第2話 彼氏として、彼女として
俺はいま、梓川さんとともに生徒会室でお弁当を食べている。
「ごめんなさい。勝手にあんなこと言って」
「いや、むしろ助かったよ。ありがとう」
あの後、俺は突然現れた蜘蛛の糸にはしがみついておこう! と梓川さんの嘘に全力で乗っかった。あの嘘がなければ、きっと俺は
本当に感謝してもしきれない。
が、事前の打ち合わせなどまったくしておらず、見切り発車もいいところだったので、その後のクラスメイトたちからの、
「二人の馴れ初めは?」
「どっちから告ったの?」
「教室で話してるところ見たことないけど」
等の追及に、はっきりとした答えを返せなかった。行き当たりばったりで答えて話の整合性が取れなければ、嘘が露見する可能性があるからだ。
「それは……えっと…………」
ちらりと梓川さんを見ると、一人ぽつんと佇む彼女も困ったようにこちらを見ていた。ってか梓川さんは俺を助けるためだけにあんな嘘をついてくれたんだよね? マジ天使じゃん梓川さん。こういう人のことを神様って言うんだよ雅道よく覚えとけ!
「お前らいい加減にしろ! ああもういい! お、俺たちこれから二人でご飯食べるから、話はまた後で」
俺は群がるクラスメイトをかき分けて梓川さんのもとへ向かい、彼女の車椅子を押しながら教室を飛び出した。すぐにこの学校の生徒会長をやっている姉ちゃんに連絡し、生徒会室を使えるようにしてもらう。あそこなら勝手に人が入ってくることはないので、こそこそ後をつけているクラスメイト達から話を聞かれることもない。
そして、いまに至るというわけだ。
「じゃあ、えっと、俺たちが最初に話したきっかけについてだけど……」
お弁当を食べながら、俺たちは『二人の出会いから告白』までのストーリーをなんとか構築した。プラス、今後のことについても相談して、クラスメイト達からの様々な追及に、論理破綻なく答えられるようにもしておいた。
「……ってなわけで、こんな感じでいいかな?」
「うん」
うなずいた梓川さんが玉子焼きを口に運び、その小さな口で半分だけ食べる。
……あれ?
よくよく考えてみると、こうして梓川さんと話すのは初めてだ。車椅子に乗っている女子ってだけでとっつきにくいイメージがあったけど、意外と普通の女の子なんだなぁ。障碍者ってだけで特別扱いというか、知らぬ間に色眼鏡で見てしまっていたのかもしれない。
――そんな憐憫が、これまで梓川さんのことを避けてきた理由だったらどれだけよかったか。
「ん? どうしたの?」
ごくんと口の中の物をのみ込んだ梓川さんが小さく首を傾げる。
やべ、控えめに言わなくてもそのきょとん顔めちゃくちゃ可愛い。
「い、いやぁ……それ、すごいおいしそうだなぁと思って、玉子焼き」
見惚れていた、なんて言えないので、適当なことを言いながら目を逸らした。女子と目を合わせるなんて童貞には辛いよ。って、あれ? 俺、いまからこんな子と彼氏彼女のふりをするの?
そう考えると、こうして二人きりでお弁当を食べているという事実が、ものすごく恥ずかしいことのように思えてきた。
「あ、ありがとう。……嬉しい」
頬を朱に染めて目を伏せる梓川さん。
「でも、龍山くんのお弁当だってすごくおいしそうだよ」
「そうかな?」
俺は自分のお弁当に目を向ける。確かに彩鮮やかだし、実際にとてもおいしくもあるけど、身内の作ったものだからか、すごさがよくわからない。
「このお弁当、うちの姉ちゃんが作ってるから、後でクラスメイトが褒めてくれたって言っとくよ」
「へぇ、お姉さんが」
「うん。でもやっぱり梓川さんのお弁当には負けるよ。梓川さんのお母さん、相当料理上手なんだね」
「……たし」
「え?」
「私が、これ、作ってるの?」
梓川さんは髪の毛を恥ずかしそうに指でくるくるしている。
「それほんと?」
「……辰馬みたいにすぐばれる嘘で見栄なんか張らないよ」
「す、すげえ」
感嘆の声が漏れる。梓川さんの手作り弁当をよく見ると、玉子焼きもハンバーグもほうれんそうのおひたしも、すべて店で売ってるんじゃないかってくらいの艶があった。
「そこまで言うなら……食べる?」
「え?」
嘘?
なにこの展開?
超ラッキーなんですけど?
