第65話 ドSの私と、ドMの彼
「桜坂くん?」
彼と目が合った瞬間、世界がホワイトアウトした。その真っ白の世界の中に彼の姿だけが存在している。
「なんで、ここに?」
徐々にエントランスの情景が戻ってくる。急に二人で向き合っているのが恥ずかしくなって、私は周囲を見渡した。
しかし私たちの周りにはもう誰もいない。
さっきまでここにいたはずの龍山の姉はどこに消えやがった?
私の失態を隠れてのぞき見してるのか?
……なんて、また告白をしない理由を探している。
私は心の中で「あああ!」と叫んで、鼻から勢い良く息を吐きだした。
「私は!」
「僕は!」
同時に喋る。
「なんだよ。私がしゃべろうとしてるんだから、私にしゃべらせろ」
「ごめん。いくら中本さんの命令でも、これだけは譲れない」
それはだめだ。
これは私から言わなければいけない。
十年間ずっとしたため続けてきた思いだ。
私から伝えたい。
「じゃあもし譲ってくれたら、好きな言葉で好きなだけ罵倒してやるよ」
「うへぇ……」
桜坂くんの顔が一瞬にやけるも、すぐに真剣な眼差しが戻ってくる。
「そ、そんなんじゃ僕も譲れないな」
「じゃあついでに縄で縛ってやる」
「う、それはずるい……けどまだだめだ」
「じゃあ右と左を同時に向けと同じくらいの無理難題を命令し続ける」
「くそぉ……、ダメだ。負けた。中本さんから話していいよ」
ついに桜坂くんが折れる。
ったく、悔しがってるのか喜んでるのか、はっきりしろよ。
ドMを喜ばせる方法を私がどれだけ調べてきたと思ってるんだ。
こほんと可愛く見えるような咳払いをしてから、私は大きく息を吸う。
「私はずっと後悔してきた。高校生のとき桜坂くんと喧嘩したことも、十年間なにも行動を起こさなかったことも、この前の同窓会で桜坂くんが婚約したことを聞かされたときも、チケットをあんなバカップルに譲ったときも」
「ちょっと待って!」
「おい! 私がしゃべるって言っただろ?」
「いや、だって僕がこ、婚約って、言ったから」
「拓ってやつが言ってただろ。美優って女と結婚するんだろ?」
「違うよ! 美優は僕の妹! 妹が八年付き合った彼氏と結婚するって話。拓は妹をずっと狙ってたんだよ!」
「へ?」
「俺が好きなのは中本さんだから! ずっとずっと! 中本さん以外の女に責められたいなんて思ったことないから!」
顔がかあっと熱くなる。
「そ、それって、つまり……」
「あ」
桜坂くんも自分が勢いでなにを口走ったのか理解した様だ。視線を右往左往させつつ手をばたばたとさせていたが、やがて瞼を閉じる。
「もう誤魔化さないって決めたから」
そう呟きながらうなずいた後、桜坂くんは目を開く。私の姿だけが映っている真っ黒な瞳はとても綺麗だった。両のこぶしを身体の横でギュッと握りしめた立ち姿はとても凛々しかった。
「中本さん。僕はあなたに出会うまではずっとファッションドMでした。周りに馴染むために道化を演じてドMのふりをしてたけど、一目あなたを見た瞬間から、僕は正真正銘のドMになってしまいました」
桜坂くんの握りこぶしがふっと解ける。引きつっていた赤い頬がふわりと緩んで、恥ずかしそうな笑みがこぼれた。
「僕は中本友梨さんのことが大好きです。ずっとずっとあなただけのドMでいたいです」
彼の方から無数の薔薇の花びらが飛んでくる。
ったく、こんな乙女チックな錯覚を私が見るなんて。
やられてしまった。
私から告白したかったのに。
こいつ、こんなに格好よかったのか。
いままでより何万倍も格好よく見える。
悔しいなぁ。
このままじゃなんかダメな気がするから……そうだな。
私が主導権を握ってるってことをきちんと証明しないと。
「あの……返事は?」
「うるせぇなぁ。ドMニストが私に指図するんじゃねぇ!」
そうけなしたが、私の心臓はバクバクと鳴りやまない。
強がってるのバレてないよな?
大丈夫だよな?
「私はドSだから、こういうことしか知らないんだ」
強がりの言葉をまき散らしつつ、桜坂くんの目の前まで歩いていく。
「絶対、拒否るなよ」
彼のすぐそばで立ち止まって目と目を合わせると、一瞬にして身体中の血液が沸騰してしまった。
だ、だからそんなまじまじと見るんじゃねえよ!
ドSの面目が立たねぇじゃねぇか。
きっとお前と一緒で顔は真っ赤になってるよ。
恋する乙女の顔してるよ。
「拒否るなんてとんでもない。僕は中本さん専用のドMニストだ。中本さんの好きにされるがままなんて最高に決まってる」
にこりと、子供のような笑顔を浮かべる桜坂くん。
ほんとずるいよ。
そんな顔されると、とことんいじめたくなっちゃうだろ。
「だったらじっとしてろよ。ドMの桜坂雄心って男がいま一番求めてることを私がしてやるから」
「えっ……?」
彼の動揺などお構いなしに、私は彼の肩に両手を置く。ああもうやばいやばい。やけくそパワー全開だ。彼だけでなく、私だってこれをずっと望んでいた。中本友梨というアラサー乙女が一番求めていることをいまから行ってやるのだ!
「私のこと、ずっと捕まえとけよ」
吐息交じりの声でそう言いながら、私はくいっと背伸びをする。
「私も大好きだ」
そして私は、彼の唇に自分の唇をゆっくりと重ねた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます