第62話 マジックみたいに

「なんだ。いい感じでそらせたと思ったんだけどなぁ」


 少しだけ赤い頬を人差し指でかきながら桜坂さんが続ける。


「君たちの言葉通りだよ。本当は、君たちの代わりにあの席に座っているはずだった中本さんを舞台に上げて、僕と彼女であのマジックをやる予定だったんだ。手が離れたと思ったら赤い糸がつながっているっていう演出で感動させた後、観衆の前で告白する。一度僕たちは離れてしまったけど本当はつながっていた。僕と彼女が歩んできた人生みたいにしようと思ってたんだ」


 桜坂さんは、どうだい洒落てるだろ? と言わんばかりに自慢げな目をしている。


 が、俺には桜坂さんと中本さんの歩んできた人生がわからないので、どこがどう洒落てるのかわからない。


 けど、という部分とから、高校時代にその恋愛は成就していないことは察した。


「でも、やっぱり彼女は来なかったね。無理もないけどさ。卒業間近にひどいことを言って、それを謝りに来たのが十年もたってから。そんな男、失望されて、嫌われて当然だよ。きっと同窓会の日は、彼女が大人の対応をしてくれたんだ」


 最後の言葉は俺たちに語りかけているというより、自分自身を説得しているように聞こえた。


 中本先生に告白できなかったことに対するそれっぽい理由を自分の中で作り出して、諦めたことを正当化するために。


「妹の美優が高校の同級生と結婚することになって、どこかで僕もまだ……って期待してたんだ。大人になってからは時間がたつのがどんどん早くなるから錯覚してたよ。傷つけたまま十年も放置しておいて、なにをいまさら自分の都合のいいように解釈してんだよって感じだよな」


 桜坂さんは、控室の蛍光灯を見つめながら嘲るような笑みを浮かべている。


 俺はそんな哀愁漂う大人になってしまった男を見て、中本先生の思いに気づいていない鈍感男を見て、心の底から苛立っていた。


 まるで、過去に縛られていたときのうじうじしていた俺を見ているかのようだったから。


「それのなにがいけないんですか?」


 声に熱がこもる。


「都合のいいように解釈して、なにが悪いんですか? 他人の気持ちなんてわからないのに。だから伝えたいことを伝えるしかないのに」

「……え?」


 まさか高校生に説教されると思っていたなかったのか、桜坂さんは口をパクパクとさせている。


「十年かかったけどあなたは謝れた。それはすごいことなんじゃないですか? いつだって人間は変な意地はって、プライドを気にして、謝れなくなる」


 俺はお母さんに永遠に謝れなかった。


 それと比べれば、桜坂さんのなんと誠実なことか。


「それは……十年たったからこそだよ。時がたったから謝れただけ」

「どうでもいいんだってそんなのは!」


 俺は桜坂さんに一歩詰め寄る。


「言いたいことがあるなら伝えればいいんです。たったそれだけじゃないですか!」

「他人がって言えちゃうことってさ、当人にはどんなすごいマジックよりも難しいものなんだよ」

「来てたんだよ!」


 俺はそれっぽい屁理屈ばかりをこねる桜坂さんを睨むように見据える。


「今日、中本先生は来てたんだ!」

「そんなはずないだろ!」


 桜坂さんの声にも少し凄味が増す。


 太ももの上のこぶしは小刻みに震えていた。


「だって僕が招待した席には君たちが」

「俺は! カップルに不幸が訪れたときに人目もはばからずに狂喜乱舞するような女の人は一人しか知らない!」


 桜坂さんの肩がピクリと上下した。


 目元が歪む。


 眉間に皺がよる。


 耳が少し赤くなりはじめている。


「俺たちの先生は独身こじらせてて、生徒をリトマス試験紙だと思ってて、本の角で殴ってきて、使う言葉が古くて、カップルの不幸をこの上ない悦びに感じてて、実験器具の片づけも自分でしないけど!」


