第6話 家族のつもりで
「ええ、ああ見えて彼はトシくんの事をしっかりと見守っていますよ」
そう言えば、用もないのに時々電話が…
弟らしくない、なんて感じてはいたけど…
「でもどうして先生がそこまで……」
「それはもちろん自分のためです。経験値の低い四年前の私が導き出した “ 対人恐怖症 ” という診断とそのケア方法が正しかったかどうか見極める為です……あと……」
恵利華先生はそこでトーンを落とした。
「他にも理由が ?」
母が空かさず聞いていた。
日頃のおっとり感は微塵もない。
「実は理由はもう二つあります」
「二つ」
「はい、ひとつは下村君には返し切れない借りがあります。・・・私は警察学校で落ちこぼれだったんです。最初の一ヶ月なんて毎晩のように泣いていました。教練っていう部隊行動の訓練なんてぜんぜん出来なくて、教官には毎日死ぬほど怒鳴られていました。もともと体を動かす事自体が苦手だったんです。下村君はそんな私をいつも助けてくれたのです。放っておけなかったのでしょう。ああ見えて彼は優しいんですよ。私が教材紛失騒ぎを起こした時、下村君がミスを被ってくれました。彼は最初から教官にいちもく置かれていました。大学野球の功績があったので依怙贔屓されていたようでした。彼は依怙贔屓なんて必要ないほど優秀でしたけど、そんな立場を利用して私を守ってくれたのです。もしあの教場に下村君がいなかったら、私は間違いなく逃げ出していました ……いいえ、それ以前に不適合者として教官に辞めさせられていました」
「あら ? …でも弟は恵利華先生のおかげで初任科教養を切り抜けられたって言ってましたよ。先生は座学がとても優秀でテスト前はいつも助けて貰ったって」
「それは切実さの次元が違います。だいたい彼は普段ぜんぜん勉強していませんでしたから…… 座学ではいつも寝ていましたし。それでも結局、第87期の総代として卒業しているんですよ。同期生40人のトップで…… 彼はあの地獄の半年間を余裕で過ごしていたのです。私とは器が違い過ぎます。私の場合は精神が崩壊していたんですから……それをいつもさらっとさり気なく助けてくれた。私にとっては途轍もなく大きな借りなんです」
「・・・あの子が 」
母は満更でもなさそうだった。
「ですからトシくんの為に少しでも役に立てれば、下村君にも1割くらいは借りが返せるかなって……」
「・・・そんな事
母は目を細めて言った。
「いいえ優しいのは、トシくんの環境です」
恵利華先生はきっぱりと言った。
「・・・環境…ですか」
「そうです。二つ目の理由は単純にトシくんが好きだからなんです。四年前の問診記録はしっかりとデータ化してありますけど、そんなものを見なくても、あの結果は忘れられません。あれほど優しい性格は他に例がありませんから。お姉さま、お父様そしてお母様…おそらく下村君もでしょうか。トシくんのあの優しさは、ご家族から注ぎ込まれた愛情の結晶だと思いました。優しい環境だからこそあの優しい性格が育くまれたのです。あの時、そんなトシくんの事が大好きになって、だから私もトシくんが不安障害から抜け出す日をずっと心待ちにしていたんです。そしてその日もそう遠くないと思っていた矢先でした ……」
・・・お姉さま…お母様
その呼び方も以前と同じ。
カウンセラーとしてではなく、弟と同じ目線から身内のような感覚で見てくれている。
「ですので、私は私の事情で動くわけですから、お気になさらないでくださいね。もしこんなおこがましい言い方を許して頂けるなら…」
恵利華先生はそこで一度言葉を切って、唇を固く結んだ。
「私もトシくんの家族のつもりで闘います」
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