第16話 新しき神話の時代
寒い季節にはそれだけで体調を崩す者たちがいる。発症したものが悪化する傾向もある。けれど癒しの力を持つ聖獣たちの回診のお陰で、多くの人々がその冬はことなきを得た。そうして長い冬が終わる頃、今度こそ森の王国は息を吹き返したのだ。
雪雲が去り、柔らかな
春を祝う喜びに沸く城下、通りを歩く聖獣たちの姿はもう見慣れたものだ。誰もがその訪れを心待ちにしている。病気でない者たちさえも、セフィードたちが来たと聞けば駆けつけた。
体の大きな彼らが滞在できる場所は限られてしまうけれど、住民たちは少しでも寛げるようにと準備を怠らなかった。さらに、森の王国の食べ物や飲み物にも興味を持った聖獣の若い世代たちは、人々と共に食するという喜びも覚えた。
「セフィードさま、見て。これ、シュトーレアさまやエーディアスさまとお揃いなの」
頬を染めた少女たちが嬉しそうに見せたものはチョーカーだった。
危険物質の発見、調査団の準備、聖獣たちの扶助、多くの功績を残したシュトーレアはこのほど国王グレンウッドより美しいメダルを授与されたのだ。
そして、それをしまいこむことなくいつも首に輝かせている。そのためにチョーカーが用いられ、なおかつそこにはガレッティのビーズまでつけられているのだ。
各家庭に配布するにあたって、ガレッティの巨石は細くされた。その時、多くのかけらが出たのだ。小さくとも力のある石、捨てるのは惜しいと取って置いたものにシュトーレアは反応した。
黒氷石にも似た美しい石は、よく研磨すれば輝きも素晴らしいものになるだろう。それに名付け親としては人一倍の愛着もある。自分が功労者ならガレッティも。シュトーレアにとってガレッティのビーズは、メダルと並べて飾るにはまたとないものだったのだ。
そうしてできたシュートレアのチョーカーは、聖獣たちの瞳を彷彿とさせる薔薇色のリボンだった。黒いガレッティと金色のメダルによく映える。それは思った以上に可愛らしく、すぐにエーディアスが揃いのものを作った。もちろんメダルはついていないけれど、エーディアスはそこにグレンウッドの横顔が彫られた金色の硬貨を結びつけたのだ。
そんな二人が公の場に姿を現せば、それはあっという間に噂になった。あれは何、あれが欲しいと少女たちは大騒ぎ。だったらみなのも分も作ればいいとシュトーレアがいい、城下で売り出されることになった。
そこで無料にしなかったのは考えあってのこと。その売上金を、ガレッティ再採掘のための支援にしようと、グレンウッドが提案したのだ。
それというのも、ここへ来て砦に大きな動きがあった。奥の立ち入り禁止地区の岩盤再崩落。しかしその時、その向こうに古い鉱脈への通路が見つかったのだ。
古代のガレッティ採掘現場ではないだろうかと砦は色めき立った。今回のことでこの石がどれだけ必要とされるかをみなが知ったからだ。しかし二度と採掘されることはないだろうと言われて久しい。もう一度機会を得られるならば! 砦の興奮は当然のことだった。
もちろん、念入りに強度の検査をしなければならないだろうし、砦の拡張などやらなければいけないことは多い。時間もかかるだろう。人手も必要だ。けれどそれに値するだけのことはある。小さなチョーカーを身につける喜びが、国を支えるものになっていけば、こんなに嬉しいことはないはずだというグレンウッドの言葉に、シュトーレアもエーディアスも大いに納得したのだ。
さらにセフィードが、そこから出るわずかな力は健康に良いものになるだろうと断言した。確かに類稀なる浄化能力を秘めた石ならば、体にも良い作用があるだろう。
金色のメダルの代わりに名前の彫られたプレートをつけたガレッティのチョーカーは、幼子の健やかなる成長を願う贈り物として瞬く間に人気商品となっていく。
厳しい冬を共に戦った聖獣と王国の人々の絆は、思った以上に深く強いものとなった。王宮という限られた場所ではなく、城下に飛び出して多くの人々と結びついたからだ。嬉しいことに子どもたちの中には、未来の通訳者を感じさせる才能も開花し始めていた。
春の終わり、大きな仕事を果たした聖獣たちはみな帰国することになっていた。けれど彼らの半分が王都に残ることを決めた。王宮にてシュトーレアたちとともに働くことを選んだのだ。
