童貞をからかわれたので彼女がいると嘘をついたら、車椅子に乗った美少女が彼女になってくれた件

田中ケケ

教室の異質物

第1話 俺の彼女になってくれた人

「なぁ、辰馬たつま


 昼休みが始まってすぐ、俺の隣に座る流山雅道るやままさみちが話しかけてきた。


 雅道とは小学校のころからの腐れ縁だ。


 だから変な遠慮などせずに、ああ、自慢したくてたまらねぇぜっ! って顔をしている雅道に全力でヘッドロックをかけた。


「おい、いきなりなんだよ。くるしっ、ギブギブ!」

「うるせぇ。ぜってぇクソほどウゼェ自慢で俺を小バカにする気だろ!」

「なわけあるか! 今の俺はお前のヘッドロックを許せるほど、おおらかな心を持ってるんだ」


 雅道がようやく俺の腕から抜け出す。だからなんだよそのニヤニヤ顔は! いつもなら「こんにゃろ!」とか言いながらやり返してくるくせに。すげー気持ち悪い。


「雅道が……おおらか? お前、なんか変なもの食っただろ?」


 漂白剤でも飲んだせいで、心の黒さが洗われてしまったのか。

 もしくはカテキンたっぷりの緑茶を飲みすぎて心が抗菌されたか。


「食った、か。まあ、食ったという表現もあながち間違いではないが……」


 目を閉じた雅道は、むふふっ、と気持ち悪い笑みをこぼす。その恍惚の表情。あなたの瞼の裏にはなにが映っているんですか? リア充爆発しろ!


「なんかさ、卒業したとたん景色が華やいで、昨日とは世界が違って見えるんだよなぁ」


 なるほど、そういうことか。

 俺はすべてを察して、殺刺さっししたくなった。


「あんな気持ちよさを味わえないなんて、人生損してるよなぁ。神様になった気分だ」


 童貞を卒業したくらいで、どうして世の若い男子は自身のレベルをカンストした気になるのだろう。まあ確かに、高校生にとって、という肩書きは最強だ。でも、神は言いすぎだろう神は。


「ほんと、世界がカラフルになったっていうかさ、世の中がこんなにも素敵な色で溢れてたなんて、気づかなかったよ」


 もういいよ自慢は。ってかそんなことで世界が変わって見えるわけねーだろ羨ましーなー俺もしてーなーでも彼女なんかいないしなー今日帰ったらなにをどうしてどうしようかなぁ。


「へ、へぇ」


 俺は舌打ちを堪えつつ相槌を打つ。雅道のとろけまくったふにゃふにゃニヤけ顔を見ていると腹が立ってくるので、窓の外に顔を向けた。ああ、あの雲、見ようによっては程よく膨らんだおっぱいに見えるなぁ……ってもうだめだ考えるのやめよ。


「なんかさー、男としての頂に立った感じ? あれはもうヤバい。見える世界が百八十度変わったっていうか」


 隣で無自覚――本当に無自覚か?――マウンティングをかましてくる雅道が髪の毛をさらりとかき上げる。キラキラッっていう、ウザッたらしいエフェクトがついた気がするんですけど、気のせいですよね。


「いやー、勉強してるだけじゃ絶対に見えない景色だよなぁ、ほんと」


 雅道の煽りは止まらない。


 ってかその言葉、俺みたいに学年一位を取ってから言ってみろ。お前、学年一位の景色なんか見たことねぇだろうが。東大生以外の言う「東大なんて大したことないよな」って言葉ほど、格好悪いものはないからね。


「ほんと、彼女って最高だよなぁ」


 そういやこいつ、彼女と付き合い始めたときも同じように百八十度世界が変わったとほざいていた気がする。


 あれれー?


 ってことはあなたの世界の見え方、一周まわって元に戻ってきてませんかねぇ。十年後の同窓会でも黒歴史としてからかい続けてやるからな!


「高校生の本分って勉強じゃなくて青春、恋愛、いや……愛なんだよなぁ」


 違います勉強です。


「愛を知って俺は男として成長したんだ。人間の成長に必要なものは栄養でも睡眠でもなくて、愛なんだよ」


 違います栄養と睡眠です。


「ああ、愛。ラブミー愛。恋は落ちるものだけど、愛は気が付いたらそこにある的な感じだよ」


 舞台俳優のように大袈裟な身振り手振りを交えながら、恋と愛についてクソ恥ずかしい理論を述べる雅道。ラブミー愛ってなんだよ? 愛わたし愛って、その構文どこの衆議院議員ですか? 三十年後の自分は何歳かなぁ?


「ああ、運命って本当にあるんだなぁ。辰馬にもいつか現れるから、そう気を落とすなって。まだ高校一年生じゃないか」


 雅道は俺の肩にポンと手を置き、憐みの目を向けてきた。


 え? え?


 なんで勝手に同情されてんの励まされてんの?

 確かに彼女はいたことないよ?

 でも別に悔しくねーし。

 声を荒らげてキレるようなバカでも子供でもないから、ここは寛大な心で大人の対応だ。

 ああ、俺いま男として成長してるなぁ。

 だからちょっとくらい、先っちょだけ、少しだけなら言い返してもいいよね? 

