第7話 黄金色の輝きが結びつく時


 オワインはロディーヌをまっすぐに見つめてきっぱりと言いきった。


「そうか、みな、あなたを待っていたのだな、ロディーヌ。誰もがあなたの到着を喜んでいるのだよ」


 ロディーヌはあふれそうになる涙をぐっと噛み締めた。本当はその胸元に飛び込んで泣きじゃくりたいとさえ感じたけれど、振り切れそうになる理性をつなぎとめて笑顔を見せ、さりげなく話題を変えた。


「オワインさま、南からいらっしゃったのですよね。私のように森の木に追いかけられたりは?」

「いや、何もなかった。確かに空気が悪く……あまり長居はしたくない場所ではあったな。喉は乾いていたが、あのような場所にある水は飲みたくないと思った。まあ、水など見ることもなかったが。しかしそれ以上のことは何も……ああ、ジュールの力だろう。禍々しい瘴気も、さすがに聖獣には手出しできぬから……」


 そう言ってオワインが黒豹を振り返れば、彼はぐるぐると自慢げに喉を鳴らした後、今度はちらりと不満げにオワインを見た。


「あ……ああ、そうだな。実は、私の母は海の王国の者なのだ。ゆえに私も魔力を少々受け継いだ。……それもあるかもしれない……」


 さっきまでとは違い、何やら歯切れも悪く小さな声だった。自分は純粋な森の王国人でないと、オワインが心苦しく思っていることをロディーヌは即座に感じた。

 母親が異国人というだけで、綺麗な心を持つ彼が恥ずべきことは何もないはずだ。けれど本人にしかわからないことが多いのもまた事実。ロディーヌは無性にオワインの力になりたいと思った。そんな気持ちが顔に現れたのだろうか。ロディーヌがオワインを見上げれば、彼は少し寂しげに笑いながらも彼女を促した。


「今は私のことはいい。それよりもロディーヌ、あなたの話の続きを。この岩山に入るのか? 兄上たちはやはりここに?」


 その一言にロディーヌは現実へと引き戻された。そうだった、今は大事な決断の時なのだ。ロディーヌは表情を引き締めると、オワインに会う前に、扉を開けるための努力をしたことを語った。そしてその鍵として、自分の指が必要なのだと思い切って口にした時、ロディーヌの目にオワインの腰に輝く二本の剣が映った。


「それは! オワインさま、お願いです。どうぞ、その剣で私の指を切ってください」

「待て! 待て、ロディーヌ! 落ち着け。それは簡単なことではないぞ。そんなことをしたら、あなたは血を流し、もう二度とその指は戻らない。だめだ! きっと何か他の方法があるはず。私も一緒に探そう」


 けれどロディーヌは静かにかぶりを振って微笑んだ。


「いいえ、オワインさま。私にはわかるのです。天空草の花の妖精がその翅を差し出したように、大切な者のために差し出すべきものがあるのです。他のものではどうしようもできません。これは呪いを解くために必要なこと。私はこのためにここに来たのです。私の指で兄たちが救えるのなら、こんなに嬉しいことはありません」


 オワインはロディーヌの揺るぎない決意に、燃える杭で刺し貫かれたかのような激しい衝撃を感じた。これほどまでに強く気高いものがあるだろうか。それなのにこの人は、なんと静かなのだろう……。オワインは大きく息を吸い、目を閉じてしばらく考えたあと、意を決して言葉を紡いだ。


「わかった。ロディーヌ、あなたの望みを叶えよう。ジュールは癒しの力を持つ聖獣だ。あなたをすぐに苦しみから解放してあげることができるだろう」


 オワインは腰にさしていた小さい方の剣を抜いた。その柄には輝く黒い宝石が並び、躍動感あふれる蔦の模様を描き出している。それは森の王国で採れる有名な宝石、黒氷石ではないだろうかとロディーヌは思った。

 黒装束で森の王国出身の美しい彼に、その短剣はよく似合っていた。輝く刃は一点の曇りもなく、何一つ恐ろしくはなかった。けれどロディーヌはその鞘から目が離せなくなっていた。


(あれは……! あれは、もしかしたら!)


