第11話 揺れ動く想いの末に

 ロディーヌの瞳がこぼれんばかりに大きく見開かれた。その心がぐらりと揺れた。ああ。ロディーヌは心の中で深く深く嘆息する。なんということだろうか。そんなことを言われてしまったら……《ルビを入力…》ロディーヌは思わず胸を押さえた。言わずにやり過ごそうと思っていた想いがあふれ出しそうだった。

 ロディーヌにもまた、オワインという人のすべてが好ましく思えてならなかった。まだ何も知りはしないというのに、この人でなければ駄目だと心が騒ぐのだ。


 兄たちと引き裂かれた後の暗闇の中で、醜い抜け殻になったロディーヌをオワインはさげすまなかった。それが人間なのだと言ってくれた。弱すぎるとけなすことなく、それどころか褒めてくれたのだ。痛みを知った人は誰よりも優しいのだと。

 その言葉にロディーヌがどれほど救われたか。そして、あなたはそれを乗り越えてここにいる、だから誰よりも強くなったのだと微笑まれた時、ロディーヌは失ったままだった色をすべて、この世界の中に取り戻したと思った。

 出会ってからの数刻、この短い時間の中でさえ、こんなにも心からの喜びを、安らぎや安心感を感じたのだ。この先の長い時間を一緒に過ごせば、そこにはどんな幸せがあふれているだろう。着いて行けたなら……とロディーヌは思った。何もかもを捨ててでも一緒に行きたいと、本当は言いたかった。

 

 けれどそれは叶わぬことだとロディーヌは感じていた。

 その仕草、その物言い、オワインは自分に釣り合う相手ではない。祖国に帰れば、彼にはきっと彼を待っている世界があって、そこに自分が組み込まれることなどありえないだろう。こんな寂しい世界の果てで出会った今だからこそ、甘えられる温もりと優しさなのだ。

 

 そして自分もまた、今は兄たちの呪いを解き故郷に帰ることにすべてを捧げなくてはいけない。それが果たしてうまくいくのかどうか、それさえもわからないのだ。ここで命を落とすかもしれないし、逆に兄たちを失うかもしれない。

 故郷で待つ両親のために自分ができる事はなんだ? 守り慈しんでくださった女神さまたちを救うためにできることとは? ロディーヌは目を覚ませと言わんばかりに必死で己を叱咤し続けた。

 それでも二重三重に想いが渦巻く。ああ、すがりたい、頼ってしまいたい、とどこかで囁く声が聞こえれば、それは己の欲に負けて楽な方へと逃げているだけだと違う声が責め立てる。それほどまでに、知ってしまった温もりは魅力的だった。

 ついには、こんな時でなければ、と思ってしまう自分が現れて、ロディーヌは激しい嫌悪感に苛まされた。そんな気持ちを浅ましい醜いと思わずにはいられない自分と、「どうしていけないの? それは悪いことなの?」と問いかける別の自分。

 ロディーヌの中に暗雲が立ち込めそうになる。あの頃のように、なぜ自分ばかりがと思ってしまったら、思い通りにならないことを誰かの何かのせいにしてしまったら……きっとまた憎しみが生まれてしまうのは明らかだ。

 

(じゃあ、約束を果たしたら、私は胸を張ってこの申し出を受け入れられるの? いえ、それもまた無理でしょうね。それに、それではもう遅すぎる……。またいつか、また改めて、そんな口約束など存在しないも同じこと。奇跡のような喜びなんて、手放してしまったらもうそれまで……)


 ここで別れたら最後、もう簡単には会えないだろうと言うことは、ロディーヌにもわかる。遠く森の王国へつながる道など、さらにその国の奥深く、手の届かぬ場所にいるであろうオワインへの道など見つけられそうにない。世界を知らない小娘がたまたま辺境の地で出会った人は、あまりにも大きすぎた。


 今まで知らなかった感情を揺り動かされ、見ないふりをしてきた気持ちに気づかされた。甘えることを忘れてしまったロディーヌをとことん溶かしてしまった人。それが夢見た物語の「騎士さま」だったのだから、そんな誘惑に打ち勝てるはずがない。もうすぐ十八の成人になると言っても、ロディーヌには圧倒的に経験が不足していた。

 もう何が何だか分からなくない。ロディーヌは完全にいつもの冷静さを失い、何一つ決断できずにいた。どうしたらいいのかと自分に問いかけ続けたけれど、心の中は引っ掻き回されるばかりで埒があかない。

 ただただ切なさがあふれてきて、ロディーヌはオワインの袖を握りしめてしまう。心配そうに自分を覗き込むオワインの黄金の瞳を見つめたロディーヌは、このままではいけないと焦りつつも、なすすべを持たなかった。


「わ、私、私……」

「あぁ」


 無理強いせず、根気よく自分の言葉を待ってくれるオワイン。その優しさに触れたロディーヌは、本当の強さとは何かを垣間見たような気がして、ようやく我を取り戻した。目を閉じて深呼吸すれば、自分のまん中に立つ芯がくっきりと見えてきた。

 

 この美しく気高い人に幸せになってもらいたいとロディーヌは心から思った。誰よりも強く賢い人なのに、時として幼子のように自信をなくしてしまう人。そんな弱さを包んでくれる誰かが、どうか現れますようにと願いながらも、それが自分ではないことに胸が痛んだ。きつく締め付けられて、泣いてしまいそうだった。

 そんな気持ちを今まで味わったことなどなかったのだ。難しく考えず身を任せてしまえば、何かが変わったかもしれない。けれどロディーヌはどこまでも不器用だった。

 今のことしかわからない、それで精一杯。目の前にあることをなしてもいないのに、次の約束などできるはずもない。無責任な発言などもってのほかだ。一つ一つできることをするしかない。

 

 心に決めて始めた旅なのに……答えなど決まっているはずなのに……こんなにもうろたえ時間をかけてしまうなんて……。ロディーヌはそれを自分の弱さ故だと密かに嘆いたけれど、それは逆に、人として生きる魅力に気づかされたと言うべきだろう。

 オワインという存在が、ロディーヌの世界の中に、心許す相手を持つことの意味を教えたのだ。ロディーヌはまだ気づいていなかったけれど、わかりきったことなのに悪あがきをしてしまう自分を、彼女は憎めないでいた。素直な自分を無意識に許しているのだ。それはオワインによって与えられた。己の欲を認める勇気、彼女の中に生まれた喜ばしい変化だった。

 

 少しずつ少しずつ、ロディーヌの中で想いが定まっていく。何度も何かを言いかけては口ごもっていたオワインは、きっと自分と同じように自問自答を繰り返しているのだろう。それでも、最後には想いを届けてくれた。だから自分も、嘘偽りなくこの人に応えたい。今、自分が伝えられることをすべて伝えよう。迷っていることも、信じていることも、強く成し遂げたいことも、すべてすべて……。心にもないことを吐いて、大切な人を裏切ってはいけないのだとロディーヌは思った。


 天空草の花畑の中で世界を知らずに終わってしまったかもしれない自分が、遥かなる砂の海を旅し、人の悲しみの大きさを感じ、海と森の結びつきを教わった。そこには未知なるものがこれでもかと詰め込まれ、その最大の奇跡がオワインだった。あまりあるものを受け取ったのだ。


(これが最後になるならそれでいい。だったら最後に思いの丈をぶつけてみよう)


 ロディーヌは深く息を吸いこむと、まっすぐにオワインを見て切り出した。

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