第2話 父親のいない子
心根の優しい子だった。
春一番が去った後に訪れる、穏やかな春風のような男の子。
親バカの常套句、と言われればそれまでだけど、あなたはまるで “ 穏やかな微笑み ” を持つ天使そのものだった。
保育園に迎えに行くと、あなたのニッコリとした “ バイバイ ” を見たくて保育士さんたちが見送りに集合したのよ。
よその子の時はそんな事なかったもの。
「穏やかな風の事を和風っていうのよ」
母が笑いながら言った。
「何だか和風ハンバーグみたいだね」
「相変わらず情緒のない子ねぇ」
母は父と結婚するまで、中学校の教師をしていた。教育学部出で専門は国語。
だから会話の中に、時々こんな言葉が混じる。
いつもおっとりとそんな話をする母は、いつだって私の癒しだった。
あなたはそれをそっくりそのまま受け継いだみたいだね。
おっとりしていて、こちらの顔色をじっと伺っている。
まるで私の機嫌を感じ取ろうとでもしているような無垢で従順な仕草がたまらない。
忙しい私には申し分ない完璧な癒しだった。
小学校にあがってからも、のんびりゆっくりだけど、やる事もきちんと出来るし、気も利かす子だった。
しっかりと空気が読める子。
学校の成績も中の上。
いったいどこに、人見知りになる要因が潜んでいたのだろうか ?
祖父祖母も優しく接してくれてたし、友達とも楽しそうに普通に遊んでいた。
対人恐怖症なんて、さっぱり原因が心当たらない。
私は父親のいない子を産んだ。
大学を卒業して、大手損保会社に就職した。
半年もしない内に上司と不倫をしていた。
私の教育担当だった上司に告白されて、交際を始めた時は、まさか奥さんの居る人なんて夢にも思わなかった。
妻とは別れるつもり。
彼は慌てて言い繕っていたが、私は完全に醒めていた。
人を裏切るような人と一緒にいる気はない。
私はそう言って、せっかく突破した難関倍率の就職先を退社した。
私自身が一人じゃないと分かったのは、その後だった。
天からの授かりもの。
私には産む選択肢しかなかった。
私は実家に帰り、両親にすべてを正直に話した。
赤ちゃんを産んで落ち着いたら、一生懸命働きますので助けてくださいと。
父には怒鳴られ、殴られそうにもなった。
そんな私を必死になって守ってくれたのは母だった。
私の性格を知り尽くしている母は、いつも一番の味方になってくれた。
父は、相手は誰だとか、訴えてやるとか大騒ぎしていたが、それはほんの一時的なものだった。
もともと私には無頓着、無関心な父だった。
日本最大手の運送会社。
父はそこの野球部で監督をしていた。
元々は選手として日本一を何度も経験しているし、引退後はコーチ、そして監督を二十年以上も続けた。
幼少の頃から老境に至るまで野球一筋の男だった。
私には五つ年の離れた弟がいる。
父はその弟に付きっきりだった。
弟はそれこそ物心がつく前から野球漬け。
自分のチームを日本一にする事と、弟の甲子園出場。
父の頭にはそれしかなかった。
私の存在なんて、母が庭先で大事に育てていたパンジーやシクラメンと同程度だったのかも知れない。
弟は父の思惑通りに成長した。
高校で甲子園出場は叶わなかったけれど、大学では神宮で優勝を果たした。
チームの主力として大学の頂点に立った。
「あいつはきっとドラフトにかかる」
そんな有頂天の父を、弟はあっさりと裏切った。
弟は大学卒業後、警察官になった。
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