第2話 その微笑みは雪をも溶かす

 魔領域の岩山での一件を語り終えた時、オワインを囲む誰もが唖然としていた。それは彼らの想像をはるかに超えた話だったからだ。

 最初に我に返ったのはエーディアスだった。彼女は頬を紅潮させて「そのように身も心も美しく勇敢な女性はオワインさまにふさわしい。奇跡のような、魔法のようなその野薔薇の成長も、母上さまの魔法の庭が喜んでいる証のような気がしてならない」と力説した。

 グレンウッドも大きく頷く。双子の女神に愛されし娘なら、魔法の庭の次の主にふさわしい。その言葉に誰もが、花の妖精のように美しい娘が、花の少ないこの北の国に新しい花々を増やしていく様を想像しないではいられなかった。それはあまりにも美しい未来だった。

 エーディアスの隣にいるシュトーレアは目をつぶってうっとりとしていた。ジュールとロディーヌが交わした血の絆に深く感銘を受けたセフィードの瞳は、遠くからでもわかるほどに潤んでいた。ジュールは『それみろ、俺が言った通りだろう』と言わんばかりに鼻を鳴らした。


 グレンウッドは、オワインが帰国した折に持ちかけた話を思い出していた。早まったことをしたと内心焦ったけれど、どうやらあれもまた、この奥手の従弟の役に立ったのかもしれない。そう思うと顔が緩んで仕方がなかった。

 オワインは自分のもたらし言葉がこれほどまでに人々を揺り動かすとは思いもしなかったため、盛り上がるみなを前に困惑していた。

 ロディーヌがオワインを選ぶことはまだ決定ではないのだ。彼女を見つけること自体簡単ではないだろう。なのに誰もかれもがもうすでに、ロディーヌがこの森の王国にやってくるかのように思っている。なんとも不思議な光景だと、オワインは一人密かに頭を振った。


『そういう娘なのだよロディーヌは。存在自体が稀な娘。誰もが欲しいと思う。知れば知るほど恋い焦がれるんだ。おまえが心配になるのも無理はない。ロディーヌは……そうだな、まるで物語の主人公のように世界を渡っていくだろう。本人にその自覚がないところがまたらしいといえばらしい。だからこそ、選ばれし者なのだ。まっさらで無限大なのだよ、ロディーヌは』

「それは……未来なのか?」

『どうだろうか、ふとそう思ったのだ。見てみろシュトーレアを。あれも多分同じことを考えているぞ。オワイン、勇気を出せ、自信を持て。そんなロディーヌにふさわしいのはおまえしかいないとみなが思っているのだ。それは世辞などではない。直感だ、本能だ。だから胸を張って会いに行こう。そして今度こそ、さらってくればいい』

「さらうだなんて……」

『ものの例えだ。だがな、俺にはわかるぞ。あの日、ロディーヌはおまえと一緒に行きたかった。けれど彼女の正義感がそれを止めたのだ。なあ、似ているじゃないか、おまえたち二人は。自分のことは二の次で、いつだって誰かを助けようと動いてしまう。だから今度は二人してわがままを言えばいい。隠さずさらけ出せばいいのだよ。まずはおまえから、な、オワイン』


 ジュールとオワインがそんなことを心の中で話し合っていると、エーディアスが瞳をきらきらとさせながら近寄ってきた。そしてオワインに、贈り物はしないのかと尋ねた。それは、こういう場面においては少年のように初々しいオワインを心配してのことだろうと誰もが感じ、その返答に耳をそばだてた。

 今や心の重荷を取り払い、自分を思ってくれる人の中でいつになく無防備になっていたオワインは、その言葉にうっすらと頬を染め、野薔薇が咲いたらそれで花冠を作って持っていこうと思うと答えた。初めて見るオワインのそんな姿に、思わず声をあげそうになったものも少なくなかった。


 エーディアスはそれを聞いて溜め息を洩らした。なんという美しい贈り物。それは華奢で美しいロディーヌによく似合うだろう。そして普通ならすぐに萎れてしまう花冠も、魔法の野薔薇で作られたものなら、彼女を見つけ出す日まできっと枯れることはないのだ。

 ロディーヌを取り巻く出来事を聞いてしまった今、そんな夢物語のようなことも当たり前のように受け止めてしまう。自分はずいぶん夢想家になってしまったと苦笑しながら、エーディアスはシュトーレアを振り返った。そして、目を細めてそれに同意する白豹は見た瞬間、はっと胸を突かれたのだ。これは夢ではない。ロディーヌは聖獣さえも認める稀なる存在。彼女はその未来を引き寄せ、強く抱きしめたいと願わずにはいられなかった。


(そうね、花の冠は素敵でしょうけど、でも……)