 ムカつくもんはムカつくんだよ!


「さっきから、あいあいこいこいうるせぇなぁ。お前はお猿さんか。花札でもしてるのか。そもそも恋愛なんていつでもできるんだから、それで神様気取ってマウント取ろうとするとか、店員に怒鳴り散らす奴と同じくらいダサいからな! お客様も非童貞様も神様じゃねぇんだよ!」


 ふぅ。怒りに任せて長々とツッコんでしまったゼェ。

 額の汗を拭いながら、俺は満足げに息を吐き出す。


「あれ? もしかして辰馬くん。それは嫉妬ですか?」


 雅道はニヤりと笑いながら俺の首に腕を回し、肩を組んできた。


「未経験だからって批判するのはよくないよ」

「だから彼女がいるくらいで調子のんな」

「ちっちっちっ。わかってないなぁ。彼女がいるイコール最強、セックスをしたことがあるイコール神! 俺はつまり神なの!」

「そんなんで神になれるなら、世界中どこ探しても神だらけじゃねぇか!」

「強がり乙、負け惜しみ乙」

「別に強がりでも負け惜しみでもねぇから」

「嘘つけって。本当のことを言ってごらん。辰馬くん」

「だから嘘じゃねえって。―――――――――

「え?」


 瞬間、雅道の顔が固まった。


 ……あれ?


 いま、俺なんて言った?


 、って言わなかった?


「それ、マジ?」


 真顔の雅道に追及され、俺はようやく自分が勢いだけで言ってしまった言葉の意味を理解した。


 冷や汗が、止まらない。


「ええ、と、ええっと……」


 必死で頭を働かせる。言ってしまった手前、「実は嘘でしたー」と撤回しようものなら、雅道からなんてバカにされるか。


「辰馬に彼女がいるなんて俺、知らなかったんだけど」


 鑑定士のようにじろじろと見てくる雅道。やばい、なにかしゃべらないと。この嘘がばれたら見栄張り童貞神レジェンドオブバージンなんてあだ名をつけられかねない。


「……別に、あえて言う必要もないだろ」

「あえて黙ってる必要もないだろ。辰馬から言ってきたんだぜ」

「それはえっと、まあ……」


 どうしようどうしよう。彼女いたことないやつが、彼女いたことあると強がる。クソダサいじゃねぇかよ! 寝てない自慢する方がまだましだったよ!


「えっと、まあ、なんつーの……」

「あれれー」


 目を嫌らしく光らせた雅道が、かけてもいない眼鏡をくいと押し上げる動作をした。蝶ネクタイなんかつけてねぇだろうがお前!


「もしかして辰馬くん、やっぱり強がっちゃった系男子ですか? 彼女いないのに彼女いるって強がっちゃった系男子ですか?」

「な、ななななわけあるか」

「だったらはやくその彼女とやらを教えろって」

「それは」

「おーい! 辰馬に彼女がいるらしいぜー!」


 俺の言葉を遮って、雅道がクラス中に響き渡る大声で叫んだ。しかもめっちゃ意地汚い笑みを浮かべている。こいつ俺を恥さらしにするつもりか。


「え? マジ?」

「嘘? 誰と?」

「おいマジかよ辰馬!」

「ついに我が校始まって以来の天才にも彼女が?」


 クラス中の視線が一気に集まる。高校生にとって、他人の恋愛話は大人にとってのビールと同じだ。


「ほらほら、はやく言った方が楽になるぜ」

「いや、えっと、その……」


 これは本当にヤバいことになった。


 俺は必死で考え…………そうだっ!


 ネットで知り合って、遠距離恋愛中とでも言っておけばいい。


 それが嘘だと調べる手段はないのだから。


「だから、えっと、いまの彼女とは…………その、ネットで」

「私なの」


 凛とした声が、教室のざわめきを上から押さえつけた。


 今度はその声の持ち主に視線が集まる。


「私なの。龍山りゅうやまくんと付き合ってるの。隠してたってわけじゃないけど、言うほどのことでもないと思って」


 肩のあたりで切りそろえられた髪を右耳にかけながら、彼女は淡々とそう告げた。


「マジ、で? 梓川あずさがわさんが?」


 茫然とつぶやいた雅道の隣で、俺も、え、え、どういうこと? と心臓をバクバクさせていた。


 それもそのはず。


 龍山辰馬は彼女――梓川知佳あずさがわちか


「ごめん。我慢できなくて言っちゃった」


 梓川知佳。


 物静かで、一人を好んでいて、なにを考えているのかわからない、ミステリアスという言葉が非常によく似合うクラスメイト。


 そんな彼女の一番の特徴は。



 ――



「でもこうなったら、もう隠し通せないでしょ」


 顔色一つ変えず嘘をつき続ける梓川さんが、器用に車椅子を操作して振り返る。クラス中をそしらぬ顔で見渡して、クラスメイトたちの驚嘆の視線を全て受け止めてから、


「ね、もういいよね」


 俺に視線を向け、その大きな二重瞼を弓形にして微笑んだ。



 頬を少しだけ赤くした梓川さんが俺のことを名前で呼んだ瞬間、クラス中が大歓声に包まれた。

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