第15話 心温めるものと冬の始まり

『そうね、やはり大河側のガレッティはできるだけ大きめのものがいいわよね。冬の間は簡易で積んで、春になったら本格的に』

「シュトーレア? ガレッティって何? そんな資材あったかしら? ねえ、陛下」

「ガレッティ? ……ちょっと俺の記憶にはないが……オワインはどうだ?」

「いや、私にも……」

『シュトーレア……まさか!』


 ジュールの叫びにオワインとエーディアスがシュトーレアを仰ぎ見れば、彼女は涼しい顔で言った。

『ガレリアキーラント、でも長いからガレッティ。これならみんな親しみがわくでしょ?』

「エーディアス、シュトーレアはなんと?」

「ガレリア、キーラント? 黒の叡智? オワインさまのお名前と同じね」

「ああ、確かに私のミドルネームはキーランだが……なぜそれが?」

『シュトーレア! ちゃんとみなさんにわかるように説明しろ!』


 今度こそ、悲鳴じみたジュールの声が響いてオワインは困惑する。こんな風に取り乱すジュールを見たことがない。何やらとんでもないことが起こっているようだとエーディアスを振り返れば、困ったように肩をすくめる彼女と目があった。

 グレンウッドの私室で話し合いを進めていた全員がシュトーレアを見つめれば、彼女はにんまりと笑ったかのように見えた。


 オワインたちが聖獣の里での調査を終えて帰国してから二週間。汚泥からの金属反応は確実で、すでに水路の浄化のためにさらなる石が運び出され始めている。

 雪がちらつき始めている今、工事は急いだほうがいいだろう。まずは大河側の水路の数カ所をくだんの石で補強し、春に備えることになったのだ。


『その石とか、あの石とか、浄化の石とか、宝石じゃないから名前がなくても仕方はないけれど、これだけ頑張っている石なのよ、やっぱり必要でしょう。あった方がわかりやすいわ、現場でも呼びやすいし、国民感情的にも理解が深まると思うのよね』

『お前、それで勝手に命名……』

『え? いいでしょ? これ、可愛いでしょ? ねえ、エーディアスだって、いいと思うわよね?』

『陛下、申し訳ございません』


 どうやらシュトーレアは、古代遺跡にも使われているこの石に名前をつけたようだ。それも可愛い愛称まで。ちゃんと意味は踏まえてあると力説する。ガレリアキーラント、古代の言葉で黒の叡智。確かに、類稀なる浄化の力を秘めたこの石にふさわしいとジュールは唸った。

 オワインのミドルネーム、キーランも、エーディアスの指摘通り同じ意味、黒という意味だ。オワインはそこにあまりにも重いものを感じすぎていたため、今まであまり口にすることはなかった。けれど今、シュトーレアの口から紡がれるキーラントはなんとも頼り甲斐があって親しみがあって、オワインはようやくこの名前を好きになれそうな自分を感じたのだ。

 エーディアスから説明を受けたグレンウッドは大笑いした。腹を抱えて大笑いしたのだ。隣でひやひやしながら見守っていたエーディアスは、その姿に驚いて目をまん丸にした。


「いいじゃない、ガレッティ。今やどの家庭にもあるのだぞ。みなが喜んでくれるならそれがいい。王宮から貸し出された恐れ多いものではなくて、我が家を守る、王都を守るガレッティ。うん、いい。いいと思うぞ、俺は」

『でしょう、グレンさまもそう思うでしょ。そうなのよ、わかった? お兄さま』


 その旨が告知されれば、ガレッティが、ガレッティが、と三日もしないうちに誰もが気軽にそう呼ぶようになった。そうして作業に当たれば、重く冷たい石にも愛着がわいて、寒風吹きすさぶ中での時間もなんだか心温まるものになったのだ。


「お城のみなさま頑張って! ガレッティも頑張って!」


 工事の様子を見に来た子どもたちの声援に技師団も騎士団も笑顔になる。ちょっとしたことがこんな風に雰囲気を変えていくのだ。工事現場で指揮をとっていたオワインは、ジュールの頭をぐりぐりと撫で回した。


『我が愚妹ぐまいも時には役にたつか』

「愚妹ではないだろう、優れた妹だ。いやそれ以上だな。特別に優れた妹だ」


 水路での作業も終わる頃、聖獣の里からの一団が王宮に到着した。しばらく里に帰っていなかったシュトーレアは興奮して王宮入り口まで迎えに行き、ジュールが呆れるほど一人でしゃべりまくった。傍目には、驚くべき多彩な声色の鳴き声が、息つく暇もないほど繰り出されていたと言うことだ。緊張していた一団も賑やかなその声に心ほぐされて、何とも愉快な入城となった。

 若々しい面々が多いけれど、そこには聖獣の里の王宮にずらりと並ぶ重鎮たちの迫力とはまた違う神々しさがあった。まずその体躯の素晴らしさ、輝かんばかりの毛並みの美しさ。浄化能力の高さを感じずにはいられない清廉な気配。彼らがそこにいるだけで、場が清められていくような気がするとオワインは思った。


