第12話 想いは未来へと続く

「オワインさま、私には兄たちを年老いた両親の元に連れ帰り、失われた年月をみんなで埋めるように寄り添って生きたいという願いがあります。それは私たち家族だけではなく、女神さまたちの、長い年月闇と戦ってきたものたちの想い。私は、この長い時間の最後の幕引きとなれるよう、ここへ来たのです。そのためにも今、この館に入らなければいけない。国を焼き尽くし、想い人たちを引き裂いた闇の力がどれほどのものなのか、私にはわかりません。すべては遠い日と同じように灰と消えてしまうかも……。呪いを解くこと、それが私の使命、私の願い。今はそれ以上のことを望みません。だから……一緒に行くことはできないのです。何一つお約束はできないのです」


 青い瞳にはいつの間にか涙があふれんばかりで、揺れる水の膜の向こうでオワインがにじんで見えた。それでもロディーヌは気丈に続ける。


「ただ……オワインさま、あなたさまをお慕いしていることもまた本当です。こんなにも汚れた格好で、いわくつきの身の上で、厄介なことこの上ない私を、温かく受け入れてくださった。認めてくださった、嬉しかったのです、とてもとても嬉しかった。それだけで、私は、私は……」

「ああ」


 覚悟はしていたけれど、その返事を聞いてオワインは身を切られるような思いだった。辛かった。簡単に了承などしてもらえるはずもないだろうとは考えていたけれど、その痛みは思う以上だったのだ。けれど同時に、そんなロディーヌだからこそオワインは欲しいと思ったのだ。欲に負け、簡単になびいてしまうようなロディーヌなど、ロディーヌではない。

 大きな悲劇と戦ってきたとはいえ、彼女はまだ幼い。人生における駆け引きなどできるわけもなく、それゆえにその胸の内が荒れに荒れているだろうことは、苦難を乗り越えてきたオワインには手に取るようにわかった。

 目一杯だろうロディーヌ。それ以上無理なことを言うべきではないと思いながらも、オワインは問わずにはいられなかった。真っ直ぐすぎるロディーヌが考えもしなかったことを、伝えなくてはいけない。そのための告白なのだ。


「あなたの気持ちはよくわかった、ロディーヌ。あなたは正しい。まずはその思いを果たすべきだ。あなたの言う通り、未来は誰にもわからない。その不安も当然だ。けれどだからこそ、夢を描き、希望を掲げていいのだろう? あなたもそうやって今日の日を迎えたのだろう? ならば次の機会を私にくれないだろうか。その選択はもっとずっと後で構わない。今気に病むことはない。その時が来たら、考えてくれればいいのだ。だからロディーヌ、あなたの気持ちが変わらなければ、いつか私の気持ちに応えて欲しい」


 ロディーヌの大きく見開かれた瞳から、ついにほろりと涙がこぼれ落ちた。頬に滑り落ちるそれを、そっと指で拭いながらオワインは苦笑する。


「わがままが過ぎただろうか? あなたをやっぱり困らせただろうか?」


 その言葉にロディーヌはかぶりを振った。飛び散った涙が青い宝石のようにきらめいた。


「いいえ、いいえ。オワインさまはもっとわがままを言っていいのです。ご自分にもっと優しくしてあげていいのです」

「あなたはまた……ジュールと同じことを言うのだな。でもそれはロディーヌ、あなたにも言えることだ。あなたの勇気はきっとこの呪いを打ち破り、多くのものをあるべき場所に戻すだろう。そして穏やかな時間が戻ってきたならば、その時もう一度、私の言葉を思い出すと約束してくれ」


 涙をこぼしながら頷くロディーヌはあまりに美しく、オワインの中に抑えきれない愛しさがこみ上げてくる。その身を腕の中に閉じ込めて連れ去れないのなら、ロディーヌの優しさに甘えてもう一つわがままを言っていいだろうか。それはあまりにも乱暴な提案だとオワインにもわかっていた。けれど、このままロディーヌを手放してしまうなど、もうオワインには考えられなかったのだ。


「ロディーヌ。ああ、どうか私にあなたの髪を一房わけてくれないだろうか。とんでもなく不躾で無礼で、野蛮なことを言っているのは百も承知だ。女性の髪を剣で切るなど、正気の沙汰ではないと罵ってくれていい。それでも……どうか身勝手な私を許してほしい。私は……あなたに強く惹かれているのだ。今、この想いを断ち切り、あなたを残していかなくてはならないとは……とても耐えられそうにない。だからこんな私にあなたを分け与えてくれ。あなたはこんなにも強いと言うのに……まったく駄目な男だ。笑ってくれていい。それでもロディーヌ、私は欲しい。遠く離れても、あなたをずっと感じていたいのだ」


 あまりにも率直で情熱的なオワインの言葉に、ロディーヌは真っ赤になって一も二もなく頷いた。喜んで自分の髪を差し出すと答えたのだ。一連の流れを見守っていたジュールは天を仰いだ。


『オワインよ、気持ちはわかるがそれはどうなのだ。ロディーヌのこの美しく長い髪を切るなど、ありえないだろう。年頃の娘なのだぞ! お前の剣の切れ味は知っているが、戦場の生き別れじゃあるまいし……ロディーヌ、お前もだ。それでいいのか。情にほだされるな! この恋愛値の低い腰抜けを止めろ。馬鹿を言うなと叱れ! 他になんだってあるだろう』


 慌てるジュールの前で、ではそれならこれをと、青い筋の入った部分を頬のところで握ったロディーヌに、今度こそジュールは絶句する。けれどこの時、そんなオワインたちを止めなかった自分をジュールは後になって褒めることになる。

 すべてには理由があるのだ。けれど直ちに明らかにする必要はない。なぜならそれはいつの日か、自ら答えを見せてくれるからだ。ここにも一つ約束が生まれた。この先に流れる時間の中で、それがどう変わっていくかは誰にもわからない。それでも、それが真実ならば、運命ならば、必ず果たされる時が来るのだ。

 オワインはヴァナンドラが輝く鞘から短剣を出し、ロディーヌの青い泉を携えた光のような髪を一房切り取った。そしてそばに生えていた野薔薇の細くてしなやかな蔓でそれを結んだのだ。棘のないその蔓は新しく瑞々しかった。


「これを……これも一緒にお持ちください」


 ロディーヌがポケットから新しいハンカチを取り出した。


「私が染めたものではありませんが、美しいこの旅の思い出にと買い求めたものです。この旅は、私にとってかけがえのないもの、大きなもの、けれど家族以外の誰にも打ち明けることはないでしょう。でもオワインさまには知っていただけた。それが嬉しいのです。どうかこれを。こんな忌まわしき森の隅で、世にも美しき時間に出あえた記念に。私の心からのお約束として」


 オワインはそっと青いハンカチを受け取った。繊細なレースはロディーヌの美しさを思わせる。そしてそこに刺繍された彼女の名前の頭文字と美しい花。オワインは胸が詰まった。自分を理解してくれる人と別れいかなければならないなど、なんと理不尽なことだろうかと天を仰いだ。

 いつの日か、ロディーヌが改めて自分の申し出に向き合ってくれたとして、そこに自分が欲する未来があると決まったわけではない。それでもあなたはいらないとここで切り捨てられるより、それはずっとずっと価値あるものなのだ。その日が来るまで、それを最大限に活かせる自分でなるために、より精進するだけなのだと、オワインは自分に誓った。

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