第7話 美しき指の行方

 ロディーヌは、世界を飛ぶエピステッラの様々な色をいつか見てみたいと思わずにはいられなかった。泉の王国では青のエピステッラも、移動すればその土地が愛する花の色に染まる。世界の空に輝く星屑。それはどんなに美しいだろう。

 

 飛び立つ前のエルフの郷では白。野薔薇と戯れ、そこに卵を残し、春の終わりとともに彼らは一気に上昇気流に乗る。そして、地上からは見えない高さで、魔領域と大街道を超えていく。

 自治区の人々は「生活に不満があるとしたら、エピステッラの姿を見ることができないことだ」と残念がる。けれどそれゆえに、自治区には世界各地の色をしたエピステッラの商品が集まり、見るものを魅了するのだ。


 初夏、天空草の花が咲くまでにエピステッラは泉の王国へと到着し、少しずつ色を変えていく。そして夏の間中、花の盛りを共に彩る。青の競演に国民が熱狂する季節だ。秋風が吹き始めれば、空を覆い尽くすように飛び立つ青。誰もが切なさを感じずにはいられない。古くから、多くの別れの歌の中にその姿が詠まれてきたことも納得だ。

 

 そして落葉樹の森、針葉樹林の森、広大な国境付近の森林地帯を抜け、エピステッラは森の王国の収穫祭間近な穀倉地へと降り立つ。そこには華やかなオレンジ色が揺れている。畑の脇、街道沿い、山際に向かっても……その時期、王国中に見られるミュルステンはストロー状の花弁を持つ花だ。誰もが幼い頃に一度は花冠を作って遊んだ思い出の花。もちろんエピステッラたちが舞い踊る中で。


 やがて、近づいてくる雪雲の存在を知ったかのように、蝶たちは一斉に空へと舞い上がる。大運河の上を南下していく旅の始まりだ。

 運が良ければ、航行中の船からもその輝きが見えるという。けれどこの時代、船旅に出るのは限られた者のみだ。だからこそ夢だった。エピステッラは奇跡を叶えるものとして、誰もの胸に憧れの対象となっていった。


 海の王国での暖かい冬、エピステッラたちは黄金色のヴァナンガラージュと共に過ごす。光が光を呼び、大きな木でもあるヴァナンガラージュの並ぶ海岸線は、幸せな色に包まれる。恋人たちはこぞってそこを歩きたがる。

 そして、西からの風が弱まる冬の終わり、蝶たちは帰途につく。故郷の森目指して、それは命の最後の輝き。長き旅の終着点は生まれ出たその場所。再会した「棘を持たない」優しい野薔薇に抱かれ、彼らの骸は大地に還る、新しい命の糧となっていく。


 世界を飛ぶエピステッラ、それは花に染まり、その花に託された伝言を運ぶもの。花たちに愛される麗しの蝶たちの姿を思い浮かべて、久々に甘い夢に酔いしれていたロディーヌは、ふと下げた視線の先で、色褪せてしまった自分のドレスを見つけた。その時になって初めて、自分がどれほど泥だらけだったかに気づいた。


「まあ、こんなにひどい姿だったなんて。恥ずかしい。新しいドレスをなくしてしまったから仕方がないのだけど……ポルカ、これも天空草で花で染めた美しい青だったんですよ。青を見ればお兄さまたちはきっと私のことをわかってくれると思って選んだのに、すっかり色が落ちてしまって……」


 うなだれる妹の頭を、自分の方に優しく引き寄せながらアドランが言った。


「何色のドレスを着ていたとしても、おまえのその髪の色と目の色を見ればすぐにわかる。顔つきだって僕にそっくりだ」

「おいおい、そこは僕らだろう。お前にだけ似てるわけじゃない。それにロディーヌはお前よりもっとずっと美しい」


 アドランがロディーヌを独り占めしているのを見て、眉をひそめて憤慨するキャメオンの言葉に、ポルカが吹き出した。


「そうさ、天空草の花の妖精も仲間が来たと思ったくらいだよ。この青い瞳を見てごらん。どんなドレスだってすべてが輝く青に感じるよ」


 アドランからロディーヌを引き剥がし、うっとりとそう言いながらたロディーヌの頬を撫でていたリーディルだったけれど、ドレスを見下ろして首を傾げた。


「ん? ロディーヌ、ドレスについている赤い模様はなんだ?」


 はっとロディーヌは顔を強張らせた。遅かれ早かれわかってしまう、もうこれ以上はごまかせない……観念して大きく息を吐き出し、ロディーヌは兄たちの顔を見渡した。そして、この館の前で起こった出来事を話し始めたのだ。


 鍵として最適だったから自らの指を切ったのだと言えば、聞くや否や兄たちは妹の小さな手を取った。長い旅のためにすっかり痛んでしまったけれど、そのほっそりとした指も桜貝のような爪もまだまだ美しさを感じさせる。しかし、そこにあるはずの一本はなく、三つ子は言葉を失った。代わりに熱いものわき上がる。三人はもう嗚咽をこらえることができなかった。その手を押し頂いて泣き崩れた兄たちに、けれどロディーヌは静かに言ったのだ。


「でも後悔はありません。ただ嬉しいだけ。本当に、本当よ。それに、私は心から立派な方だと思える方に出会うことができた……」


 妹の髪を撫でながら、キャメオンが流れる涙もそのままに尋ねる。


「ポルカ、それはいつか教えてくれた森の王国の黒の将軍で間違いないか?」


 ポルカは海の王国からの依頼で長く王宮に滞在していたため、世界の情勢にも詳しかった。彼はキャメオンの言葉に頷くと続けた。


「オワインというその名前、そしてこの世界のどこを探しても、黒豹に乗った武人などあの方以外にはおられないでしょう。世界に名の知れた偉大なる将軍です。まだお若いが、従兄である王を助けてもう長い間働いておられる。森の王国の暗黒の時代を支えた方です。海の王国でも、将軍の太刀捌きはまるで軍神のようだとみなが噂していました。ロディーヌさんはよい方に巡り合いましたね」

「はい」


 ロディーヌは嬉しそうに笑った。自分がオワインを慕っていること、共に行こうという彼の申し出を断ったことは言わなかった。

 しかし聡く賢い兄たちには、妹が何か大事をことを隠していることは一目瞭然だったのだ。同時に、彼女が何かを強く決意したのだということも伝わってきた。だから彼らはそのことについては何も言わず、明るく楽しげな声を次々とあげた。


「ああ、早く家に帰りたいなあ」

「天空草の花の季節が来るぞ。一面の花畑を見たい、感じたい」

「うん、これからはずっと一緒だよ、みんなで幸せに暮らそう」


 キャメオン、アドラン、リーディル、三つ子の兄たちは、妹が静かな微笑みをたたえて頷く様子を見ながら思っていた。ロディーヌのための幸せが、この先きっと訪れるはずだ。困難に満ちた旅を成し遂げた勇気と、こんなにも優しい心を持つ娘を、我らの女神が祝福してくれないはずがない。

 その時、脇で何事か思案していたポルカが、意を決したように顔を上げた。


「みなさん! みなさんに聞いていただきたいことがあるのです」

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