 これから数日間のうちに王都上空を覆う浄化の膜を張るのだ。風も通すそれは気候を変えたり環境を損なったりはしない。高性能な空気清浄装置だと言えるだろう。

 聖獣団到着までの間、王都では、できる限り家庭の窓を、特に西側に面する窓を閉めること、外出時には必ず鼻と口を覆うことが徹底されており、ここしばらくは新たな感染者数が抑えられていた。

 しかし完璧なわけではなく、まだまだ発症者はあり、悲しみの儀式は日々どこかで執り行われていた。それでもグレンウッドを先頭に、身分など関係なく、人々は一丸となってこの窮地を切り抜けるために努力を続けたのだ。


『人から人への感染は認められていません。何よりです。これから毎日、数班に分かれて王都回診に同行します。我々には浄化の力と癒しの力がありますから、軽いものたちの手助けにはなると思うのです。少しでも健康な人が増えてくれれば、みなの気持ちも明るくなると思いますから』


 浄化団の団長を務める白馬のセフィードがそう報告すれば、隣にいるエーディアス経由で内容を聞いたグレンウッドがいつになく晴れ晴れしい顔を見せた。


「素晴らしいな。ありがとう。こんなにもよくしてもらって……はるばるこの地まで来てくれて。ああ、父や叔父上たちにもこんな様子を見せたかった。なあ、オワイン」

「ああ……。そうだな。でも、きっとどこかで見ていてくださる。新しい私たちの王国の未来をきっと感じて下っている」

『陛下、閣下。私は、幼い頃にザイルフリード殿下にお目にかかっております。素晴らしい御仁でした。憧れました。大人だったら一緒に働きたいとそう思ったのです。お二人は若き日の殿下によく似ておられる。ですから、この任務をいただいて、私は喜びを噛み締めております。幼き日の夢が叶えられたのだと思わずにはいられないのです。それに、森の王国は思った以上に美しいところで感動しておるのです。道中、みなよそ見ばかりでした。同じように石造りでも何もかもが違う、目新しくて日々発見があります。城下にでれば、誰もが声をかけてくれる気にかけてくれる。特に小さな子どもたちの好奇心には驚かされます。我々の中の一番大きなものにさえ物怖じせず、質問を投げかけ、体に優しく触れてくれるのです。できる限り長く頑張りたいと思ってやってまいりましたが、これならいつまでもいれるのではないかと、今朝もみな、そう口々に言っておりました』


 その言葉にグレンウッドは破顔しオワインは安堵の息をついた。聖獣たちが王都を気に入ってくれてよかったと胸をなでおろすオワインの隣で、グレンウッドは頷きながら今後の内容を確認していく。


「ここ数週間は分厚い雪雲に覆われていたため、粉塵の量は少なかったようだ。大聖堂の尖塔先に検査用の仕組みを設けて記録を取っているのだ。しかしもう数日のうちに本格的な雪が降り始めるだろう。この時一緒に落ちてきたものが厄介だ。上空の浄化膜は間に合うだろうか」

『はい、時間的には十分かと。ただ雲の境目あたりに展開しますから、幾らかは拾いきれないでしょう。落ちてきたものをいかに浄化するかを今みなで話し合っているところです。例の帯状の汚染は永久凍土地帯に追い込みましたから、こちらに流れてきているものはかなり限られています。効果はじきに出るのではないかと。春に大河上流の浄化が始まれば、さらに改善されると思います』


 セフィードの力強い一言にグレンウッドもオワインも大きく息を吐き出した。


「うむ。何から何まで本当にありがとう。心から礼を言う。残念ながら、中和剤はすぐには無理だろうと意見が出ているのだ。仕方がないことだ、他からの物質である以上、そう簡単にはできないだろう。それでも諦めずに研究は続けるつもりだ。そんなわけで、しばらくは里のみなの協力をお願いしたい」

『もちろんです。全力で頑張らせていただきます』

「いやいや、適当に力を抜いてくれ。まだまだ何があるかわからない、力尽きないように支えあっていこう。町が活気を取り戻せば、色々と楽しんでもらえることも増える。この町を好きになってもらいたいのだよ。くれぐれも無理などしないように。なんでも言ってくれ」


 セフィードが息をのんだ。


『……陛下……、本当にザイルフリード殿下に考え方もよく似ていらっしゃる。いや、前国王陛下に似てらっしゃるのですね。殿下はよく言っておられました。ご自分とレオンハルト殿下はいつだって同じ意見なのだと。この言葉は兄の言葉でもあるのだと、そう嬉しそうにおっしゃっておりました。仲の良いご兄弟だと羨ましく思ったものです』


 グレンウッドとオワインは顔を見合わせ、遠き日に想いを馳せた。思いがけない逸話に国王の執務室は温かな喜びに満たされていく。長く厳しい冬を前に、それでもみなが前を向いていられる。何が起きるかわからなくても、手をとりあえる相手がいることは大きな力となるのだと、集う誰もが心からそう感じた。

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