第13話 その熱を分かち合う時
オワインは美しい青の瞳を見つめた。ともすれば心がぐらついて決断が覆されそうだ。それほどまでに腕の中のロディーヌは魅力的だった。オワインはありがとうと囁くと、輝く白金の髪をハンカチでそっと包み懐にしまった。そしてもう一度ロディーヌを覗き込む。
「美しい私のロディーヌ。これだけは許してほしい」
オワインはそう言うとロディーヌの額に口づけを落とした。ロディーヌは胸元まで真っ赤になって身を震わせた。額への口づけなど、両親や兄たちにされて慣れている。おはようやおやすみの挨拶だ。それなのに、相手がオワインというだけで、それは特別なものになった。
足先を包まれた時以上の感情がロディーヌの中にわき起こった。もっともっと、触れていて欲しい。
ロディーヌは思わず彼の頬に小さなその手を添えて口走った。もう、言わずにいられなかったのだ。あふれてくる想いを、何一つ漏らすことなく伝えたかった。この先再び交わることがなくても、決して後悔しないように、ロディーヌはそう感じたのだ。
「オワインさま、あぁ、綺麗な綺麗な瞳。美しいヴァナンドラのような。私にとってオワインさまの瞳の色は、世界にたった一つの『真実の色』です。紛れもない本物。嘘偽りのない想い。どこにいてもその光を感じられるような、まっすぐで温かくて、何よりも大切な色。ああ、心からお慕い申し上げております」
「ロディーヌ!」
オワインは感極まってロディーヌを強く抱きしめた。大事にしたいと思いながらも疎んできた色を、唯一無二のものだと言ってもらえるとは思いもしなかった。それは自分というものを認められる喜びだった。ありのままの自分を受け入れてもらえた喜び。自分自身でいることが真実なのだと言われ、オワインの心は震えた。
そのかぐわしい首筋から顔を上げれば、目の前には色づいた頬、潤んだ瞳、そして小さく開かれたままの唇。すべてが魅惑的で求めずにはいられなかった。オワインは、柔らかくほころんだような薔薇色の唇にたまらず口づけた。
ジュールが二人に聞こえるように行儀悪く口笛を吹いたけれど、オワインは構わなかった。驚きのあまり、目を閉じることさえ叶わないロディーヌには聞こえたとも思えない。笑いたければ笑えとオワインは開き直った。もちろんジュールは笑ったけれど、それは冷やかしなどではなかった。今まで見たことがなかったオワインの、人間らしい若者らしい行動に嬉しさを抑えることができなかったのだ。
口づけはそっと触れるだけの優しい温もりだった。けれどロディーヌには天地を揺らすほどの衝撃となった。体がぐらぐら揺れ、ロディーヌはオワインの胸元にすがりついた。こういう時どうすればいいかなど考える暇もなく、唇が離れてようやく、自分が目を見開いたままだったことに気づいたロディーヌはこれ以上ないほどに赤面した。
そのまま目の前の胸に額を押し付けて火照った顔を隠しながら、ロディーヌはその腕から離れたくないと思った。けれど自分の手の中に残された薬指を見た瞬間、覚悟を決めた。大きな寂しさが押し寄せてくる。それでもきっぱりと顔を上げ、涙を耐えてロディーヌは笑った。
「オワインさま、こんなにも癒され満たされた時間はありませんでした。いつまでもこうしていたい、けれどもう行かなくては……。お国までの道中、どうぞご無事で」
物言いたげなオワインにロディーヌはもう一度笑いかけた。うまく笑えているだろうか。少しでも覚えていて欲しい、そう願わずにはいられなかった。自分のこの先もわからない今、オワインの心が変わらないとどうして言えようか。けれど今ここで、打ち明けられた気持ちは本物なのだ。それを支えに生きていこうと、ロディーヌは自分に言い聞かせた。
これからが、ロディーヌたち家族が立ち向かわなくてはいけないもの。それは自分たちだけで押し開けなければいけない最後の扉。女神の悲しみと兄たちの呪い、彼らの帰りを待ち続ける家族、様々な想いを結びつけるためにロディーヌは歩き出さなくてはならない。
オワインもまた自分の上に戻ってくる日常を思った。今までに比べれば、格段に楽になるだろう未来の見通しの中で、けれどやはり多忙なことに変わりはない。けれど今、自分には守るべきものができた。それは大きな力だった。それは無機質な日常をどんなにか彩ってくれるだろう。
(きっとこの先、私は今まで感じたことのないような寂しさを感じるだろう。けれどそれさえも彼女につながるものとして、愛おしく思うはず。ロディーヌ、あなたは私に生きることとは何かを教えてくれたのだな……)