 エーディアスはロディーヌのために一肌脱ごうと考えた。ロディーヌはきっと、オワインと同じように素朴で多くを望まないだろう。けれど美しいものは心をより満たすはず。愛する人に贈られればなおさら。遠く離れている二人には、形になるものがあったほうがいい。いつだって身につけていたいと思うようなものを贈るべきだと、そう思ったからだ。


 神がかった聖獣に囲まれて育ったエーディアスは、人一倍美しいものに敏感だ。ロディーヌのまだ見ぬ美しさも手に取るように感じられた。美しい人に贈る美しいもの何がいいだろうか。次に商人たちがくるのは雪解けの頃。ちょうどいい時期だ。オワインが尻込みしないようにうまく誘い、見繕わせなければ。すました顔で座りつつも、伏せた瞳はくるくると回っていた。

 隣に座るグレンウッドとジュールは、そんなエーディアスからただならぬ気配を感じ、良からぬことを考えているのかと最初は肝を冷やした。けれど聡明なエーディアスのこと、オワインの未来に他の誰よりも首を突っ込んだとしても、きっとそれは悪い結果にはならないだろう。そう思って一人と一頭は顔を見合わせ頷きあった。


 城からの帰り道、久しぶりに空を見上げたオワインは、天空の薄衣に自分がもう寂しさは感じていないことに気がついた。一人で見ることはないのだと、何かがそう告げている。

 それは自分にとって都合の良い想像の中の未来かもしれないけれど、自信というものが生まれたこそなのだと気づく。

 そう、今のオワインは自信を持っていた。ロディーヌと一緒に帰ってこよう。この天空の薄衣を一緒に見よう。そんな未来を、誠を尽くして掴み取ろう、そう愛する人をこの腕にさらってくるまでだと、本気で思えるようになっていた。


(きっとロディーヌは笑って許してくれる。受け入れてくれるはずだ)


 そんなことさえ思ったのだ。オワインは東へ向けて走り出す日が楽しみで仕方がなかった。


 やがて真っ赤なヴァナンガラージュや森の王国をエピステッラとともに彩るミュルステンの花の時期が終わり、雪雲が到来した。高く澄み渡っていた王都の空は、分厚い灰色の雲に覆われて重く垂れ下がった。北からの風が日に日に強くなり、一気に気温が下がり始めれば、長く厳しい冬の始まりだ。

 けれどガデスを始め城の誰もが、どんな年よりも温かい想いに包まれていた。ガデスからみなにオワインの出発が伝えられたからだ。同時に語られたロディーヌの旅物語は、特に城の女性たちの胸をこれでもかというほどに満たし、誰もが彼女の訪れを望まずにはいられなかった。愛すべき領主オワインの一途な想いが届くことを祈らずにはいられなかったのだ。


 オワインの旅装束を何にするか、お針子たちは先を競って考えを出し合った。何を着ても様になるオワインではあったけれど、もし自分がロディーヌだったらと、同じくらいの年頃の彼女たちは大いに盛り上がったのだ。

 娘たちのはしゃぎぶりを横目に、庭ではガデスが中心となって大がかりな雪囲いが行われていた。今年はヴァナンガラージュだけでなく、野薔薇にも必要だ。普通のものとは違い、もうすでに蕾がぎっしりとついた枝が雪で折れぬようにと丁寧に覆いが作られ、野薔薇を守る準備は進められた。


「おいおい、みなどうした。なんだかあれもこれも過保護すぎないか?」


 苦笑するオワインだったけれど、誰もが春を、ロディーヌを心待ちにしていてくれるのが感じられて、たまらなく幸せだった。雪に閉ざされる時間の中にも、きっとこの喜びは灯せれ、自分は温められ続けるだろうと感じた。


 登城することのない日、庭に出られる時には飽きもせず、オワインはガデスとともに野薔薇を見に行きその様子を見守った。

 雪囲いの中で、野薔薇は蕾を痛ませることなく静かに春を待っている。あの日持ち帰った小さな一本の蔓が、しっかりとした株へと成長を遂げたその奇跡は、さらなる希望にあふれる未来を呼び寄せるだろう。誰もが野薔薇の開花を心待ちにした。


 吹雪の日も、凍えそうな夜の空も、オワインにはもう寂しくはなかった。その胸の中には花冠をかぶって微笑むロディーヌがいたからだ。一日たりとも忘れぬことなどできなかったあの柔らかさが、温かさが、オワインを包み込んだ。

 オワインは執務室の窓から遠く東の森の彼方を見つめ、うっすらと微笑んだ。次第にその笑みは深くなり、やがて甘く溶けた。誰もそこにいなくてよかったとジュールが思うほど、それはそれは魅力的な笑みだった。

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