 俺は大きく息を吸い込む。


「中本先生は生徒思いの尊敬できる素敵な女性なんです! そんな人を桜坂さんはいつまで待たせるんですか! 今日こっそり見に来てたことがなによりの証でしょ!」

「龍山、くん……」


 桜坂さんは下唇をかみしめながら顔を伏せていく。


 太ももの上のこぶしの震えはさっきよりも大きい。


「私も辰馬と同じ意見です。告白の言葉を演出だのなんだので着飾る暇があるなら、いますぐにでも会いに来てほしいです! 虚飾されてない丸裸な気持ちを伝えに来てほしいです! 私はそれが一番嬉しかったんです!」

「梓川さん、も……手厳しいな」


 そうつぶやきながら、桜坂さんが顔を上げる。


 そのこぶしはもう震えてなどいなかった。


 ステージ上でマジックを披露していたとき以上の精悍な目をしていた。


「情けないな。高校生にどやされるなんて」


 ドMニストだからちょっと興奮したけどね。


 なんて冗談を間に挟んでから、桜坂さんは続ける。


「僕は、ただ相手に気持ちを伝えるのが怖かっただけなのかもしれないな。だから十年も放りっぱなしにした。自信がないから過度な演出を告白につけ加えようとした」

「そんなもの必要ありません」


 そう言い切った知佳が、俺の手をぎゅっと握る。


「私は、辰馬の言葉ならどんな言葉でも嬉しかった。相手の思いが宿っている言葉だったから、本当に嬉しかったんです」

「ありがとう。龍山くん、梓川さん」


 感謝の言葉を述べた桜坂さんは、俺たちのつながった手を羨ましそうに眺めた後で、「よしっ」と力強くつぶやいた。


「どうやら僕はいますぐ中本さんに告白しなきゃならないようだね。待たせていいのは某少年漫画の連載だけだよね」


 桜坂さんの目にもう迷いは感じられなかった。


 よしっ、俺たちの役目はこれで終了だ。


 中本先生の方は……ま、姉ちゃんなら大丈夫だろ。


 実は控室に来る前、俺は姉ちゃんと連絡を取り合っていた。


 中本先生と桜坂さんの気持ちがすれ違っている。


 そういう推測を立てていた俺は、姉ちゃんに中本先生を足止めするように頼んでいたのだ。


 そして、弟の頼みを姉ちゃんが守らないわけがない!


 なんたって俺の姉ちゃんは、超変態ブラコンシスターだからね!


「桜坂さん。中本先生はいまこの会場の入り口前にいます。俺の姉ちゃんが足止めしていますから」

「そう、なのか」


 桜坂さんは目を閉じてから深くうなずいた。


「だめだ。なんて伝えればいいのか全然まとまってないけど…………それでも行ってくるよ」

「はい、俺もうあの人に独身いじりするのいい加減飽きてるんです」

「私も応援してます。心の中にあるものを全部出しきってください」


 俺も知佳も桜坂さんに精いっぱいの思いを託す。


「タネも仕掛けもないことをするのがこんなに緊張するなんて……ドMだからゾクゾクが止まらないな」


 パイプから椅子立ち上がった桜坂さんは、俺たちと固い握手を交わした後、すぐさま控室を飛び出していった。


「告白するときにゾクゾクが止まらないのはドMだからじゃないんだよなぁ」


 開いたままの控室の扉を見ていると、知佳に告白した時のことが鮮明に思い出される。


 あのときはこれ以上ないって程の緊張で、心臓バクバク身体ゾクゾクだった。


 誰もがそうなって当然なはずだ。


「な、知佳もそう思うだろ?」

「……いや、えっと、私は…………」

「ん? 知佳?」


 え? なんでなにも言わないの?


 目を伏せてるの?


 ちょっと引いてるの?


 告白するときにゾクゾクするのって当然のことだよね?


 当然だって言ってよ知佳?


 もしかして俺もドMニストの可能性もあるのーっ!?


「ふふふ。ごめんって。ちょっとからかってみただけ」


 顔面蒼白になっているであろう俺の顔を見て笑い始めた知佳は、俺の腕にむぎゅりと抱き着く。


「私はどんな辰馬でも受け入れるから安心して」

「そっか、よかったぁ……ってお願いだから俺がドMだって可能性否定してよー!」

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