第8話 美しさを求める心が結びつけた絆

 一人と二頭がそんな話をした数日後、雪解け間近な王都の街道を眩しい一筋の輝きが駆け抜けていった。

 ちょうどグレンウッドと二人、執務室で休憩中だったオワインは、何やらただなるものが近づいてくる気配を感じて立ち上がった。悪いものではない、しかし圧倒的な力だ。けれどそれを無防備に解放している。敵意はないから安心して欲しいという意図がそこに読み取れた。


「どうした、オワイン?」

「何か来た。大丈夫だ、敵ではない。非常に優れた大きな力……もしかしたら!」


 その時、すぐに謁見の間へ出てこいとジュールの声が聞こえる。やはりか、とグレンウッドを誘って足早に迎えば、広間はもうすでに賑やかな気に包まれていた。

 エーディアスも来ていたし、シュトーレアは興奮して大騒ぎだ。ジュールもずいぶんとご機嫌な様子。そしてその向こうには、ジュールにも見劣りしないほどの見事な体躯をした一頭の眩いばかりの豹がいた。


『ああ、陛下、オワイン。フレイヤードだ』

「なんと、雪豹なのか!」

「まあ、陛下、博識ですわね。その通りです、雪豹です」

「雪豹……これが雪豹……」


 なんと美しい……オワインは初めて見るその姿に驚きを隠せない。

 フレイヤードの体毛は輝く銀色だ。そこに濃い灰色の斑紋が浮かぶ。季節柄か、その毛足はジュールたちよりも幾分長く、それゆえに優美さをことさら感じさせる。

 美しいものが好きなのだとシュトーレアが言っていたけれど、己がこれほどまでに美しいのならそれも納得だとオワインは思った。そして、それはまたガデスの審美眼にも通じるところがあり、オワインはフレイヤードを前に知らず微笑みを浮かべていた。


『フレイヤードは里の中でも一二を争うほどに寒さに強い。その名の通り、雪など問題ないのだよ。それが証拠に見てみろ、道中まだ凍ったりぬかるんだりするこの時期、汚れひとつなく、疲れも一切見せずにやってきた。それでいて一番生き生きしているのがロージーの季節とは……宝の持ち腐れというか、天邪鬼というか、ただ単に怠けものなのか……』


 あまりに散々な紹介に、オワインは思わず振り返ってジュールを見てしまったけれど、当のフレイヤードはどこ吹く風だ。嬉しそうにグレンウッドたちと挨拶を交わし、シュトーレアとじゃれあっている。

 一方ジュールはというと、自分の意見を綺麗に流されてしまったことに腹を立てている様子はなく、ただただ肩をすくめて見せるだけ。これには国王夫妻もオワインも呆気にとられてしまった。さすがに年季の入った間柄は違うとグレンウッドがこぼせば、エーディアスもこくこくと頷く。


「ガデスも呼んだ方がいいだろうか。一番はあいつとの相性だから」


 思案顔でオワインが問えば、フレイヤードは首を振った。


『いいえ、問題ありません。もう気持ちは決まっていますから。彼が嫌だと言ってもこの仕事、やらせていただきます。マローンを生み出したガデスさんとならいい旅ができそうだ』


 思わぬ答えに、オワインは一瞬言葉を失った。


「……なぜ、それを!」

「オワインさま、マローンというのは?」


 エーディアスの問いに、フレイヤードは嬉しそうに尻尾を振りながら、まずはみなに花の説明をするようにとオワインを促した。


「そうだな、少々専門的な話だから……」

「作り出したとは、新品種を育成したということか?」

「ああ、そうなのだ、グレン。実はガデスのやつ、家令の仕事の傍に温室にこもって趣味に没頭していてな。それでちょっとばかり」


 オワインがそう答えれば、シュトーレアたちはこぼれんばかりに目を見開いた。


「マローンは、昔二人で読んだ神話の中で見つけた花だ。しかし実在するのだよ。とは言え古いもので、すでに絶滅しかけていると聞いていた。ところが出入りの商人が、自分の故郷には咲いているというものだから、ガデスがすぐに取り寄せたのだ。けれど届いたものはガデスの想像と違ってずいぶんとひ弱なものだったから、あいつはついつい、惚れた弱みでそれを品種改良したのだよ。まあ、古代種だから、改良というよりは先祖返りを手助けしたというべきだろうか。春の終わりには咲く小さな小さな花で、色は確か……」