疫病は去ったけれど、これからが大変な時期だ。滞ってしまった景気の回復、新しい治水事業、聖獣通訳の育成。やるべきことは山積みだった。それだけに、セフィードをはじめとした聖獣たちの申し出は、グレンウッドやオワインたちにとって大きな喜びとなった。
休む間も無く働き続けるオワインたち、けれどそこには新しい仲間たちがいる。悩みも疲れも一人で抱え込むことない。偽らず素直に甘えること、強がらず支え合うこと、若い力の結集は動き始めた森の王国の新しい未来を彩った。
それから一年、グレンウッドが結婚を決めた。相手は王宮と里のために奮闘してくれたエーディアスだ。しばらくぶりに王国中がわいた。誰もがこの嬉しいニュースに顔を輝かせた。これこそが開かれた王室なのだとオワインは思った。
エーディアスの家族は森の王国の爵位など持ち合わせてはいないのだ。以前なら、それだけで反対の声もあったはず。けれど、この未曾有の災害を乗り切った若き指導者たちに、古臭いしきたりを押し付けるものなど皆無だったのだ。
時代は変わった。王室の在り方もまた。彼らの斬新な考え方がこの国を導いている。エーディスアたちの才能がこの国を救ったことを誰もが認めている。自分の愛する従兄は、同じ方向を見て進んでいける人を選べることができたと、オワインは心から喜んだ。
夏の終わり、戴冠式も兼ねた結婚式が行われた。けれど、森の王国の若き国王たちを世に知らしめるべき祭典は、拍子抜けするほど簡素だった。復興のためにたくさん使ったからこれで勘弁してくれと頭を下げるグレンウッドにエーディアスは満面の笑顔で答えた。
「大丈夫ですよ、グレンさま。見てください! この花たち、そしてこれほどの賓客を迎えての式など、世界のどこを探してもきっとありませんもの。最高の贅沢です。お父上の立太子式も後世に残るものとなりましたけど、グレンさまの戴冠式も負けていません、いえ、それ以上です」
「ディ、戴冠式などどうでもいいのだ、そんなものはおまけだ。肝心なのは結婚式、大事なのは花嫁なのだよ。だが、ディが喜んでくれているならそれでいい。そうだな、素晴らしい招待客! 確かにそれだけは誇れる。それにディ、あなたがいればもうそれだけで何よりの美しさに違いない。白豹に乗る王妃、ああ、誰もがきっと夢に見るだろうな。秋には自由自治区で大いに絵巻物が作られるかもしれんな」
招待客の数は少なく、式のために設営された天幕も食事の内容も、過剰な華美や贅沢さは避けられていた。けれど、会場にはあふれんばかりに聖獣の里の花、ロジーアンロベルダ、愛されしロージーが運び込まれ、見たこともないような美しさを醸し出していたのだ。
なんという薔薇色の世界、それだけでも天幕を囲む一般客たちは美しさに酔いしれた。
そしてそこに現れたのは、真っ白な豹を連れた可憐な乙女と、それをすっぽりと包み込めるほどに大きな新国王グレンウッド。新たな神話の世界を描いたのかと思われるような二人の佇まいに、この式典を残そうと馳せ参じた各国の画家たちは一様にため息を洩らした。
その後ろから、ジュールを連れた黒将軍オワインを先頭に、続々と聖獣たちが姿を見せる。丁寧に毛づくろいされて光沢を放つ立派な体躯に、金色を主体とした華やかな勲章がかけられた聖獣たちの一団は、より一層神々しさを感じさせた。彼らを見慣れていたはずの城下のものたちでさえ息をのみ、呼吸すら忘れてその光景に見入った。
こじんまりとした式典は、しかしそれゆえに特別感を増していく。レオンハルトの立太子式をはるかに上回る聖獣の数がそれに拍車をかけた。今までの歴史に残る何よりも幻想的で美しいと人々は思った。
グレンウッドの力強い宣言が響けば、森をも揺らすかのような歓声が上がった。何もかもがまさに神秘だった。その中で、新国王夫妻の頭上に輝く王冠が、夏の太陽にも負けぬ輝きを放っていた。
賑わう人の輪を抜けて、天幕の奥に座ったオワインは、久々に祝いの酒を味わった。幸せな二人を見るのはいいものだ。ふと、彼らの幸せが自分に絡まっている得体の知れない枷をも解き放ってくれればとオワインは思った。
なんということだろうか。そんなことを思うだなんて。今まで誰かを求めることなど考えたこともなかったオワインは、突如としてわき上がってきた気持ちに驚かされる。そんなオワインをちろりと盗み見たジュールは密かに笑った。
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