扉が開いて、そこから桜坂くんが表れた。
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