『薔薇色の上に、夕焼けが注がれたような色です』


 フレイヤードがうっとりと引き継ぐ。その声にはえも言われぬ色気があって、グレンウッドを除く全員が思わずフレイヤードを振り返った。小声でエーディアスがグレンウッドに囁けば、彼はその詩的な表現に唸った。


『朝焼けと夕焼けと……美しさを二つも詰め込んだような花なのです。私はかつて森の奥でそれを見ましたが、色はそれほどまでに美しいというのに、ひょろひょろと伸びて不恰好で……それが残念でたまらなかったのです。ついつい、それをやってくる小鳥たちに訴えていたら、彼らが森の王国でもっと美しいものを見たと教えてくれました。それは改良されたもので、ロージーほどの小ささで愛らしいことこの上ないと』

「鳥の、噂……」


 まさかそんなことが! オワインは信じられないと言った面持ちで首を振った。フレイヤードは嬉々として続ける。


『その場所はヴェルリーレン城で、ジュールの住んでいるところだと思い出した私は、春になったらジュールに連絡を取って、一度くらいは王都に行ってもいいかもしれないと考えていたところでした。そうそう、小鳥たちが言っていたのです。いつもは氷のような表情の家令が世話しているのだけれど、花を見るときは別人のようで、それがまたなんともいい感じなのだと。それを聞いてとても興味がわきました』

「それが、ガデスというわけか」

『はい、その通りです陛下。絶妙なタイミングでのご連絡、このフレイヤード、心からお礼申し上げます』

「いやいや、その礼はエーディアスたちにしてやってくれ」

「陛下、一番の功労者はガデスですよ。私たちがするまでもなく、自らが大いに売り込んでいたのですから。ねえ、オワインさま」

「確かに。それも小鳥の噂とか、この世の中、何が起きるかわからないものだな。しかし……驚くだろうな。いや、大喜びか。フレイヤード、うちの家令はな、花も好きだが美しいものが大好きなのだ。自分の相手がこのように美しい雪豹だと知ったら、きっと大騒ぎだ」

『おやおや、それは嬉しいですね。美しいもの好きとは。気が合いそうでよかった。雪豹の押し売りをせずにすみそうで何よりです』


 フレイヤードの言葉にみなが笑った。ガデス相手に押し売りとか、それはまたすごい絵面だ。あいつに口で勝てたものなどついぞ見たことがないからなとジュールが言えば、今度こそ誰もが腹を抱えて笑い転げた。


 何が待ち受けているのか、どんな展開になるのか、まったく想像できない旅の始まりだったけれど、こんなに楽しげならばきっと満たされたものになるに違いないと、オワインは胸を熱くして思うのだった。その後のフレイヤードを連れての帰城は、オワインの想像を超えた驚きの連続となる。

 まず、フレイヤードを一目見るなりガデスの様子が変わった。それでも城のみなの手前、かなり意識して自分を抑えたのであろうガデスの口数は恐ろしく減り、客人を案内するために廊下を進むその速度は尋常ではなかった。相手が巨大な聖獣だったから良かったものの、これが長いドレスを着た貴婦人なら早々に息が上がって大変だっただろう。オワインは必死で笑いをかみ殺した。


 そんなガデスはオワインの私室の扉を閉めた途端、肩を震わせて大きな息を連続でついた。著しく興奮していて、思うように言葉にならなかったのだ。フレイヤードの美しさは、それほどまでにガデスの美意識を刺激したというわけだ。

 そして、そのフレイヤードが自分の聖獣だと聞かされた時の喜びようと言ったらなかった。さらに、マローンの話を聞いたときには、もう感無量だと言わんばかりに瞳を潤ませて、ああ、一日も早く直に話がしてみたいとオワインに訴えた。気持ちはわかるけれどそれだけはなんともしがたい、オワインも歯がゆさを感じずにはいられなかった。けれど、ガデスのその願いはすぐに現実のものとなった。


 ガデスもオワインと同じように海の王国の血を引く。今まで本人は意識したことがなかったけれど、やはりその身のうちには秘められた魔力があり、それがフレイヤードとの交流によって引き出された。その結果、彼らは出発の前までに言葉を交し合えるようになったのだ。なんと幸先良いことかと城中が沸いた。一人と一頭はすぐさまガデスの温室に駆け込み、マローンを前に時を忘れて語りあったことは言うまでもない。


 



 今、強い信頼関係で結ばれたジュールとオワイン、ガデスとフレイヤードの二組は、針葉樹林の森をほぼ丸一日、全力で駆け抜けてきた。昇って来た月を見上げ、彼らはようやく足を止めた。

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