第10話 立ち上がる若き命と花々の微笑み
賢王レオンハルトの突然の崩御は大きな悲しみを王国内にもたらした。けれど新国王グレンウッドは国葬を執り行うことはなかった。みなの気持ちだけで十分だと、落ち着いたら王室墓地を訪れてくれれば、献花してくれればそれでいいと、一切の行事を行わなかったのだ。
感染源が特定できない今、誰もが小規模でひっそりと葬儀を行なっている。それは自分とて同じこと。形などにこだわっている場合ではない。みなの安全が第一だ。一日も早く元の生活が取り戻せるようにすること、それが父の最大の願いであるとグレンウッドは思ったのだ。もちろん、戴冠式など二の次だと言って憚らなかった。
そんなグレンウッドにオワインは黙って付き合った。居城には戻らず、王宮の自分の部屋に寝泊まりして時間の許す限りグレンウッドのそばにいた。
オワインが父を、母を亡くした時、ガデスやグレンウッドがそうしてくれたように。言葉はなくても常に近くにあって、冷え切った心を温めてくれるものが必要だということを痛いほどわかっていたからだ。
「グレン、泣いたっていいと思うぞ」
「残念ながら、いやありがたいことにか……そんな力は残っていないな」
「そうか。じゃあいつか、そんな日が来たら遠慮なく言ってくれ」
「ああ、そうするよ。オワイン……おまえだって辛いのに……ありがとう」
「礼には及ばない。したいからしている。グレン、おまえがしてくれたからだ。いつか泣ける日が来たら、一緒に泣こう」
それからの数年、オワインたちはひたすら王国のために邁進した。気力と体力はあっても経験値は圧倒的に少ない。とにかく毎日を積み重ねていくこと、それしかないと二人は思っていた。
そんな中、崩落や大火災などの傷跡を残しながらも、一足先に立ちあがった聖獣の里のものたちが二人を陰になり日向になり支えてくれた。
目の前のことに果敢に挑めど、足りないものは山ほどある。そんな時は素直に年長者の声に耳を傾けるべきだ。グレンウッドとオワイン、同じように素直な心を持った二人にとって、ザハートスは心から頼れる相手だった。
グレンウッドのことも、もう一人の息子だと言ってくれたザハートスの、父のような優しさと大きさ、そしてその類まれな英知に二人は心から感謝するばかりだったのだ。
支援を申し出てくれる海の王国や泉の王国、けれど使者たちを含め、他国からの人たちを危険に晒すわけにはいかない。森の王国の謁見の間が使えない今、国境付近で会議の席を設けることになった。
王宮を離れるわけにはいかない若き国王に代わって、オワインがジュールとともに、これまで以上に出かけることとなる。けれど聖獣の中でもその身体能力がずば抜けて高いジュールのおかげで、距離も時間も、オワインは誰よりも稼げることができた。
『一々礼を言う必要などないよ、オワイン。おまえが行くから俺が行く。ただそれだけのことだ。この程度の移動、ちょっとそこまでの散歩と同じ。それよりも、移動後すぐに会議、とんぼ返りでまた会議、おまえの方がよほど頑張っている。無理な時はすぐ言えよ、休息は大事だからな』
支援物資の輸送や水路周りの工事、人手を欠いた森の王国民に代わり聖獣たちが郊外で活動を始める。それは発症しないまでも、心身ともに疲弊した人々にとって大きな励ましとなった。
そして、聖獣の里との交流をより迅速かつスムーズにするため、再び村人たちも精力的に動き始めた。西の地区にあると言うのに、村はこの疫病の蔓延を逃れていたのだ。大河の水ではなく、聖獣の里側からの水路を使っていたことが良かったようだ。オワインたちは大きな役割を持つ彼らの無事を喜んだ。
そんな時、近年稀に見る才能だと言ってザハートスに推薦されたのは、オワインと同じ年の華奢な女性だった。エーディアス。彼女が、最初に王都入りする、王宮勤めの聖獣たちのまとめ役になるのだ。
オワインたちは戸惑った。聖獣の脇に立てば、まるで小さな獲物のような彼女が、果たしてこの大役を無事に務めることができるのだろうか。しかしその心配は無用だったとすぐにわかることになる。
