第10話 その声は響く、新たなる心の絆
その時、ロディーヌは身の内に流れ出した不思議な感覚に気がついた。かすかに響いてくるものがある。それが自分に向けられた声のような気がしたロディーヌは身をよじって黒豹の顔を見つめた。
ジュールが犬歯を見せてにやりと笑った様な気がした。間違いない。声はそこからだ。優しく低く、心地よい声がロディーヌの名を呼ぶのがまた聞こえた。まっすぐ自分の中に届けられる声にロディーヌは驚きを隠せなかった。
「ジュール、さん?」
もちろんオワインにも何が起こったかすぐにわかった。ジュールの思念をオワインが読み間違えるわけがない。まさか、こんなことが……けれど考えれば考えるほど、それは自然で納得のいくことだった。ロディーヌはその精神と血でもって聖獣と確かな絆を結んだのだ。
『ああ、俺だ、ロディーヌ。わかるんだな? 俺の声がちゃんと聞こえてるんだな? じゃあ、ジュールさんはやめようか。なんだか他人行儀で居心地が悪い。ジュールで構わない。オワインと同じように呼んでくれ』
ロディーヌがこくこくと頷いた。
聖獣とのコミュニケーション。それは思念でのやり取りだ。心を通わせることができれば、どんな状況においても互いを理解し合い、行動を共にすることができる。オワインたちはもうかなり前から、そんな関係に助けられてきていた。それがこの先人との間になくてはならないものになるであろうことは間違いない。
そのため森の王国では、聖獣と交流できる者を育てることや、より固い絆で結ばれたパートナーを見つけることが重要視されてきた。近年では志願者を募り、より大きな計画へと発展しつつあったのだ。
オワインとジュールのような関係は、紙面的な契約などではなく、魂レベルでの結びつきだ。それはまさに運命の人と巡り合うが如くで、組めるものはまだわずかだった。非常に稀な存在といってもいいだろう。それゆえに、現時点ではそこまでのレベルは求められないけれど、まずはスムースにやり取りができる者を育てたいと森の王国は考えた。
ところが、それに賛同しやる気のある者も多かったというのに、なぜか思うように育成は進まず苦戦を強いられた。
問題は人側にあった。聖獣はみな恐ろしく知能が高く、優れた身体能力とセンスを持っているため、思念を飛ばすなどというのは当たり前すぎることだったけれど、人側がそれを受け止めきれなかったのだ。すべてはそこから始まるというのに、それをこなす人材が未だ育たない。その数が一向に伸びない。
何が原因なのかわかれば、問題は解決されるだろうと思われたけれど、糸口さえつかめていなかった。頭ではみな分かっているのに、いざとなると形にならないのだ。
それでもオワインたちは、諦めることも失望することもなかった。まだ時期尚早だと考えたのだ。ゼロからことをおこすのは簡単なことではない。オワインとそれを取り巻く人々は、ここ数年の激務の中でそれを学んでいた。
信頼がきっとこの先を切り開いていく、そのためにも今はお互いをよく知り、共に過ごす時間を持つことが大切だ。そして相手の中に永遠につながるものを見出すことができれば……オワインはそう感じていた。
それをロディーヌが体現してくれたのだ! その勇気と純粋さでもって聖獣と対峙し、ロディーヌは自らの運命を委ねた。命の危険さえある場面で、そこにあるのは心からの信頼だった。一点の曇りもないまっすぐな気持ち。それこそが、この稀有なる生物との結びつきをもたらしたのだ。
失敗が重なれば、人は疑心暗鬼にかられる。うまくいくものもうまくいかなくなる。意気揚々とこの計画に参加した者の多くが、そんな状況に陥っていた。責任転嫁や不信感がはびこれば、いつしか関係には亀裂が入り、溝は深まるだろう。さらにその上に、相手は自分とは違うものだという思いが投げかけられれば、パートナーなど組めるわけがない。
人とは弱いもの。追い詰められると、自分とは異なったものを排除しようと心が動く。けれどまた一方で、知らぬものと向き合い、学びを深めたいとも思っている。何を信じるべきか、真実はどこにあるのか。目に見える形に惑わされることなく、魂で深く固く結びつくために……。