オワインは、自分であることを認め受け入れてくれた人のためにも、自分を誇れるようになろう、そう決心した。その誓いの中で、ロディーヌをいつまでも抱いていたかった。けれどこれ以上その柔らかさや温かさを感じていると離せなくなりそうだ。オワインはそっと彼女に頷きかけ、二人は抱き合ったまま立ち上がった。そして、心を決めた顔を見合わせて笑った。
それは別れゆく寂しさと不安を含みながらも、奇跡のような出会いに対する喜びと、そこから与えられる力に満ちていた。ジュールが喉を鳴らしてロディーヌに寄り添った。
(無理はするなよ。すべてなるようになる、お前らしくいれば、それで十分なのだ)
響く声にロディーヌは抑え込んだ涙があふれそうになった。
オワインが門を開けるようロディーヌを優しく促す。この
オワインには彼女たちにかけられた呪いの詳細はわからなかったけれど、話の端々から感じるその特殊な流れの中に、自分の入る余地はないと思われた。協力して共に館に入れば、問題はたやすく解決するのではないかと最初は思ったけれど、ロディーヌが言うようにきっとそれは違うだろう。
泉の王国の、古代から連なる負の流れを、彼ら兄妹が力を合わせて断ち切ることこそが、この呪いを未来永劫に葬り去る方法なのだ。いかなる遺恨も残してはならない。青き清らかな光ですべてを打ち払う。これは泉の女神の
扉を前にロディーヌは薬指を握りしめる。さっきまで血が通っていた肉体だったのに、それは瞬く間に白く硬い欠片と変化した。真っ白な鍵。女神たちの力を感じずにはいられない。ロディーヌはそれをそっと鍵穴に差し込んだ。
もし開かなければ……とロディーヌも思った。けれど、そのような不謹慎なことを思うものではないと自分を叱りつけ、思いを断ち切るように鍵を回す。それは折れることなく噛み合い、かすかな手応えのあと、かちりと音を立てた。
奥へ向かって開かれた扉はロディーヌの前に指し示された道。最後の旅の始まりだ。もう一度感謝の気持ちを伝えようとオワインを振り返り、口を開きかけたロディーヌはふと思い出した。
「オワインさま、今日は何月何日でしょうか。もう初夏だとはわかるのですが、何一つ知る方法がなくて」
オワインの答えた日付にロディーヌはやはりと思った。自分の誕生日だ。オワインと出会えたことは女神からの贈り物のような気がしてならなかった。大切に心にしまっておこうとも思ったけれど、嬉しすぎて口にせずにはいられない。
「オワインさま、実は……今日は私の誕生日なのです。十八歳になりました。立派な成人です。ああ、なんて素敵な日なのでしょう。私……この喜びをきっと忘れないでしょう」
オワインはもはや自分を抑えられなかった。大人になったロディーヌ。花開いたその美しさを一番に見たのは自分で、それを摘み取るのも自分なのだと、オワインは全身の血が沸き立つような思いだった。
ロディーヌに駆け寄り、その小さな顎に手をかけ、オワインは再びその薔薇色の唇に自分の唇を重ねた。それは驚くほど荒々しいものだった。ロディーヌの鮮やかな青の瞳が一瞬揺れ、そのあとそっと閉じられた。
初めての口づけは軽やかな小鳥のついばみのようだったと言うのに、それはほとばしる激流に押し流されるかのようだった。熱い、すべてが燃えるように熱い。幾度も幾度も、触れ合う場所から決して薄れ消えることのない何かが流れ込んでくるようだとロディーヌは思った。
どれくらいの時間が経ったのか、ロディーヌにはもうわからなかったけれど、離れていくオワインの温もりが切なくて仕方なかった。くたりとその体をオワインに預け、甘い吐息を洩らすロディーヌ。オワインは、痺れるような余韻に絡め取られたまま、唇が触れんばかりの距離で囁いた。
「ロディーヌ、誕生日おめでとう。大人になったのだな。ここであなたに会えてよかった。今日を祝えてよかった……」
愛している、と続けたかった言葉をオワインは飲み込んだ。それはこんな魔境ではなく、どこか花咲く美しい場所で言うべきだと思ったのだ。それは約束が叶う日のための、特別な言葉。もう一度また、温もりを分かち合う日のための……。
オワインは唇を噛みしめ、そっとロディーヌから離れた。「すべてうまくいく」と頷きかけ、ひらりとジュールにまたがる。そして、北へ向かうために深い森の中へと消えていった。
オワインの姿が見えなくなった後、ロディーヌは大きく呼吸を繰り返した。そして巨大な岩山を見上げ、開いた扉の内側へと静かに滑り込んだ。
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