聖獣とともに森の王国に入った彼女は、一分の狂いも遅れもない素晴らしい通訳としてあらゆる場面で活躍し、必要とあれば自ら身軽に聖獣に飛び乗ったのだ。その姿はまるで妖精の国の女王のようで、グレンウッドを始め王宮の主だった者たちは思わず感嘆の吐息を洩らした。エーディアスは、それこそものの数日で、気づけば王宮になくてはならない人となっていったのだ。
彼女のパートナーは真っ白な豹シュトーレア。妹だと、ジュールがオワインたちになぜか恥ずかしそうに教えてくれた。
すました顔をしておとなしく控えているが、実はものすごく気が強くて常人には手に負えるものではないからだと苦笑する。そんな白豹が絶対的な信頼を寄せるエーディアス、オワインたちは小柄な彼女の中に秘められた並外れた能力と、さらなる未知数の何かを感じずにはいられなかった。
妹はおてんばすぎて恥ずかしいとジュールは言ったけれど、シュトーレアはそれだけではなかった。まさにエーディアスにふさわしい、素晴らしく特別な力を持っていたのだ。
『あれは、千里眼を持つのだよ、オワイン』
「千里眼?」
『ああ、遠くのものを見る力だ。感じるというか……。人の世界の巫女のような力を妹は持っている。まさに女神カトレイアに仕えるものだよ』
そう言ってジュールは遠い日の話をみなに聞かせた。彼らがまだ幼き日、午後の王宮でシュトーレアは突然立ち上がり、村にとても可愛い花があるからいかなくてはと王宮を飛び出したのだ。
彼女は可愛いいものが大好きだった。小さくて綺麗なものに目がないのだ。特に、自分と同じように白いものが好きで、彼女の部屋には多くの美しい白が集められていた。
そのシュトーレアが、里との仕事を任されている村へと全力で駆けて行ってしまった。翌日、何が起きたのかと疑問符が渦巻いたままだったジュールの前に、意気揚々とシュトーレアが連れてきたのは小さな女の子だった。
『見つけたの、お兄さま。私の宝物、エーディアスよ』
柔らかな黒の巻き毛は豊かにその背に広がり、魔領域に近いものに時折現れる、ほんのりと赤を感じさせる黒の瞳は大きくてきらきらとしている。そしてその肌は、永久凍土も顔負けの白さだった。穢れなき雪の白さ。
エーディアスとは、古き言葉で白き花という意味。小さな顔にあふれんばかりの微笑みを浮かべる彼女は、まさに可憐な花そのものだ。そしてそれは、シュトーレアの理想の塊だった。
『エーディアスはね、私の言葉も全部わかるし、もう古代語の勉強もしているの。こんなに小さいのに博識なのよ。いえ、天才かしらね』
自分はまだパートナーを得ていないというのに、シュトーレアは自分で探し出し、もう一生離れる気はないと宣言する。ジュールはあっけに取られっぱなしだった。
ザハートスはその横で心から可笑しそうに笑っていた。これがパートナーというものか、こんなにも惹かれ合うものなのかと、ジュールは心底感動したのだ。
その日からシュトーレアは、ほとんどの時間を村で過ごすようになった。住み着いたと言っても過言ではないだろう。女の子たちのお洋服や遊びが大好きな彼女にとって、村の生活の方が里の王宮よりもずっと快適だったのだ。
それに……とシュトーレアはもっともらしく言い訳をした。
人の生活に違和感なく馴染むことは、この先、聖獣たちが人との距離を縮めていくためにも必要不可欠なこと。共に生活することができれば、より親密さは増し、その気持ちを理解しやすいはず。
そう言ってシュトーレアは、エーディアスたちが焼く甘いケーキに舌鼓を打ち、寝る前と起きた時には同じように毛にブラシをかけ、花輪だネックレスだと、身を飾ることの楽しさを覚えて、その少女時代をほぼ人の間で育ったのだ。
その白豹シュトーレアの登場で、重苦しい空気を溜め込んでいた王宮は一気に明るくなった。型破りな彼女が、こんな時だからこそ盛り上がらなくては、とみなを焚きつけたのだ。心が弱れば体も弱る。だから少しでも笑って欲しいと言う言葉を聞いて、みなが素直に頷いた。
人の心の機微を理解できるシュトーレアによる仲介。博識で、通訳だけにとどまらず、グレンウッドの手伝いもできるエーディアスの働き。底抜けの体力と繊細な心配りで多くの仕事をこなしてくれる聖獣たち。二人の若き指導者たちの負担は大いに減り、彼らはようやく生きた心地を取り戻せた。
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