第8話 赤いヴァナンドラの伝説1

 魔領域、かつての魔法領域は広大で、南に海の王国、西に空の王国、北は森の王国の西方にまで及ぶ。どこにも属さない種族の住まう土地ではあるけれど、元々は海の王国とのつながりが深く、不思議な姿をしたものや魔力を有するものたちが多いと言われている。

 名を知られたところでは、エルフの郷、サテュロスの森、ケンタウロスの岬、聖獣の里。しかしそれらでさえ実態は明らかにされていない。広大な領域にはその他に、細々とした数多くの種族が人知れず暮らしているのだ。

 彼らは独自のルールの下、多種族とはほぼ交流を持たず日々を営んでいる。決して仲が悪いわけではない。必要以上の干渉を好まないのだ。

 それゆえに他の王国との関係も希薄で、いまだ謎の多い領域だった。しかし、彼らのほとんどが薔薇色の瞳を持つことは知られている。その色が、ここが特別な、誰の力も及ばない、彼らの自由域、独立地帯だと示している。


 ポルカが生まれ育ったエルフの郷でも、みな薔薇色の目を持っていた。それは、砂の女神が作った大地の上に芽吹いた薔薇が、新たな命を生み出した証。魔領域の誇り。けれどポルカの片目は燃えるような赤だった。

 そんな赤、百年に一度生まれるか生まれないかという貴重な色を持つものは「海に応えるもの」と呼ばれている。忌まわしい色ではなく、祝福される色。それは秘められた力を持つ色なのだ。そしてそれは、海の王国の必要とする力であり、それゆえに彼らは古くから海の王国に出向き、特別な任務についていた。


 その特別な仕事とは……赤いヴァナンドラを見つけるというものだ。赤いヴァナンドラ、いまだかつてその宝石級の大きさの本物を見たものはいないと言われている。自治区の老舗の宝飾店お抱えの老技師とて、噂でしか聞いたことがないと口をそろえる。

 しかしそれは、海の王国の王家に伝え続けられる願いなのだ。悲願とでも言おうか。

 ある時、残された王宮記録を読んだ王族は一様に、魔力を秘めた自分たちの中に、これほど響くものがあるだろうかという程に感じ入った。それを見つけ出すことは未来永劫自分たちの仕事だと誰もが思った。赤いヴァナンドラをもう一度。それは海の王国の総意でもあると、この計画を立ち上げたかつての王は宣言したのだ。


 通常ヴァナンドラは黄金色で、小さなものが河口付近の海岸で簡単に採取される。海の王国では、求めるものは誰もがその恩恵にあずかれた。王家にはすでに十分な蓄えがあり、特別なことがない限り、さらなるヴァナンドラを必要としなかったからだ。

 それでも、自然と見つかったものや献上されたものなど、毎年のように多くのヴァナンドラが王宮には運び込まれる。王家はそれを必要とする国民に無料で分け与え、その仕事や生活を保護した。ヴァナンドラの輝きは、王国の平安と繁栄を意味するものなのだ。

 豊かな資材に恵まれ、生活の困窮を心配することのない職人たちはみな、純粋な気持ちのみで一心不乱に作業に取り組んだ。そのため技術向上は著しかった。さらにそこに、海の王国特有の魔法の要素も多分に注がれ、王国職人によって加工されたヴァナンドラは、世界にも名高い数多くの逸品となっていったのだ。


 しかし、それだけの数の流通があってもなお、赤いヴァナンドラは現れなかった。それは河口付近ではなく、もっと離れた海岸の中に眠っていると言われていた。果てしなく続く海岸線。そこから小さな宝石を探し当てるなど到底考えられない。けれど、かつてエルフの郷からのものがその偉業を成し遂げた。

 それは指先にのせられるほどの小さなもので、果たして本当にヴァナンドラなのかどうかわからないほどだったけれど、その赤は見たこともないような輝きを持っていたという。そしてそのエルフは言ったのだ。何かに導かれるようにその場所にたどり着き、自分の中にもたらされる声を求めて掘り進めれば、そこにあったと。

 そのエルフは実に稀な色の目を持っていた。片目が真っ赤だったのだ。それはとても数少ないものだと説明を受け、真っ赤なヴァナンドラが同じ色を呼んだのではと王宮は考えた。そしてそれ以来、この赤い瞳を持つものを「海に応えるもの」と呼び、王宮の仕事を一任した。


 それから数百年、海岸線を歩く「海に応えるもの」たちはみな一様に、響いてくる声に促されて砂を掘り、赤を見つけることになる。けれどすべて砂粒ほどの大きさで、到底宝石などと呼べる代物ではなかった。それでも誰もが、この不思議な結びつきを感じずにはいられないのだ。真っ赤なヴァナンドラはこの海岸にきっと眠っているのだと人々は信じて疑わなかった。


 大いなる夢は大いなる希望だ。歴史の中の悲劇も、いつか明日への力になる時が来る。真っ赤なヴァナンドラについて、実はそれほど詳しいことはわからない。残された記録が結果というよりも物語に近かったからだ。「海に応えるもの」たちも仕事始めにあたり、王宮でそれを読む機会を与えられたけれど、真っ赤なヴァナンドラがどんなに遠く引き離されても、いつか必ず結びつく二つの魂、その約束であると言う以上のことはわからなかった。

 それでもエルフたちの中に確かに響いてくるものがあった。特別だと感じるのだ。海から遠く離れた自分たちでさえこれほど。魔力は海の王国一であると言われている王族たちにとって、その出合いはどれほどのものとなるだろうか。その価値は計り知れないだろう。「海に応えるもの」たちにはそれが痛いほどに感じられた。

 どんなに時間がかかっても構わない。赤の輝きはきっとその時を待っている。来たるべき時があるはずだ、王宮はそう考えている。「海に応えるもの」の出生率は低い、ことはそう簡単には運ばないだろう。けれど、それでも諦めることなく前進しようと誰もが思ったのだ。


 ポルカはこうして何代目かの「海に応えるもの」として海の王国の海岸に立った。穏やかな冬の始まり。南下してきたエピステッラたちが上空に舞っていた。ほとんどがもう黄色だった。

 その時、一羽の蝶がポルカの肩に舞い降りてきた。それはどうしたことか、オレンジ色の輝きをまだ持っていた。


「パルシエータ」


 そっと囁く声が聞こえた。ポルカがはっとして顔を上げれば、目の前には楽しげに海岸を歩いてくる若い男女の姿があった。二人はポルカに気づくことなくその脇を通り過ぎていった。肩と肩がぶつかるほどの距離、なのに衝撃はなかった。

 ポルカは唖然として二人を振り返る。ああ、これは記憶の中なのだ! ポルカは気づいた。そう、これは、遥か遠い日の……大切な記憶だ。

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