第61話 マジシャンのM
「ごめんね二人とも。急に舞台に上げたりして。恥ずかしくなかった?」
パイプ椅子に座ってタオルで額の汗を拭っているYUSHIN――桜坂さんは達成感と疲労感が共存している素敵な表情をしていた。
ここは舞台裏の控室。
桜坂さんが座っているパイプ椅子の近くには、長机と数本のお茶とお弁当が置かれてある。
さて、なぜ俺たちがこんなところにいるのかというと。
「ちょっと話したいことがあるから、そのまま座っててもらってもいいかな?」
マジックショー終了後、舞台から降りようとしていたら桜坂さんにそう声をかけられたのだ。指示通り座席で待っていると、アシスタントさんがやってきて俺たちを控室まで案内してくれた。
「少し恥ずかしかったですけど、貴重な経験ができて楽しかったです。最初煽られてるときはちょっとイラっとしましたけど」
「ははは。道化を演じるのは慣れっこだからね」
俺が素直な感想を口にすると、桜坂さんは苦笑いを浮かべた。
ちなみに、いつの間にか俺たちの小指に括り付けられていた赤い糸はプレゼントだということで、いまは俺のポケットの中にある。
「私も、すごく嬉しかったです。素敵な演出をありがとございました」
知佳がぺこりと頭を下げた後、二人で顔を見合わせて笑い合った。
「喜んでもらえてよかったよ。君たちを選んだ甲斐があった」
桜坂さんも笑顔になったが、すぐにその表情に影ができる。その悲しげな俯き方は、このマジックショーのチケットを渡してきたときの中本先生のそれと同じだった。
そして、次の言葉で俺の推測は確信に変わる。
「ま、本当に仕掛けたかった人には、仕掛けられなかったんだけどね」
誰に伝えるでもなくぼそりと呟かれたその言葉が控室の床の上に散らばっていく。
きっとこの人は中本先生に見に来てほしかったんだ。
ま、そうじゃなければチケットなんか手渡したりしないか。
俺は知佳と目を見合わせて、強くうなずき合ってから口を開く。
「その仕掛けたかった人って、中本先生ですか?」
「し、しか、け? なかも……せんせ、い?」
ぽかんと口を開けて固まる桜坂さん。のぞいた口の中で舌先が小刻みに揺れている。
もしかしたら、さっきの言葉を桜坂さんは無意識のうちに呟いていたのかもしれない。
「はい。このチケット、中本先生が俺たちにくれたんです」
「ちょっと待って。先生って、じゃあ中本さんは」
「俺たちの通う高校で化学の教師をやってます」
「教師、化学の……」
心の中の大切な場所にしまい込むかのようにゆっくりと繰り返した桜坂さんは、それからくしゃりと笑った。
「彼女らしいな。中本さんは好きなことを仕事にできたんだ」
「はい。それはもう楽しそうに俺たち生徒をいじめてきます」
「それも彼女らしいね。羨ましいよ。僕も教師の彼女に責められたい」
ん?
なにか変な言葉が聞こえた気がするが、聞かなかったことにしよう。
ま、危険な液体を生徒にかけたがる独身貴族を好きになるような人なのだから、それくらい当然か。なっとくなっとく……。
なわけあるか!
なにいまのびっくりドM発言は!
ってか妄想だけで興奮してよだれたらさないで!
「あの、漏れてはいけないものが二つも漏れてますよ?」
「え? いったいどれのことだい? まさか……」
桜坂さんは絶望に顔を歪めて、股間に右手を、お尻に左手を持っていく。
「違いますから! 中本先生に責められたいっていう心の声とよだれの二つです!」
「なんだそっちか」
安堵したようにホッと息を吐く桜坂さん。
「いやいや落ち着かないで! こんなの大したことないけど……みたいに振る舞わないで!」
「え? だって本当に大したことないから」
「そこでキョトンと首傾げるのおかしいですよね? 分度器でその角度を測ってほしいんですか?」
「ごめんまだ意味がよく…………ん?
また桜坂さんが股間に右手を、お尻に左手を持っていく。
もしかしてこの人、わざとやってませんか?
「だからその絶望顔やめてください! よだれとドM願望の二つが漏れ出してるってことですよ!」
「君こそなにを言ってるんだい? 僕がドMなのは周知の事実なんだから、そもそも隠す必要がないんだよ」
いや、こいつの方がなに言ってんの? 状態だよ!
桜坂さん。平然とドMを暴露してきたんですけどー!
「その羞恥心消失マジックを披露すれば世界大会でも優勝確定ですね! マジシャンのMはマゾのMでもあったんですね!」
「そう! どうしても頭文字がMの職業に就きたかったんだ。ドMニストとしてはね」
「職業選択斬新すぎるでしょ! これがほんとの職業選択の自由ですか? 日本国憲法もびっくりだよ! あとコラムニストみたいにドMを言わないで!」
はぁ、はぁ。
なんで俺ツッコみ疲れしてんだ?
桜坂さんってドMでもあるけど、ちょっと天然入ってますよね?
知佳さんはこらえきれずに笑っちゃってるけど、空気戻しますよ。
「話をそらさないでください、桜坂さん」
真剣なトーンで問うと、桜坂さんの頬がきゅっと引き締まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます