第2話 黄金の部屋での作戦会議
「あのぉ、もし」
なるべく驚かせたくなくて、ロディーヌはできる限り小さく優しい声を出した。それでもやはり小さい人ははっと身を強張らせた。当然だ。誰もいないはずの館で、いきなり影の中から囁かれるなど、驚かない方がおかしい。
けれど振り返ったその人は、それ以上騒ぎ出すことも逃げ出すこともなかった。ただロディーヌをじっと見つめていた。右目が薔薇色、左目は燃えるような赤、その目でじっとロディーヌを見たままだ。ロディーヌは困ってしまった。居心地が悪くなり、なんだかもじもじしてしまう。そしてはたと気がつく。
(ああ、そうだわ。私は不審者ではないと、早く弁明しなくては)
ロディーヌが口を開こうとした時、小さな人がすんすんと鼻を鳴らした。そしてぱっと顔を輝かせたのだ。
「うん、そうだ。やっぱり。さっきから花の香りがするので不思議だと思っていたんです。嗅いだことのない香りでしたがなぜか青い花が思い浮かんで……もしかしたら泉の王国の天空草はこんな香りなのかもしれないと思っていたところでした。あなたでしたね、香りの正体は。青い花の妖精さん、あなたはアドランさんたちの妹さんですよね。髪の色も目の色も、雰囲気もそっくりだ」
自分からそんな香りがするのかとロディーヌは驚かされた。そういえば持ち物はみな天空草の花で染めたものだし、ずっと香りの強い原種の近くに暮らしていたから染み付いているのかもしれない。それは少しも嫌なことではなく、ロディーヌにとっては誇らしいこと、最上の褒め言葉とも言える。
それに! 抑えきれない嬉しさがこみ上げてきた。この人は今なんと! アドランさんと言ったではないか。懐かしい兄の名前にロディーヌの胸はもう張り裂けんばかりだった。小さな人からはこれっぽっちも敵意を感じない。やはり味方なのだ。ロディーヌはたまらず笑顔を見せた。
「ええ、その通りです。私は妹のロディーヌです。私の大切な兄たちは、ここにいるのですね?」
「はい、お兄さんたちはみんなここに暮らしていますよ。初めましてロディーヌさん」
やはりそうだったと嬉しそうに頷きながら答えてくれる小さな人に、ロディーヌは疑問に思ったことを口にする。
「あなたはなぜ、兄たちが私と同じ色の髪や目を持っていると知っているのですか? もしかして、兄たちは人に戻っているのでしょうか」
「ああ……残念ながら、昼間はカラスの姿をしています。けれど日が落ちれば元の姿に戻ることができるのです」
兄たちが王子と同じように、夜の間だけは姿を取り戻すことができるのだと知って、ロディーヌは少しほっとした。それなら話が通じるかもしれないと思ったからだ。けれどこの人は? なぜここにいるのだろうか、彼もまた呪いにかけられているのか、それとも……にわかに不安になりかけたロディーヌに、小さな人は朗らかに笑いながら続けた。
「私のことなら心配いりません。決してあなたを害するものではないし、呪いもかかっていません。私はポルカドッツ。西のエルフの郷のものです。カラスのアドランさんに捕われてここへきました」
「まあっ。そんなことが……ああ、兄がごめんなさい。ポルカドッツさんが無事で本当に良かった」
「いえいえ、この辺りは魔物も多く物騒なのです。だから相手がアドランさんで本当によかった、命拾いをしたのです。私を食べようと連れてきて、床に投げ出した時、ちょうど日が落ちたのです。その日、呪いはすぐにとけてアドランさんは私に泣きながら謝ってくれました。本当は心根の優しい人なのだと知り、色々と不自由をしているだろうとお世話のためにここに残りました。まあ、簡単には出れない場所ではありますしね」
「ということは、人に戻った時の兄たちは正気を保っているのですね。ああ、何ということでしょう。女神さま、ありがとうございます。そしてポルカドッツさんも。兄たちのために本当にありがとうございます」
「とんでもない、私もちょうどこの先を考える時間が必要でしたから。お兄さんたちとはもうずいぶん一緒に暮らしています。本当に素晴らしい人たちだ。しかし残念ながらカラスの姿でいる間はすべてを忘れています。その時ばかりは凶暴になり悪さを働くのです。ですから日中は絶対に出てきてはいけないと言われています。ほとんど外にいるのですが、突然帰ってくるようなことがあるかもしれませんから。用心することにこしたことはないと」
「ええ、ええ。呪いの力は侮れません。何が起きるかわかりませんから。ああ、日が傾いてきましたね。兄たちも帰ってくるかしら」
「はい、もうすぐだと思います。翼があるうちに戻ることになっていますからね。だからこうして、日が落ちる頃に食事の支度をして待っているのです。帰ってきたお兄さんたちがすぐに温かなものを召し上がれるように、少しでも慰めになればと思って」
「ああ、ありがとう、ありがとうございます」
