第6話 エルフたちの希望の色
ロディーヌは自分もまた、門の前で夢を見たのだと切り出した。
「お兄さま、天空草の花の妖精は来たんですよ。長い年月をかけ、深く傷つきながらも。それなのに王子はすべてを忘れてしまっていて呪いは解けず、その命も消えかかっていた……どんなに残念だったでしょう。私、可哀想で可哀想で……けれどこの地に残された野薔薇がそんな彼女を守ったんです。わずかではあるけれど力を取り戻し、妖精は王子に最後の夢を見せた。そしてそれがお兄さまたちを救う言葉に繋がったなんて……本当にすごい……。野薔薇は今、門の脇で立派な株になっています。私……妖精の魂もまだここにあるような気がして……」
「ああ、そうだね、森でロディーヌを導いてくれたエピステッラだね」
「ええ、ずっとこの時を待っていたんだと思うんです。呪いの解けた今、今度こそ、王子の魂と一緒に旅立てるかしら……」
想いがようやく重なり合い、すべてのことから自由になる。妖精と王子が共に、喜びの中で羽ばたいていくことを誰もが心から願った。女神の青い翼もこれで泉の王国に帰ることができるだろう……兄妹は感無量だった。自分たちの長い苦しみも報われたのだと、彼らはまた固く抱きしめあった。
そんな光景を微笑ましく見守っていたポルカがふとロディーヌに向き直り、「そうそう、ロディーヌさん、その野薔薇は何色なのですか?」と尋ねた。
「実際のものは見ていません。もう花は終わってしまっていたの。でも確か、夢の中では真っ白だったような……」
「ああ、やっぱり、そうかそうか……それは私たちの祖先が残していったものです!」
「まあ……なんてことでしょう。元は朝焼けのような色だったと言っていたわ……」
「はい、かつてはその色をした大きな薔薇だったのです。けれど新しくエルフの郷に種を蒔いても、それは元のような花を咲かせなかった。全てが変わってしまったのです。ロディーヌさんが見た毒の花もまた、残された薔薇の変わり果てた姿でしょう」
結びついていく多くのことに、誰もが壮大な物語の新たな一ページをめくるような想いだった。
「ポルカ、エルフの郷のことを聞かせてくれるか?」
アドランの問いにポルカが力強く頷いた。
森は大きく広く、ずっと西の方まで広がっていたけれど、妖精たちはためらっていた。空の王国に近くなればなるほど、風は強くなり気温も高くなる。急激な環境変化によって、それはもう、かつての美しい白の世界ではなかったからだ。
一体この先どんな風になっていくのか、西へ行くことは正解なのか。何日にも及ぶ話し合いにも関わらず、答えは見つからなかった。途方に暮れる妖精たちは、滅びるのも運命だとさえ思うようになった。けれど朽ちていく花々を目の当たりにし、自分たちが力を持ちながらも助けられないことに日々憤りは重ねられていく。
やがて、少しでも多くの種を安全な場所に運び、また育てたいという気持ちがみなの胸に募った時、「新しい未来を切り開こう。我々は大地の力から生まれ出たもの。きっとできるはず」という長老の言葉を信じて妖精たちはついに立ち上がった。もう一刻の猶予も許されない状況の中での出発だった。
魔法領域の一番西、砂漠に続くエルフの郷はこうして作られた。彼らが懸念した風はしかし、結果彼らを救う事になった。吹き荒れる砂嵐は森の中にも影響を及ぼし、それは壁となって黒い闇の侵略を食い止めたのだ。
妖精たちは砂の女神に感謝を捧げ、持ってきた多くの種を新しい大地に蒔いた。今度こそ安寧な場所になるようにと心込めて世話をすれば、それはみな、応えるように芽吹き成長した。
けれど薔薇だけは芽吹くことがなかった。十年、二十年……あの土地を離れてしまったからだと妖精たちは考え、半ば諦めかけていた。けれど、ある日それは芽吹いた。そして、みなが集まり見守る中で咲いた初めての薔薇は……誰もが予想しなかったものだった。
