第9話 夏の日の奮闘と二人の誓い
真っ赤なヴァナンガラージュが晩秋の風に舞い、その日も世界を埋め尽くすかのようだった。光を纏った花が降りしきる中、オワインは最愛の母ルメリアーナを見送った。深緑色の美しいドレスに包まれたルメリアーナ。その姿のどこにも赤はない。けれどオワインの手首には、彼女が残したリボンが巻かれていた。
海の王国では王族は水葬される場合もあるというけれど、森の王国では地位あるものたちは、森林の中に小さな庭のようなものを作る。父ザイルフリードの遺骸は戻ることがなかったけれど、整備された丘の中腹に、黒氷石でできた美しい墓標が作られていて、ルメリアーナはそこへ安置された。
西へと向いた墓標。遠い砦を直接見ることは叶わないけれど、そこからの風を感じられる小高い丘の上。これなら母も心安らげるだろうとオワインは思った。けれどまだ新しい家族のための墓地は殺風景だ。そこにいつか、花咲く美しい木を植えようとオワインは誓った。
葬儀を取りしきった後、王宮に戻ったオワインはそれまで以上に猛然と執務に取り組んだ。そうすることでしか、自分の気持ちを制御できそうになかったのだ。タナーティアの言葉に励まされたものの、やはり一人になれば悲しみに胸が潰れそうになる。何かに没頭して、その苦しみに耐えるしかなかった。
レオンハルトもグレンウッドも、そんなオワインのことが心配でたまらなかったけれど、彼の胸の内を推し量り、今は見守るしかないと唇を噛み締めた。
しかし国を揺るがす問題はまだ山積みだ。実際のところ誰もが泣き言を言うことも許されないほどに、対応に追われていた。そんな中でオワインが帰ってきてくれたことは、王宮に詰めるみなに力を与えてくれた。二人はオワインの尽力に心から感謝するばかりだった。
汚染物質の流入元の特定も、その中和剤の開発も思うように進まず、日々死を悼む声ばかりが上がる王都で、それでもオワインたちはできることを探し続けた。
病人やその家族のための手助け、滞ってしまっている物流や経済の立て直し、他国からの援助や協力に備えての準備、そして目の前には迫り来る長い冬があった。
聖獣の里や砦の被害に続き、疫病の蔓延。森の王国が何をしたのだと誰もが声を大にして叫びたかった。真面目に働き続けた自分たちが、このように苦しめられる理由など何も思い当たらない。
けれどそんな苦々しい思いをぶつける先はどこにもなく、ただもがきながら、進むべく道を見つめることしかできなかった。
そんな矢先、国王レオンハルトが倒れた。オワインの母ルメリアーナの時と同じように、まったく前触れもなく。朝起き上がれなくなり、浅い眠りの中を行ったり来たりする。そしてなんと、その体はみるみる痩せ衰えていったのだ。
ルメリアーナの容姿は何一つ変わらなかったけれど、レオンハルトは違った。その頬は長く病を患った人のようにこけ、固くつぶったままの瞼は深く落ちくぼんだ。この二年の無理がすべて吹き出したかのようなその変貌ぶりに、誰もが言葉を失った。
この恐るべき疫病は、それ自体の中毒症状とは別に、内に抱える疲れや痛みを引き出して増幅させるのだ。それでもレオンハルトは生きた。ルメリアーナのように発症してすぐ亡くなることはなく、数週間を持ちこたえたのだ。
「陛下は、父上は……戦っておられるのだな。今もまだ国を思っておられる。計画を半ばで放り出すことなど許されないのだよ、オワイン。なあ、覚えているか? ひどく怒られたなあ。初めて任されたあの水路のこと、諦めるなと拳骨が飛んできた」
「ああ、忘れるはずもない。とんでもなく痛かった。あれには父上も驚いておられたな。まさか陛下にごつんと殴られるなど、考えもしなかった」
国王の執務を、もう半分以上は受け持つようになっていた皇太子グレンウッドと若き将軍オワインは、少年時代のように無邪気な顔を見合わせて笑った。まだ年端もいかない頃、城の裏の洗濯場に水路を作るよう言われたことがあったのだ。
あの日、洗濯のための水場を独占した二人は、そこに張られていた水を汚してしまった。その水は、深い井戸から侍女たちが代わる代わるポンプを押して貯めたものだった。
汚れてしまった水では洗濯はできない。もう一度汲み直さなくてはいけない。彼女たちの時間も労力も、二人は自分たちの遊びのために駄目にしてしまったのだ。
