ヘタレの和風(かぜ)

t@ke

下村早紀の章

第1話 ここぞの場面で

 

 ハンドルを握る手に力が籠もる。

 そうしないと自然と前のめりになってしまう。

 気だけが急く。

 

 予定より一時間は軽くオーバーした。

 お客さまの話が止まらなかった。

 それを親身に丁寧に聞く事が大事。

 そこが私の仕事のすべてと言っても過言ではない。

 そこから口コミが広がり、後に予想外の効果が得られる事も多い。

 おかげで仕事は順調だった。

 

 でも今日だけはすんなり終わって欲しかったとつくづく思った。

 前方に市民球場の照明塔が見えた。

 球場まであと10分もかからない。

 でも試合開始時刻はとっくに過ぎている。


 ボーイズリーグ小学生の部。

 支部代表決定戦。

 今日勝てば全国大会進出が決まる。


 夢みたい …本当にそう思う。





 最終回。


 あなたはウェイティングサークルに蹲っていた。

 この時のあなたは明らかに様子が可怪しかった。


 ・・・どうしたの ?



 度を越した “ 人見知り ”は、もはや対人恐怖症の域に達していた。

 それが私の心をいつも重苦しくしていた。


 原因がわからなかった。

 私のスキンシップが足らなかったと言われれば、返す言葉がない。

 でも母が充分以上に私の代わりをしてくれていた。

 父だって愛情を注いてくれている。


 ・・・注ぎ方がちょっと気に食わないけど…


 気に食わないけど、それがよかったと認めざるを得ない。

 野球をやっている時、あなたは別人だった。

 とても生き生きとしていて、チームメイトとも愉しそうに話している。


 “ 父のおかげ ”

 そこだけは、嫌いな父にも素直に感謝していた。


 県の強豪と言われるチームで五年生ながらレギュラー。

 6番打者だけど、父に言わせると今やチームで一番頼りになるバッターらしい。

 活躍は望外だった。

 あなたの活躍はわたしの活力源。



 でもこの日は、最初からどこか変な感じだった。

 2打席連続で三振。

 今まで三振なんて、あまりした事もなかったのに……



 一進一退のシーソーゲームは終盤、相手の方に勝ち越し点が入ってしまった。


 1点リードされている 6回裏。

 ボーイズリーグは 6回が最終回。

 ツーアウト二塁三塁。

 ここぞという場面であなたに打順がまわった。

 ヒットが出れば逆転サヨナラも十分ある。


 チームメイトがみんな、あなたの名前を連呼していた。

 チームはイケイケムード。

 すごい盛り上がりだった。

 スタンドからも悲鳴のような応援。

 あなたの名前を叫んでいる。


 “ 誇らしい ”


 野球をやらしてよかった。

 心底そう思う。


 ・・・でも


 打席のあなたは俯いたままだった。

 ピッチャーの方を見ようともしない。

 呼吸が荒いように見えるのは気のせい ?

 

 ピッチャーが第一球を投げた。


 ・・・


 そのまま蹲ってしまったあなたは、その場で ……


 吐いた。



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