第63話 青春とは
「なんで……結局」
こんなところに来てしまったのだろう。
私はメインホールとエントランスの間の通路を歩きながらマスクとニット帽を取り、嘲るように笑った。
貰ったチケットはあのバカップルにあげたのに、新たにチケットを自分で取ってしまった。
彼に結婚相手がいると知ったときに、もう彼は過去のトラウマや周囲の期待に縛られるような人間ではないと悟ったときに、私だってあの恋と青春の残り香から決別したはずなのに。
「まだ、恋を追いかけてるなんて」
こんなんじゃだめだ。
恋は叶わなかったけれど、私の青春は、ほかの誰も経験しえない私だけの特別な時間だ。
完全に取り戻せないことを知ったからこそ、その一瞬一瞬がかけがえのない宝物になるのに。
寂しすぎる後悔からはもう卒業したのだ。
過ぎ去った青春時代に手を伸ばし続けるような、過去の後悔をお酒のつまみにするような大人なんて、惨めなだけなのに。
「私は……やっぱりまだ酔ってる」
「中本先生」
通路からメインエントランスに出て、いち早く立ち去ろうと早歩きを始めたまさにそのとき、後ろから声をかけられる。
学校でしか呼ばれない呼ばれ方を学校外でされると違和感ありまくりだ。
しかもこの声の主は……。
「龍山の……姉」
振り返ると、そこにはわが校の生徒会長がいた。
そういやこいつ、龍山と知佳が舞台に上がる前になんかいろいろ叫んでたな。学校で接しているときの品行方正さの微塵のかけらもない姿だったから、本当に驚いた。
ま、どんな人間だって裏と表はあるから、それで彼女の評価が下がることはないけれど。
「そんなに驚かないでください。それより、もう一度私のことを呼んでいただけますか?」
「……は?」
なんかすげー目をキラキラさせてるんですけど。星空でも吸い込んだんですか?
「だからなんだよ。生徒会長さん」
「ふざけてるんですか、中本先生。先ほどと同じように呼んでくださいと言ったはずですが?」
おいおいなんで今度は怒ってんだよ?
さっきと同じって、たしか……。
「えっと……、龍山の、姉?」
「はうんっ! それですそれっ! 私は辰馬のお姉ちゃん! 私こそが辰馬のお姉ちゃん! そう呼ばれると興奮が止まりませんっ! 辰馬の最愛の姉だなんてっ!」
「最愛とまでは言ってないぞ?」
「もう、照れなくてもいいじゃないですかぁ」
「猫なで声使う相手間違ってるぞ!」
な、なんだこいつー!
急に身もだえし始めたぞ!
これは私のせいなのか?
さすがに裏が強烈すぎて評価が爆下がりしそうなんだが!
「……っと、すみません。取り乱しました」
「いや、いまさら冷静になられても遅いし別にいいけど」
私はひとつ咳払いをしてから、まだ頬を赤らめている龍山の姉に問う。
「呼び止めたってことはなにか用があるんだろ?」
「いえ、私には全くこれっぽちも中本先生を呼び止める用事なんてありません。むしろ愛する辰馬にすぐに会いに行けなくて少し恨んでるくらいです」
「だったらなんで呼び止めた?」
「中本先生がここでやらなければいけないことがあるからですよ」
龍山の姉の鋭い視線に思わずたじろぐ。
私がやらなければいけないこと……。
そんなの、そんなものは。
「あるわけないだろ。強いて言うならこの後一人で飲むための酒を買いに行くくらいだな」
もうふっきったのだから。
私の青春は特別なのだから。
「先生が生徒に嘘をつくのは感心しません。辰馬からすべて聞いてますよ。あなたが、マジシャンYUSHINのことを好きなんじゃないかってことを」
「なっ――――」
思わず足が一歩前に出た。
その行動をとった後で、『はいそうです』と返事をしたのと同じようなものだと気づいても、もう遅い。
「チケットを辰馬たちにあげたのにわざわざ自分でチケットを取って、しかも変装までして見にくるという一貫性のなさ。優柔不断さ。もうそれって未練があるって言ってるようなものですから」
「元同級生の活躍を見たくなっただけだよ」
俯いて、下唇をぐっと噛みしめる。
「俳優なんて夢見るんじゃない! って家から追い出した子供の新聞記事を、ピンナップにして大事に保管してしまうような親心だよ。私の気持ちは」
顔を上げ、ゆっくりと頬を緩めて笑う。
そうだ。
私がここに来た理由は絶対にそれだ。
それを他人に理解されなくてもいい。
自分が、自身が、その理屈で納得できているのだから。
だって私はもう、こういう生き方もありかもしれないと諦めたのだから。
青春とは後悔だから。
それが簡単に取り戻せるような後悔なら、私の青春は陳腐に成り下がってしまう。
取り戻せないからこそ、その一瞬一瞬がかけがえのない宝物になるのだ。
「中本先生。人間って、結局はみんな自分を肯定したいだけなんです。人間は後からいろんな理由をこねくり回して自分の選択を正しいと思いたがる生き物なんです。だって後悔と一生を添い遂げるなんて辛すぎるから」
龍山の姉は私の目をじっと見つめている。腹の底まで見透かされているよう恐怖を感じたが、目を逸らしたら負けだと思った。
「たしかにそうかもしれないな。でも、もし仮に私が桜坂くんのことを好きなのだとしても」
あれ?
なんで私、もし仮になんて言ってるんだ?
桜坂くんのことを好きなのだとしても、なんて言ってるんだ?
もう散々諦めたんだと、それをかけがえのない宝物にしたんだと思い込んだはずなのに。
「彼にはもう婚約者がいる。だから、どうしようもないんだよ」
くそ!
なんで涙が出てくるんだ。
生徒の前で泣くなんて情けない。
二十八歳の女が見せる涙なんて、重くて惨めで汚らしいことこの上ないのに。
「なんだ。中本先生はそんなことを気にしてたんですか」
やれやれと言わんばかりに大仰にため息をついたわが校の生徒会長が、にやりと不敵に笑う。
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