「いいの?」
「今日ちょっと作り過ぎたなって思ってたから」
梓川さんがすすすっと辰馬の前にお弁当箱をずら――その手がいきなり止まる。
「待って、窓の外、見られてる」
「え?」
俺は即座に振り返ろうとしたが、梓川さんに、
「そんなことしたら怪しまれるでしょ」
と動きを制された。
「ごめん梓川さん。カーテン閉めるの完全に忘れてた。窓は閉まってるから会話は聞かれてないと思うけど。俺が脅しもかねて閉めに行くからちょっと待って」
「それはちょっとまずいんじゃない? これまで私たち普通にお弁当食べてたから、みんなにただの友達だって怪しまれてるかもしれない」
「心配し過ぎだって」
「心配し過ぎって、大抵の場合、心配し過ぎてないんだよ?」
「でも、じゃあどうやって乗り切るの?」
「私にいい考えがある」
力強い言葉で言い切った梓川さんは、三秒ほど目を閉じたあと、不敵に笑った。
「これは逆に言えばチャンスだよ。ここで彼氏彼女っぽいところを見せつければ、そもそもみんな追及してこなくなるはず。さっき決めたことを、追及されたときにきちんと話せる保証はないわけだし」
「……まあ、確かに」
そう言われればそうかもしれない。たかだか十分程度で決めたストーリーに完璧を求めるのも酷だろう。俺たちが気付いていない論理破綻があってもおかしくはない。
「でも、ここでできる彼氏彼女っぽいことって?」
「それは、まかせて」
どうやら相当な自信があるみたいだ。
小さく笑った梓川さんは、お弁当箱を自分の方へ引き戻すと、
「はい、辰馬くん。あーん」
ピンク色のプラスチック製のお箸でつまんだ玉子焼きを、俺の顔の前に持ってきた。しかもさっき彼女が食べたやつの残り半分!
「え、えええ、そ、それ、いま、ここで?」
「はやくして。不自然でしょ?」
「いまどき、あーん、なんて、バカップルでもやらないよ」
ってかその箸も、さっきまで梓川さんが使ってたやつじゃん。
「だからいいんでしょ? ラブラブっぷりを見せつけなきゃいけないんだから」
梓川さんの少しだけ口調が強くなった。確かに彼女の意見の方が理にかなっている――理にかなっているか?
「もう、はやくしてよ。私だって恥ずかしいから」
「あ、ごめん」
俺は覚悟を決めた。口の中に溜まっている唾液を限界までのみ込んで、唾液が箸に付着しないよう気をつかってから、梓川さんが差し出してくれた玉子焼きをぱくりと食べる。
「どう、おいしい?」
「うん。すげーおいしい」
そう褒めたが、実際は味を感じるほどの余裕もなかった。
「褒めてくれてありがと。じゃあ次は、龍山くんの番ね」
「俺の番って?」
「私の口の中にも、龍山くんの、ウインナーでいいから、はやく入れてよ」
「だから口に入れるって?」
「私が龍山くんのを入れていいって言ってるんだから、はやくして」
俺に向けて無防備に口を開けた梓川さんの視線の先には、俺のお弁当箱がある。
「ああ、俺のを口に入れてって、そういうことね」
「そういうことって、この状況で、他になにがあるの?」
「い、いや、別に」
このやり取りの中で他の物を想像したやつ手を上げろ!
俺はお弁当に入っているウインナーしか想像しなかったぞ!
「もう、はやく入れてよ」
梓川さんがゆっくりと目を閉じる。
俺はすぐに彼女のお箸に手を伸ばそうとしたが、彼女はそれを持ったままだった。彼女のが使えないとなると、自分の箸を使うしかない。
大丈夫。
これは彼女から言いだしたことなのだし、彼女だってさっき自分のお箸を使って恥じらうことなどなくあーんしてくれたのだ。
「わかった。じゃあ……」
意を決して、自分の箸で一番おいしそうに見えたウインナーをつまむ。
もちろんお弁当箱のやつですよ!
ってかウインナーって他にあるの?
違うの想像したやつ出てこいや!
姉ちゃん紛らわしいもの入れないでくれよぉ!
「ほら、はやくして」
「わかってるって。……あーん」
彼女の小さな口へ、俺のウインナーを入れてやると、彼女はぱくっと勢いよく食いつき、「ちょっと大きすぎだって」と恥ずかしそうにつぶやいた。だから他のウインナーを想像したやつ――――ごめんなさい責任転嫁してました俺だって想像してましたよそれが健全な男子高校生ってものですがなにか問題でも!
「あ、悪い」
「でも、龍山くんの、すごくおいしかったよ」
ウインナーを咀嚼し終えた梓川さんはそれをごっくんと飲み込んだ。
「あ、いったみたいだよ」
「いった?」
「うん。窓の外、もう誰もいなくなってる」
くそぉ、彼女の無防備なセリフによってどれだけ惑わされてるんだ。
そう思いつつ、首だけで振り返る。
彼女の言う通り、窓の外には誰もいなかった。
「これだけラブラブっぷりを見せつけたから、もう心配いらないね」
「ま、まああれだけ見せつけたらさすがにな、はははは」
その後、二人でまたお弁当を食べ始めたのだが、俺は梓川さんのピンクのお箸の動きが気になって気になって仕方なかった。梓川さんにあーんした俺の黒の箸を使ってお弁当を食べ進めるのに、そのお弁当で得たカロリー以上のエネルギーを消費してしまった。
「あ、そうだ」
ごちそうさま、と手を合わせ終えた梓川さんが思い出したように口を開く。
「これからは、私のこと知佳って下の名前で呼ばないといけないね」
「え? なんで?」
「なんでって、彼氏彼女のふりするんだからそれくらい当然でしょ? 教室での私みたいに」
ね、辰馬、と梓川さんは教室で見せたのと同じ笑顔で続けた。
可愛すぎて、俺の心臓がめらりと燃え上がる。
「じゃあ、いまから練習しましょうか。辰馬」
「はい。よろしくお願いいたします」
それから知佳は、俺が自然に知佳と言えるようになるまで――つまり残りの昼休みずっと――その練習に付き合ってくれた。
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