第3話 その愛は世界を解き放つ
しばらくすると大きな羽音が聞こえてきた。大ガラスたちが帰って来たのだ。ロディーヌは扉の陰で息をひそめて見守った。
がつんと音をたてて窓枠に降り立ったのは、それはそれは大きなカラスだった。もはや鳥などではない、魔物なのだと感じる。ロディーヌの記憶の中のものよりもずっと大きいような気がするのは流れた年月のせいだろうか。それとも引き寄せられた闇の力のためなのか。
地の底のような漆黒の翼をたたんだカラスたちは、ぎらぎらと異様に光る眼で室内を覗き込んだ。鋭いくちばしは巨大な兵器のようで見るものに恐怖を与える。あんなものに攻撃されたひとたまりもないだろう。それが兄たちだとわかっていてもロディーヌは激しく慄いた。
そんな三羽は、研ぎ澄まされたかぎ爪の先に、なにやら光るものを引っ掛けていた。たくさんの宝石をつけたネックレスのようなもの、装飾の美しい鏡のようなもの、どちらも乱暴に扱われたのだろう、あちこちが痛んでいた。それでもどうにか元の形はわかる。
ところが最後の一つはそうはいかなかった。それは裂かれた布だった。ドレスの端切れなのだろうか……小さな真珠のボタンらしきものが一つだけ残っている。どういった経緯でここにあるのか、あまり考えたくないとロディーヌは嘆息した。
その布を握っていたカラスはずいぶん腹を立てているようだった。きっと最初に狙った時には満足な代物だったのに、ここまでの道のりでこんなことになってしまったのだろう。カラスは足を何度か振ってその布を床に叩きつけた。そしてその上に舞い降り、つついてやろうと翼を広げかけた時、日が落ちた。
その瞬間、辺りはまるで黒い霧が立ち込めたかのようになった。黄金の光がなくなって暗く沈み込む部屋の中を、それはさらに闇色に塗り潰さんばかりに広がった。その禍々しいことといったら……ロディーヌはたまらなくなって目を閉じた。
ほんの数秒だろうか、その恐ろしい気が雲散し、ぼんやりとまぶたの裏に灯りを感じ、ロディーヌはおそるおそる目を開けた。するとそこには、自分と同じように輝く光の色をした髪と、青い泉の色をした目を持つ背の高い三人の若者が立っていたのだ。
(ああ、お兄さまたち!)
ロディーヌは胸が熱くなった。七年という長い歳月は彼らをすっかり大人にしていた。けれど見間違うわけがない。それはロディーヌの大好きな三つ子。麗しい自慢の兄たち。
しかしその姿はどこかいびつだった。鼻がくちばしのように異常に尖っていたり、鉤爪が片手にそっくり残っていたり、その片頬が黒い羽毛で覆われていたりしたのだ。そして、彼らは自分たちが手に持っているものを見て大いに嘆き悲しんでいた。
喜びのあまり浮かれて飛び出さんばかりだったロディーヌは、それを見て冷静さを取り戻す。そうだった、呪いを解くための手段。闇の力に阻止されないように、ことは迅速に進めなくてはいけない。ロディーヌは浮かしかけていた腰をそっと元の場所におろし観察を続けた。
「ああ、またか……僕は何と言う愚か者なのだろう。こうして毎日毎日、盗みを働いている」
ひびの入った鏡を片手にキャメオンがうなれば、引きちぎれた布を見つめたリーディルがかすれた声を絞り出す。
「呪われた僕たちにはきっと安息の日など来ないのだよ。いつものことではないか……」
「諦めるな! まだまだ時間はある。ああ、ロディーヌが来てくれたらなあ」
アドランの一言にキャメオンが振り返って反論する。
「こんな辺境の地に? 魔物の住処に? ありえない! 僕らの可愛い妹を危険にさらしていいわけがない!」
キャメオンに詰め寄られたアドランは、けれど強い意志の輝く瞳できっぱりと言い切ったのだ。
「だけど、きっとロディーヌだけなのだよ、僕らの呪いを解けるのは」
この兄は一番ロディーヌに似ている。怖いもの知らずでいわゆる猪突猛進型。思い切りの良さでは一番だ。野生の感がすごいとよく他の二人が揶揄していたことをロディーヌは思い出した。
「それはわかっているけど……」
アドランの襟を掴まんばかりだったキャメオンが力なくその手を下ろした。
「そうだね、アドラン、君は正しい。うん……あの子はきっとくる」
そう言ったのはリーディルだった。綺麗なものが誰よりも好きで、大いなるロマンチストでありながらも、その頭の回転はずば抜けて早い二番目の兄。彼は冷静で抜かりない一面を持つのだ。そしてよく未来を見通すかのような物言いをした。精霊の加護が強いのだと王宮内の司祭からもお墨付きだ。今もまた、透き通るような瞳でキャメオンたちを見つめていた。
「僕らが止めてもくる」
