第17話 北の空で花開いたもの

 式典の後、おまえも少し休むべきだとグレンウッドがオワインを労った。思えばもうしばらくそんな時間もなかった。無我夢中で駆け抜けてきたから、辛いとも苦しいとも思わなかったけれど、これから先のことを思えば、ここで時間をもらえるのはありがたいことかもしれないと、オワインも素直にそれを受け止めた。

 幸い王国内では新しい問題はなく、王宮に留まってくれた聖獣たちの力を借りて計画は大いに盛り上がっている。優秀な人材が日々生まれているといっても過言ではないだろう。遠方へ出かけたり長く時間をかけたりするなら、きっと今だ。


 それにたとえ何かあったとしても、ジュールと一緒である限り、シュトーレア経由で伝言はすぐにオワインに届けられる。

 シュトーレアはこの一年でさらなる能力を開花させていた。同じ血を分け合うものという括りはあったけれど、それを満たす相手とは、距離など関係なく心をつなぐことができるようになったのだ。

 もっとも近くでもっともそれが可能な相手はもちろん兄。それを聞いた瞬間、ジュールは天を仰いだ。


『嬉しい、妹の成長は確かに嬉しい、それは素晴らしい才能だ、けれど俺の自由は……』


 そう思いながらシュトーレアを見つめれば、その瞳は興味ある対象を見つけた幼子のようにきらきらと輝きを増していて、ジュールはぶるりと身を震わせた。


 あとはオワインの気持ちひとつだ。自由な休暇であるわけだから、何をしたっていい。城でゆったりと寛ぎ、英気を養ってもいい。けれどせっかくの機会……悩むオワインにジュールは明るく声をかけた。


『オワイン、どうだ、行きたいところはあるか? どこへでも連れて行くぞ? ほら、わがままを言ってみろ、とびきりのわがままだ。これでもかのわがままを言ってみてくれ』


 まるで売り込みのうまい商人のようではないかと笑いながら、自分を甘やかすパートナーの言葉に、オワインは思い切って胸の内をさらけ出した。海の王国へ行ってみようかと答えたのだ。

 行き交うことはなくてもこの数年、海の王国は常にオワインのそばにあった。父を失ったばかりのオワインに、祖父である前国王はすぐに支援の手を差し伸べてくれたし、翌年に代替わりした後は、叔父たちが常に気にかけてくれた。

 疫病の蔓延で森の王国が疲弊した時、食料などが大きな問題にならなかったのはこうした力添えあってのことだ。自分に海の王国とのつながりがあることを、あれほどありがたく思ったことはなかった。疎んでいた金色の輝きが力になっていく中で、今までの弱い自分を悔い改めることをオワインは密かに誓ったのだ。


 はるか遠い南の国、金色の花咲く魔法の国。寝物語に何度も聞いた海の王国のあれこれ。オワインにとってそれは、自分自身を好きになれなかった頃には、憧れと嫌悪が入り混じった複雑な対象だった。けれど父の思いを、母の思いを受け止めた今、一緒に行くことができればどんなに良かっただろうと、激しく後悔が胸をよぎるのだ。

 しかしもうすべて過去となった。取り戻すことはできない。行くのは自分一人。胸に巣食うものを払拭するのも自分しかいない。行けばもっと辛くなるだろうか、いや、この中途半端な気持ちに踏ん切りがつくだろうか、オワインの気持ちは揺れていた。

 どこよりも遠い海の王国には、こんな機会でもなければ、なかなか私的な目的で出かけることはないだろう。最後には母の言葉を思い出し、自分の第二の故郷を自分で見て感じ、何かを見つようとオワインは決めた。


『いいじゃないか、最高だ。久しぶりに長距離を思う存分走ろう。きっとそれだけで憂いも吹き飛ぶぞ。海か! 俺はまだ見たことがないのだよ、オワイン。ああ、胸が高鳴る、楽しみだ』


 余計なことを一切聞かず、無邪気に喜ぶジュールの姿に、オワインの顔も知らず綻ぶ。

 そうかもしれない。何もかも脱ぎ捨てて、ただのオワインとしてその光を風を熱を感じれば、何かが変わるかもしれない。いやきっと変わるだろう、そう感じた。目に見えて何かがあるわけではなくても、心の持ち方一つで、世界はきっと大きく変わっていくのだ。

 オワインは久しぶりにジュールのたくましい首に全力で抱きついた。そして、わざと目を白黒させてみせる黒豹の下手な演技に大笑いした。そこにはもう鬱々としたものはなく、楽しい外出を前にした少年のような明るさだけが残されていた。


 半年ほど、いや多少長くなるかもしれないけれど、海の王国に行ってみようと思うとオワインが旅程を差し出せば、そこに海の王国での視察や聖獣の里での打ち合わせが入っていることに気がついたグレンウッドは呆れた顔を見せた。


