第9章 未来へ続く青の誓い〜四兄妹
第1話 花咲く地に迫り来るもの
泉の王国では二週間前から天空草の花が咲き始めた。のどかな田園風景は、辺り一面の青の世界へと変わっていく。それはまるで空と地が一つになったような光景だ。どこまで深く広く、青が続いていく。
かつては夏中花を楽しみ、大いに満開になったところでのまとまった収穫だったけれど、近年は品種改良も進み、開花直後に摘み取るものや時間をおいて色の調整を行うものなど、様々な種ができたことで収穫時期が分けられ、人々の負担が軽減した。手摘みは見た目以上の過酷な労働だ。
さらに、収穫時の輸送を効率よくするために、この数年で栽培場所や方法の見直しも進んでいた。そこにはサフィラスの三つ子たちの意見が多いに取り入れられていた。
文化継承に勤めながらも新しい良さを取り入れる。柔軟に時代に適応していくことが、結果大切なものを次につなげていくことになるのだと、リーディルたちは考えている。
それは今に始まったことではない。泉の王国というのは今もまだ神話の世界の中のような場所だけれど、実際、それを可能にしているものは、世界の今を生かすことだった。代々の領主たちは、それを念頭に采配を取ってきたのだ。
「ずっと考えてきたことを、生かす機会がついに来たな」
「ああ、腕がなるというものだ」
「ぼくらの花への愛を、女神さまにこれでもかと感じてもらおうか」
まだ春先の田園を前に、キャメオンが振り返って嬉しそうに言えば、アドランが満足そうに答え、リーディルは目を細めて空を仰ぎ見た。
一年前に帰国し、その年は父の後ろで様子を見ていたロディーヌの三つ子の兄たちは、こうして岩山の館でずっと話し合ってきた自分たちの考えを行動に移し始めた。そしてその緻密な計画は、感嘆の声とともに迎え入れられたのだ。
まず、短期間で繰り返し咲く品種を大街道沿いに植えていく。開花から一週間もすれば収穫が可能で、次の区画の種を収穫しているうちに次の蕾がつくという画期的な新品種だ。二回三回と収穫が可能ではあるけれど、それは全体の花数が少ない時にのみ収穫する予備のものとなる。
フォンティオール領には、自分たちの生活を作っていくための栽培地帯の先、森へ向けて自然の群生地が続いている。それは純粋に自分たちを潤すもの、癒すものだ。しかし、その年の花つきによって、栽培用のものが少なければ群生地にも手をつけなければならない時があった。
自然を守っていくのは泉の王国の昔からのやり方であったし、何よりもその天上の青を心ゆくまで楽しみたいと誰もが考えていたため、それは領民たちの本意ではなかったけれど背に腹は代えられない。
数年に一度とは言え、苦い思いでそんな作業に当たっていた領民たちは、リーディルの発案によって移植された品種のおかげで、貴重な野生の花たちを摘み取る必要はなくなったことを心から喜んだ。
フォンティオール領は、王国のどこよりも自然を敬い大切にしている。はるか昔から、自然のリズムが彼らの生活を作り育んできた。常に自然と共にあることが彼らの喜びであり、美しい青を絶やすことなく、守り広げていくことが彼らの誇りなのだ。
サフィラス家は、そんな彼らのために花を守ることを第一に考えている。自分たちの上にもたらさられる恩恵はすべて天空草の花の力。神話の世界のようなこの風景は、この先も変わりなくこの王国にあり続けなければいけないのだと、代々、花作りの進歩に心を砕いてきた。今もまた、三つ子たちがその伝統を引き継いでいく。
栽培場所だけではない、収穫方法にも新しいものが取り入れられた。これまで以上に細やかな水路を引いたのだ。そこに細長い荷舟を流せば、輸送時間が短縮され、花の痛みも極力抑えられる。荷馬車を入れる必要がなくなったことで、栽培場所の見栄えも良くなった。
そんな初の試みが詰まった第一回目の収穫は多いに盛り上がり、領地は一気に活気づいた。
天空草の花は単なる商品ではない。それは王国のものたちにとって命にも等しい。どんな時も心の中に咲き続け、その者を支えていく。それゆえに、この仕事に携われることは何よりも嬉しくて喜ばしいことなのだ。三つ子たちは顔を輝かせ、ロディーヌは兄たちの長い不在が薄れていく喜びをかみしめた。
その時、王国の南に見たこともないような雨雲が立ちのぼっているとの報告が伝えられた。雨が来る! 誰もがその報告に驚いた。
そんなことは聞いたこともなかった。この時期に雨が降るなど、誰の記憶にもなかったのだ。人々の胸に言いようのない不安が芽生えた。
確かに、何年かに一度は曇り空が広がり、まるで霧のようなものが辺りを包みこむことはあった。けれどそれらは花に潤いを与えるほどのもので、夜露とそう変わらず、花を溶かすことも痛めることもなく、朝の風とともになくなったのだ。