国王レオンハルトは雷を落とした。罰として、すぐに二人で水を汲み上げること、この先侍女たちが楽に仕事ができるよう、水場への新たな水路を作ることが課された。
その水路作り、幼い二人は最初こそ、工作の時間のような好奇心を持って計画に臨んだけれど、知識もなければ経験もない、すぐに万策尽きてしまったのだ。もう知らないとばかりにペンを投げ出してしまったグレンウッド、困り顔でそのペンを拾いおろおろしているオワイン。
きっと父上の気まぐれだ、もう忘れてしまったに違いないとグレンウッドはオワインに囁き、二人は部屋を抜け出そうとした。
その時、レオンハルトがザイルフリードと伴って入室し、何も書かれていない紙を見て
「お前たち、これはどうした。真っ白なままではないか。それで外出とは……恥ずかしくないのか」
「お言葉ですが父上、私たちにはこのようなものを作り上げることはできません。建築技術やら何やら、そんなものは学んでおりませんから」
不満顔でグレンウッドが答え、オワインもこくこくと頷いた。その途端、目から火花が出るかと思うほどの衝撃が二人を襲ったのだ。あまりの痛さにうずくまる二人にレオンハルトは静かな声で問いかける。
「できないのなら、できないのでよい。だったらなぜ次の手を探さない。この城には誰がいる。師と仰ぐには十分な才能がごまんとあるではないか。そんなことでこの先、人の上に立てるのか? 人を動かせるのか? お前たちがすることは人を導き助けることだろう。できないことを知り、それを解決していくことだ」
涙目の二人が揃ってレオンハルト仰ぎ見れば、彼は優しく目尻を下げた。
「二人で力を合わせて頑張ってみろ。知恵を出し合って、必要な力を得て、一つのことを成し遂げるのだ。いいな。水路の完成、楽しみにしているぞ」
そう言って部屋を出ていったレオンハルト。オワインがザイルフリードを見やれば、目をまん丸にしてこのやりとりを見ていた彼は、二人の頭をそっと撫でた。
「陛下は、いや兄上は、昔からこうなのだよ。好きなものには多分に熱くなる。私も散々付き合わされた。いいか、これが兄上のやり方だ。愛情なのだ。お前たちは誰よりも愛されているのだよ。さあ、頑張って、成果を見せてくれ。私たちを喜ばせておくれ」
その夏中かかって、二人は小さな小さな水路を完成させた。ポンプを押す手間は半分にへり、新しい水が常に満たされる洗い場に侍女たちの歓声が上がる。そのみなの笑顔を見て、グレンウッドもオワインも、諦めなくてよかったと心から思ったのだ。
できないことを投げ出さず、その解決方法を粘り強く探ること。素直に教えを乞い、全力を尽くすこと。二人は自分たちの手で作り上げた水路を前に抱き合って喜んだ。二人でならやり遂げられるのだと頷き合ったのだ。
「痛かったけれど、あれで目が覚めた。やる気が出たのだったな、グレン。腹を決めて取り組もうと思えた」
「ああ、そうだな。オワイン……俺は覚悟を決めたよ。やってやろうじゃないか。この国は俺が引っ張っていく。だから……お前は俺を支えてくれ」
「もちろんだ。いつだって二人で乗り越えてきたじゃないか。グレン、私たち二人なら、絶対にやり遂げられる。なんだってできる」
分厚いカーテンを引いた薄闇の中、かすかな息遣いだけが聞こえる国王の寝室。この先に起きることは誰の目にも明らかだった。消えていく命の前でなすすべはなかったのだ。
けれど、もはや言葉もなく横たわるレオンハルトの傍らで、従兄弟二人は固く抱き合って、お互いが支えとなって生きていくことを誓い合った。
まとう色こそ違うものの、よく似た面ざしを持つ二人は、お互いの瞳をしっかりと見つめて、未曾有の災害とそれに続く死に物狂いの国作りの始まりに、怯むことなく立ち上がることを決意したのだ。
先の悲劇から二年、オワインとともに必死で父王の元働き続けてきたグレンウッドは、もう既に立派に役割を果たしている。彼が王冠を戴き、国を率いていくことに異存のあるものはいなかった。
自らも苦悩の中で将軍職を引き継いだオワインには、グレンウッドのまだ若いその肩に、今後覆い被さってくるであろう重圧が並大抵ではないことは、誰よりも理解できた。
オワインは、このよくできた自慢の従兄が、それに耐えてくれることを願わずにはいられなかった。彼のために、自分にできることはなんだってやってみせると、固く心に誓ったのだ。
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