第5話 恵利華先生


 突然リビングのような部屋が出現した。


 よもぎ色の内装、クリーム色のテーブル、柔らかなチョコレート色のソファ。

 ホっと息のつけるぼんやりとした照明。


 尊厳な南洋警察署の威容とはずいぶんとかけ離れた異空間。

 入った瞬間、母の表情もずいぶんと柔らかくなった。


「お忙しいところお時間を頂きありがとうございます」


 私は少し卑屈目に頭を下げた。


「いえ、私はそんなに忙しくはないんですよ。ただちょっとここから抜けられないだけなんです。今日はわざわざお越し戴いてすみません」


 恵利華先生は柔らかく微笑んだ。


 知的でスレンダーに変わりはなかったけれど、四年前より少しふっくらとした感じがした。

 こうして向かい合っただけで以前より安心感がある。

 前はもっとシャープなイメージだった気がする。

 それだけ経験を積まれたって事なのかも知れない。


「あの…本人は居なくても本当によろしいんですか ?」


 さっそく母が深刻な表情で問いかけた。

 母はある意味私より必死だった。


 仕事で駆け回っている私の代わり…

 父親の代わり…


 定年後、家でゴロゴロしている野球バカは威張っているだけ…当然当てにならない。


 片親のハンディキャップを背負わせてはならないと十年間、母は必死に愛情を注いで来てくれた。

 母の心痛は、すべての責任を一人で背負って来た覚悟の表れ。

 母に比べれば、私はなんて無責任な母親なのだろうと思う。


「トシくんはもうすぐ11歳です。7歳の時と同じようにいきなりヒアリングはできません。実はこういった心理カウンセリングの対象としては、もっとも難しい年齢なんです。深層心理を刺激する事によって、気持ちが内側へ内側へと向かっていく危険があります。無用なコンプレックスやトラウマを植え付けるような事だけは、絶対避けなければいけません」


 恵利華先生は以前も親しみを込めて“ トシくん ”と呼んでくれていた。

 その変わらないスタンスが嬉しかった。


「今後、大丈夫だと判断出来たら私もトシくんとお話させて頂きますが、当面はトシくんにちかしい方々にお話を伺って、正しい症状の把握に努めます。そして正しい原因を突き止めなければなりません」


「当面って……そんなに見て頂けるのですか。一般のカウンセラーの先生とはお立場が… 」


 私の疑問に母も隣で大きく頷いた。


 常識的に考えても、警察内の心理カウンセラーが個人的なコネクションで動いてよいものだろうか…という心配と遠慮が拭えない。

 

「では先にはっきり申し上げておきますね」


 そう言って恵利華先生は照れたように、小首を傾げてニコッと微笑んだ。


「大半はプライベートで動きます」


「・・・そんなぁ」

「これは……」


 私に口を挟ませないように、恵利華先生が強引に言葉を続けた。


「私は四年前、トシくんとお話させて戴いてから、ずっと気に掛けていたんです。実は下村君には定期的に様子を聞いていました」


貴史たかふみに ?」


 思わず母が呟いた。




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