蕾の色が薄いことには気がついていたけれど、まさかこれほどの変化が訪れようとは。幾重にも揺れていた花びらはすっかりなくなって五枚の小さなものになり、朝焼けの空のようだった色は、砂の王国に潜むかのような白になっていた。
妖精たちは驚きのあまり言葉もなかった。闇の力が追いかけてきたのかと、戸惑い怯えるものさえもいた。けれどその素朴で優しげな花の中には、かつてと変わらぬ凛とした美しさがあった。
これは薔薇の最初の姿、野薔薇。大地から生まれ、風に揺れていた花なのだという長老の言葉に、みなが顔を見合わせる。原始の花、始まりの花。それは鮮やかな響きを持って見るものの心の奥に届いた。「闇を怖れて変化したのかもしれないけれど、私にはもう一度生まれ出たもののように感じられる。再出発なのだ」その言葉に誰もが頷いた。
「エルフの郷での白い花の誕生には、この岩山にたどり着いた妖精と、その精神によって目覚めた野薔薇の魔力が関係しているように感じます。彼らの高尚な生き様が、遠く離れた同じ種たちに働きかけたのです。なんて素晴らしいことでしょう……」
ポルカの言葉にロディーヌも三つ子も、まだ見ぬ白い野薔薇咲くエルフの郷を思った。その花にですね、とポルカが続ける。
その可憐な野薔薇に、気がつけば蝶がたわむれるようになった。それは花と同じような美しい白。その羽の煌めきに、妖精たちはエピステッラと名付けた。妖精の言葉でそれは星屑を意味する。エピステッラ、エピステッラ、それは光、輝き、遠き日の大切なもの。薔薇色の夜明けに輝いていた一番星を誰もが懐かしく思い浮かべた。
それから長い長い年月が経ち、どこからどうその言葉が流れ出したのか、国々を歌い歩く吟遊詩人たちの曲の一つにエピステッラという言葉が聞かれるようになった。それは想い合う恋人たちの美しい歌だった。
エピステッラ。人々がそれは何かと問えば、神話の世界に飛んでいた蝶のことだと詩人たちは答えた。なんとも神秘的なその響きは瞬く間に世界の人々を魅了した。
そしてある時、花によって色を変える蝶が、その花を追って世界を飛ぶという大発見があり、新しい共通語ができたばかりの世界は、その蝶をエピステッラと呼ぶことに決めたのだ。
そのエピステッラこそが、妖精たちの土地で生まれ飛び立つ蝶だった。それを知った妖精たちは喜びにわく。エピステッラが妖精の言葉で星屑だということを知るものはいないだろう。けれどそのようなことはどうでもよかった。ああ、なんという偶然だろうか。妖精たちは感動で胸を打ち震わせた。
移住後、何度も代替わりした彼らは、自分たちをエルフと呼び、終の住処と決めた土地をエルフの郷と呼んでいた。エピステッラは今やエルフの郷の希望の光だ。彼らはかつて自分たちの祖先が名付けた蝶が、自分たちの想いを乗せて世界へと旅立ったのだと感じた。
「なんて素敵なお話。白いエピステッラは星屑なのね。ポルカ、私たちの泉の女神さまは月の神でもあるの。そこに飛び交う光はまさに星ね。ぴったりな名前だわ」
「ああ、それも朝焼けの空に輝く星だなんて、美しいねえ」
目を閉じて呟くキャメオン。リーディルも感慨深けだ。
「うん、夢のような物語だよ。残酷な歴史があるからこそ、その喜びは計り知れないんだね」
「だけどこれは、僕らの胸の内に秘めておこう。話してくれてありがとう、ポルカ」
アドランの言葉にポルカが照れ、とんでもないと首を振る。どんな苦難の中でも常に前を向き、美しさを信じる力のいかに尊いかを、兄妹たちは改めて感じさせられたと思った。
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