アドランの言葉にキャメオンが「あの日、僕らは女神さまにあったからな」と天を仰いだ。
「ああ、あの時指し示されたのは未来だと僕も思うよ。僕らの運命の始まりだ……」
リーディルがそう呟いた後、三人はしばらく無言だった。ロディーヌは兄たちが狂うことも忘れることもなくいてくれたことに、多いに期待を膨らませた。うまくいくかもしれない。ああ、どうか気がついてお兄さまたち……。
そんなロディーヌの気持ちが通じたのか、話はまた元に戻り、アドランがぽつりと漏らす。
「僕らがいなくなってきっと泣いただろうな」
「かわいそうな僕らの妹。ああ、ロディーヌ、お前に会いたいよ」
キャメオンはとうとう床に座り込んだ。その肩に優しく手を置いた後、床に散らばった残骸を集めて隅の籠の中に入れながら、リーディルが朗らかな声を出す。
「もしロディーヌが来てくれたら嬉しいね、そうしたらあの言葉も教えてあげられるし」
「うん、王子の呪いが解ければすべては元に戻る」
「ああ、僕たちもまた解き放たれる。その日まで諦めずに頑張るだけだな」
力強く答えるアドランに、キャメオンもやっと明るい顔を見せた。キャメオンは三人の中では一番消極的だ。けれど眩しいほどに真っ直ぐで魅力的だった。彼が笑えばそれだけで周りは幸せになるのだ。今、三つ子は笑顔で頷き合い、部屋は温かな雰囲気で満たされた。
そんな状況に満足を覚えながら、ロディーヌはまだじっと動かなかった。兄たちの話から、呪いを解くには必要な言葉があると言うことに気づいたからだ。
(ああ、お願い、それが何かを教えてお兄さまたち……)
ロディーヌは兄たちの言葉を聞き漏らすまいとさらに息を潜めて耳を傾ける。
「さあ、食事にしよう。せっかくポルカが用意してくれたんだ、美味しいうちにいただかないと」
リーディルの言葉で三人はテーブルについた。その瞬間、三人の瞳がわずかに見開かれた。お皿は四枚。そしてその上には見覚えのあるネックレスがのっている。
彼らは気がついた! けれど無言のまま、食事の前の祈りを捧げる。そして、聡明な兄たちはまるで何もなかったかのように話を続けた。
「いたずらノネズミに夕飯を齧られてしまう前に食べよう」
「いや、もしかしたらもう食べられているかもしれないぞ」
キャメオンとアドランがじゃれ合うように会話をすれば、リーディルが歌うように続ける。遠い日にロディーヌがよく見た光景だ。
「それでも僕らは彼らに言おうじゃないか、『私は変わらずお前を愛す』と」
かたかたと食器がなり始めた。三人は眉をひそめて密かに顔を見合わせた。呪いを解く言葉は一度しか音に出せない。それを発動させようとするとき、闇は激しく抵抗するだろうと王子の手記には書かれていた。気がつかれたか? もう時間がない、ああ、ロディーヌ、もし本当にお前がそこにいるならば! 三人はそう叫びださんばかりだった。
同時に、扉の影からロディーヌが飛び出した。そして三人を前に大きな声で言ったのだ。
「お兄たち、私はいつまでも変わらず愛し続けます。未来永劫、この愛を」
その瞬間、黒い灰が兄たちの体から飛び散った。あの日見た燃え尽きるエピステッラ! そしてそれは黒から蝶の羽を思わす輝く青になり、最後には光になって溶けた。
まばゆい光がロディーヌの目を焼いたけれど、彼女は必死で目の前で起こることを見守り続けた。弾ける閃光とともに、膝を折りうなだれていた三人がゆっくりと顔を上げた。別れたあの日と変わらない優しい青の瞳を持つ兄たち。そこにはくちばしのような鼻も、鉤爪も、黒い羽毛もなかった。
極度の緊張と想像を超える歓喜に耐えきれず、放心して崩れ落ちそうになったロディーヌに兄たちは素早く立ち上がると駆け寄った。幼い頃のように四人でぎゅうぎゅうと抱きしめ合い、互いに頬ずりして涙を流した。
「お兄さま、お兄さま!」
もうそれしか言えずロディーヌは泣いた。いい年をしてみっともないと思いながらも、わんわんと声を上げて泣いたのだ。
「ロディーヌ、会いたかった」
「ロディーヌ、本当によく来てくれたね」
「ロディーヌ、ああ、僕らの妹はなんて美しいんだろう」
アドラン、キャメオン、リーディル、ずっとずっと聞きたかった兄たちの声。ロディーヌは胸がいっぱいで何も言うことができないまま、ただ夢中で兄たちにしがみつき涙を流した。
男のくせに泣くなとアドランが言うのに、泣いてるお前に言われたくないとキャメオンが泣き笑いで反論する。リーディルはロディーヌの髪を何度も何度も梳きながら、流れる涙にはお構いなしで笑っていた。
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