雨に濡れた天空草の花など誰も想像できなかった。地上の楽園と呼ばれる青い世界をかき消すものなど未だ存在しなかった。南に立ち込めた黒い大きな雨雲は、まだフォンティールの空には感じられない。何かの間違いであってほしいと誰もが願わずにはいられなかった。
しかし、南からの早馬は途切れることがなかった。今は花の収穫を急ぐしかない。本来ならまだ少し早いものも、すでに十分開いていることもあったため、刈り取ることとなった。
それが完了すれば、今年の収穫必要量は満たされる。新しい移植のおかげか、花はいつもの年以上に大きく美しく、すでに一週間で目標の必要量の半分を満たしていたからだ。
「焦る必要はないぞ。午後いっぱい収穫を続ければ問題はない。できる限りやってみよう。雨が降れば花は痛むだろうが、形が崩れてしまっても、染料としては十分に活用できる。もしかしたら今年しかない色を作り出せるかもしれないしな」
キャメオンの明るい一言に人々がほっとした顔を見せる。広大な栽培地の花をすべて刈り取るのは不可能だ。まだ蕾のものさえあるのだ。それなのに花を見捨てるのか……誰もが胸がつぶれるような痛みを覚えていたのだ。
雨に濡れた花がどうなってしまうのか。けれど泉に落ちても溶けてしまう花だ。激しい雨に打たれれば形もなくなるほどに青は奪われるに違いない。夏の王国から青がかき消えるなど、悪夢以外の何物でもなかった。
しかし無残に打ちのめされた花でさえ、サフィラス家はフォンティオールの新たな色にしようとしている。それは心温まる希望の力となった。
領内で加工される天空草の花の染料、シュページュの美しさは群を抜いている。それはサフィラスの秘儀とも言われ、先祖代々受け継がれてきたものだ。
兄たちを探しに出る前にロディーヌが染めた青もその優れた手法による。何よりも鮮やかな青。野生種の花の色を写し取ったともいわれる深く濃いその色は、通常では滅多なことで退色することはない。
その青が砂漠で白となったことは、ロディーヌの意欲を多いにかき立てていた。
「女神さまの砂に勝てるものはきっとできない。けれどまだまだ改良の余地はあるということね」
ロディーヌがそう言えば、この染料作りに、小さい頃から並々ならぬ興味を持っていたキャメオンも真剣な顔で頷く。
彼は、ただの染料ではなく、絵画にも使える耐久性や陶器にも使える耐火性を兼ね備えた新たなものを開発中だ。三つ子がかつてロディーヌに贈ったロケットに施されたものはその試作第一弾。これからの数年で、キャメオンはそれを新たな特産品として育てていこうと考えていた。
「キャメオン、雨をも手玉に取るとは、女神の御使いにしてはずいぶんと俗っぽいね。いや、どんな立場であろうと、どんな時もたくましくあるべきだってことかな」
「嫌だな、リーディル、ぼくらは聖人じゃない。御使いではなくて、従僕くらいでいいのさ。女神さまが清らかな分、ぼくらが世俗の垢も体験しようじゃないか」
「おまえたちの花への愛はよく分かった、でもまだ他にもやるべきことはあるぞ!」
アドランの言葉に振り返った二人は頷く。領主会議から戻った父から、雨に関する話を聞いたばかりだ。
一年を通してもこのように大きな雨雲が立つことはない。これは予期せぬ雨量になるやもしれぬ。その一言が長老から発せられた瞬間、経験豊富な領主たちの間にさえ、いつにない緊張感が走った。
そのための準備について急ぎ話し合われ、領地はどこも慌ただしくなっていく。フォンティオール領は収穫と同時に、水路周りの強化や道の整備にも追われることとなった。
ロディーヌも少しでも力になれればと朝早くから夜遅くまで収穫の人々のために働いた。領主の娘であるロディーヌが実際に花を摘むことはなかったけれど、人々と同じように簡素な仕事着を着て、シュページュで染められたエプロンとスカーフを纏った姿を見せるだけで人々は喜んだ。
しかしそれだけでは納得がいかない。ロディーヌは、働く人々のために彼らの小さな子どもたちの世話を引き受けたり、食事の用意を手伝ったり、自分が出来る限りのことを探した。
一方で兄たちは現場で指揮を執りながら、時には一緒になって花を摘み運んでいる。もちろん水路の強化や道の整備にも注意を怠らない。三つ子の連携と知恵はここでも遺憾無く発揮されていた。
自分の指示がなくても十二分に立ち回れる息子たちの様子に、父セオドアは密かに満足していたけれど、なにぶん相手が悪い。前代未聞の嵐。隠居も間近だとのんびりしているわけにはいかないだろう。これは気を引き締めてことに当たらねばと、領主の顔で立ち上がった。
まだ青い空の元、しかし迫り来る何かに追われるようにして、ロディーヌたち家族は領地の人々とともに時間を惜しんで働き続けたのだ。
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