「おいおい。これは休暇だぞ? それなのに働くのか……う〜ん、お前は本当に、つくづく不器用な奴だなあ。もっと自由に羽を伸ばしていいんだぞ?」


 グレンウッドに同意するように、セフィードをはじめとした王宮のものたちも頷く。半年と言わず一年でも、陛下のことは私が面倒を見ますからとエーディアスが真剣な顔を見せれば、何かあったらすぐにお兄さまを走らせるから心配しないでとシュトーレアも付け加える。

 みなのそんな過保護ぶりに苦笑しながら、けれどオワインは密かに高揚する気分を感じていた。この旅を決めた時から何やらざわざわと心の中が波打ちだし、自分の想像を超えたものが近づいてくるような気がしてならなかったのだ。出発は、若き日の父ザイルフリードが発ったのと同じ秋の花の頃となった。


 深まる秋の中、真っ赤な花降るヴェルリーレン城の庭に、オワインは一人佇んでいた。回廊を歩いていたガデスはふとその姿に気づき足を止めた。


 オワインは変わった。想像を絶するようなこの数年で強さを取り戻した。父の愛を知り、自分の瞳の色を厭わなくなった。ねじ曲がり傷ついた心を抱えて苦しむ姿はもうなかった。それでもまだ、何かが足りないのだ。その微笑みには拭いされないものが張り付いたままだった。

 ガデスは、この乳兄弟が心の底からの憂いない微笑みを取り戻し、自分の幸せをもう一度考えてくれることを願わずにはいられなかった。人一倍愛情あふれるこの人に、同じように深い愛情を注いでくれる人を見つけて欲しい。そしてそれこそが、足りないものの正体だとガデスは感じていた。


 しかし、それは容易なことではない。オワインはどこかで諦めている、怖がっているのだ。自分を愛し包んでくれる最愛の人の存在を、自分には過分なものだと捉えている。一番近くにいるガデスにはそれがわかった。

 ガデスは赤の中に佇むオワインを見つめた。途切れることなく降り注ぐ赤。想いが、愛が、情熱が。オワインの中に宿され金色が、この先の時間の中で、大切な想いをまとってより一層光り輝き、新たな形を作り上げますように。ガデスは心からそう祈った。


 疫病が終息した一年前の秋、オワインはヴェルリーレン城のヴァナンガラージュ庭園を週末に解放することにした。自分と同じように、求める人の手を離さなければいけなかった人たちに、けれど想いはいつまでもあり続けるのだと、そう感じて欲しかったからだ。

 北の大地に根付いた奇跡の花を見に多くの人が訪れた。その中には大切な人を亡くした人も多かった。けれどオワインが願ったように、彼らはその花に触れることで喜びを得た。奇跡の花が奇跡の夢を運んだのだ。

 もう一度会いたいと願い続けた人に夢の中で会えた! 別れの言葉もかけられず心残りだったけれど、夢の中でその言葉を届けられたのだと人々は涙を流した。

 真っ赤なヴァナンガラージュは、そうしていつしか夢の花と呼ばれるようになっていく。海の王国から離れ、それはついに森の王国の花となったのだ。約束の色が夢を運んできてくれる、叶えてくれる。オワインの母の赤が、北の大地で新たな形を作り上げた瞬間だった。


 人気のない平日の早朝、静かに回廊を後にしたガデスには気づかず、花に埋もれるようにして木の根元に座り込んだオワインは母を思い出していた。

 あの恐るべき疫病によって嘘のようにやせ衰えていく人が多かった中、母ルメリアーナは何一つ変わらなかった。美しさは最後の最後まで彼女とともにあった。

 海の王国内で当時、最も強い魔力を持つと言われた母、その力のせいだったのだろうか。それともこの真っ赤なヴァナンガラージュの花のおかげだったのだろうか。

 父の愛した光の花の妖精が、その愛の色に染められた花に抱かれて旅立ったことが、オワインには救いだった。別れはどんな時も悲しく割り切れるものではないけれど、それはまた新しい物語の始まりなのかもしれないと、そう思うことができたからだ。


「母上、父上にはお会いできましたか? 愛する人と一緒に過ごせる事は、やはりなにものにも代えられないものですか?」


 父を母を失った時、オワインの世界は足元から崩れ去った。大切なものをなくすことの怖さは身を引き裂かんばかりだった。もう二度とあんな気持ちにはなりたくない。再びそんな思いをするくらいなら、生涯一人でいるべきだとまで思ったのだ。

 けれどグレンウッドの結婚が、オワインの心の中に何かを投げ込んだ。いつだって互いの温もりを分かち合う、感じ合おう。そう言って憚らない彼らの姿に、オワインは羨ましさを覚えたのだ。それは初めて抱く感情だった。

 オワインはそんな自分の気持ちに驚きながらも、それを否定することはなかった。受け止めるべきだと、なぜか素直にそう感じたのだ。果たしてそんな相手に巡り合えるかどうかは甚だ疑問だ。けれど、この旅の自由な時間の中では、そんなことに向き合ってみてもいいのではないだろうかと、そう思った。


 真っ赤なヴァナンガラージュの花を手のひらに受け止め、オワインはその輝きにそっと唇を寄せた。

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