今、ロディーヌの存在はオワインが目指す未来を照らし出した。背負えないほどの重荷になっていたものを優しい手で解いてくれたのだ。
「ロディーヌ、あなたという人は……」
オワインは腕の中のロディーヌを信じられない思いで見つめた。ロディーヌとなら一緒にどこまでも歩いていけるのだという確信は揺るぎのないものとなっていく。ロディーヌは自分にとってかけがえのないもの。唯一無二の存在なのだ。
封じ込めたはずの気持ちが再びわき起こり、オワインは、静かにこの場を去ることが何よりだと決めた自分を罵りたくなった。彼女の幸せが兄たちの救出と、その後の家族との静かな暮らしで完結するだなんて、オワインにはもう納得できなくなっていた。
ではオワインがそれ以上のものを与えられるのかと問われれば、まったく自信はなかった。それでも、ロディーヌの横に自分以外の違う誰かがいるなど、オワインにはもはや耐えられるものではなかったのだ。
この腕の中の温もりを他の誰にも与えてくれるなとオワインは叫びたかった。古い門の扉など今すぐ長剣で叩き斬って侵入し、はびこる闇を一刀両断にしてしまいたい衝動にかられる。このままロディーヌを森の王国に連れて帰ってもいいだろうかと半ば本気だった。
聖獣との思念でのコミュニケーションなどという未知なるものに遭遇し、大きな驚きの中でロディーヌが未だぼんやりしているのをいいことに、オワインはそっとその髪に頬を寄せ、心の内で大いなる一人芝居を繰り広げていたのだ。
『おいおいオワイン、筒抜けにもほどがあるだろう……』
ジュールがほとばしるオワインの想いに当てられて苦笑する。しかし、そんな感情むき出しの無防備なオワインの姿は初めて見るものだ。いつだって神経を張り巡らせているオワインをここまで丸裸にできるものなど皆無だったから。ジュールは今がその時と、オワインの気持ちを後押しする。
『こんなロディーヌを手放していいのか? いいはずないだろう。怖い? ふん。お前はいつからそんなに腑抜けになった。たとえ今は色よい返事をもらえなかったとしても、まずはお前の気持ちを伝えるべきだろう。事は起こさなければ始まらないぞ。俺は持久力には自信がある。長期戦は望むところだ』
はっと顔を上げたオワインがジュールを見た。そしてその言葉に頷いたのだ。声がけはしたものの、一筋縄ではいかないだろうと思われていたオワインの、思いがけず素直な行動にジュールは目を見張る。当の本人ももちろん驚いていた。自分が自分ではないようだと感じたのだ。けれどそうすべきなのだという思いがオワインの中で優った。
こんなにも一つのものを、心の奥から欲したことはなかった。正論を導き出し、ためらわず選び取り、オワインは多くの困難な場面を乗り越えてきた。時を無駄にすることなく取り組んできた。しかしそれは全て誰かの何かのためだった。今初めて、彼は自分のためにそれを許した。
身勝手だろうと思う。今からやろうとすることは、あまりに一方的で、状況を完全に無視した行動だ。自分ならそんな横暴な男などその場で斬って捨てるだろうとオワインは密かに苦笑する。
優しいロディーヌは全てにおいて真摯に答えてくれるだろう。それにつけこむような真似だとは重々承知だ。けれど八方塞がりの窮地を脱するには、小さな一点も見逃すわけにはいかない。一世一代の告白が、こんな色気もなく、まるで戦いの最中のようなものになるだなんて……オワインはロディーヌに申し訳なく思った。しかし、何が合ってもそれだけは譲るわけにはいかないのだ。今がその時だ。心をさらけ出せ。オワインは、幾重にも纏っていた重い装備を解き放つような気分だった。
(ここからなのだ。まずは始まりを刻まなければ!)
そう心に決めれば、もう止められなかった。オワインはそっと顔を傾け、ロディーヌの美しい瞳を覗き込んだ。そしてその青のきらめきに魅了されながら口を開く。生まれて初めて、思いの丈を、想う人に、オワインは告げるのだ。
「ロディーヌ、兄上たちを解放できたら、私と一緒に来るか?」
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