ポルカドッツの言葉にロディーヌは涙を流して喜んだ。どんなにか寂しい思いをしているだろうと心配していたけれど、想像もしなかった温かさが兄たちを守ってくれていたようだ。ロディーヌは心からの感謝を示し、膝を折って視線を合わせ、何度も何度もお礼を言った。そんなロディーヌにポルカドッツは微笑んだ。
「ロディーヌさん、あなたは本当にお話通りの人ですね。私のことはどうかポルカと呼んでください。お兄さんたちはいつもあなたのことをそれはそれは嬉しそうに教えてくれるんですよ。優しくて素直で自慢の妹なのだと。今頃、どんな美しい娘に育ったことだろうとよく三人で話しています」
ロディーヌは涙を止められなかった。自分が兄たちを思わない日がなかったように、兄たちもまたずっと忘れずにいてくれたのだ。どうやら兄たちにかかっている呪いは、王子に降りかかったものよりも力が薄れているようだ。もしかしたら三人でいることが、忘却の呪いから彼らを守ってくれたのかもしれない。
「そうそう、お兄さんたちはこうも言いました。いつか愛する人がこの地の果てまでたずねて来て、真の愛の力を見せてくれたら、自分たちの呪いは解けるのだと。今のあなたを見て私は確信しました。その時が来たのですね。私は優しいアドランさんたちの妹であるあなたなら、必ずここへ来てくれると信じていましたよ。ですから今日、花の香りが漂ってきた時、何かが始まるのだと気づいたのです。あなたを見ても驚かなかったのはそんな理由からです。ロディーヌさん、よく来てくれましたね。待っていましたよ」
西日が黄金の輝きで部屋を満たしていく。寂しく冷たい岩の部屋もこの時ばかりは光に包まれる。ロディーヌはその色にオワインの温もりを思い出す。そして目の前のポルカの薔薇色の瞳が、ジュールの色と同じことにも気がついた。
「それにしてもよくこの館の中に入ってこられましたね。鍵がかかっていたでしょう。出入りはこの窓のみなのです。翼を持たないものはここへは出入りできないのですよ」
ロディーヌはその問いに、岩山に着いてからのあらましを語った。もちろんオワインと出会ったことも話したけれど、細かな経緯は抜きだ。鍵として自分の指を使ったのだと説明した時、ポルカはさすがに驚きの声を上げた。話し終えたロディーヌの手をポルカはしげしげと見た。
「もう傷はすっかり癒えているのですね」
「はい、すごいですよね。不思議な力、神々しいです」
「聖獣、オワインさま、なるほど、なるほど……」
ポルカはどうやらオワインのことを知っているようだ。遠く離れたエルフの郷の者さえも知る森の王国人とは……その身分は自分が思っている以上なのかもしれない、信じていてもやはりその差に心苦しかった。
切なさがとめどなく流れ出しそうで、ロディーヌは思わず胸を抑える。けれど今は兄たちのことだ。そのためにここにいるのだから。気持ちを新たにしたロディーヌが顔を上げれば、ジュールに通じる優しい微笑みがそこにはあった。
「本当に女神に愛されし人なのですね。ロディーヌさん、あなたならきっとお兄さんたちを助けることができるでしょう。私が助けてあげられそうなことは何一つなくて申し訳ありません」
「いいえ、こうしていち早く出会えただけで十分です。心の準備はできましたし、この館も恐ろしく感じません。ただ、この後どうしていいのか、私には皆目見当がつかないのですけどね……」
そう言って切なげにため息をこぼすロディーヌに、やはり同じように憂い顔のポルカだったけれど、突然「あっ!」と声をあげた。何か思いついたようだ。ちょっと待っていてくださいと断って彼は足早に部屋を出た。すぐに戻ってきたその手には、一客分の食器をが握られていた。
「それは?」
「あなたの到着を密かに知らせるのです。私に話してくれたこともそうですが、お兄さんたちはここで色々と学んだようです。もしかしたら呪いを解く方法について、何かいい案があるかもしれません。あとは、そう……あなただと気づいてくれるものを何かお持ちですか?」
「それなら良いものがあります。これは兄たちからの贈り物なのです」
そう言ってロディーヌが、皿の上に首から外したネックレスをそっと置けば、ポルカも満足そうに頷いた。日がもう沈みそうだ。
「さあ、急いで給仕してしまいましょう。いつも通りを演じます。日が落ちてもすぐには戻らない時がありますから、しばらくは声を立てずに見ていてください」
温かいスープを注ぎ、パンを添えながらポルカが説明してくれる。
「私は奥へ戻りますが、十分に気をつけてくださいね。ああ、ロディーヌさん、どうかあなたに女神のご加護がありますように」
くれぐれも無理をしないようにと念を押し、扉の陰にロディーヌを座らせたポルカはそっと奥へと戻って行った。
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