 美しい装飾が施されている鞘。その短剣の柄を飾るのと同じ黒氷石に囲まれた意匠の中には小さな空白があった。閃きと同時に、ロディーヌの胸の上が熱を持った。ロディーヌははっと顔を上げてオワインを見た。


「オワインさま!」


 早口で呼びかけ、急いで鎖を引き上げてドレスの内側からロケットを取り出し、その蓋を開けた。

 オワインがいぶかしげに覗き込めば、そこにあるのは小さな雫型のヴァナンドラだ。小さなものではあるけれど、非常に上等なものであることがオワインにはすぐにわかった。腕のいい職人が丹精込めて細工をしたものに違いない。


「これは砂漠に落とされていたもの、砂の女神さまに託されたものなのです。もしやこれは……元々その鞘にあったものではありませんか? 石がこんなに熱を持って。大切なものを呼んでいるように私には感じられます」


 短剣はオワインが父から譲り受けたものだ。そう言えば……。オワインは小さい頃、父に尋ねたことを思い出した。鞘の装飾の中の、まるで抜け落ちたかのような空間。そこに何かがあったのではないかと思ったのだ。

 それに応えて父は言った。そうだ、よくわかったな、ここにはかつてあった。あったけれど、もういいのだ。それよりも、もっと大切なものを見つけたから、ちっとも惜しくはないのだ。そう言ったのだ。けれどそれが何であったかは教えてくれなかった。


 オワインはもう一度まじまじとヴァナンドラを見た。その瞬間、オワインの中に父と母の思い出が鮮やかによみがえった。間違いない、なくしたものはこのヴァナンドラだ! オワインが震える指先でそれを受け取り、そっと意匠の空間に押し当てれば、まるでパズルの最後の一ピースのように美しい調和が完成した。


「ああ……」


 もうそれ以上、言葉にならなかった。オワインの中を時間が駆け巡り、心が激しく揺さぶられる。敬愛すべき両親、その息子である誇りと葛藤、様々なものが渦巻いてたまらなかった。

 なくしたヴァナンドラよりも大切な何か……そこには母の黄金色の美しい瞳が輝いていた。そしてそれは自分も同じ。父にとって大切なものが自分たちであったことを、オワインは改めて教えられたのだ。

 

 こんな偶然があるだろうか。オワインがロディーヌを見やれば、彼女は目を閉じ静かに涙を流していた。オワインの過去など何も知らないであろうロディーヌなのに、この短剣の鞘や石が発するものに深く共鳴しているのだ。

 戻るべき場所へ戻るということはありふれたことのようであって、そう簡単なことではない。それがいかに大変なことであるかは、向き合ったものでなければわからない。けれどオワインの心に響くそれを、ロディーヌもともに感じてくれているのだとオワインは思った。

 長い間、泣くことを自分に許さず、感情を封じ込めてきた自分。オワインは、ロディーヌがそんな自分の分まで泣いてくれているような気がしてならなかった。

 

 オワインの目の前で今、ロディーヌは比類なき美しさだった。涙を溜めた瞳は澄んで鮮やかな青で、長い旅でくしけずることもままならなかったであろう髪は、それでもヴァナンドラに負けぬほどの黄金の輝きを持っていた。泥にまみれたドレスをまとってはいたけれど、それさえもロディーヌを汚すことはできないのだとオワインは感じた。


 やがて、ロディーヌが流す涙がほろほろとその足元に落ち泥を洗い流せば、真っ白な足先が覗いた。その色に誘われるようにオワインが視線を向ければ、続くそこには青い爪が。

 オワインは思わず胸の前で拳を握りしめた。あまりの鮮やかさに突き動かされ、今にも飛び出さんばかりだったのだ。この世界に一つしかないものだと彼は感じた。大切に大切にしたいものなのだとその心が震えた。ロディーヌが自分にとってどんな存在であるのか、その瞬間オワインは知ったのだ。


 小さな青は、彼女の秘められた強さそのもの。それがどうしようもなく愛おしかった。愛しくて愛しくてたまらない。彼女を煩わせるすべてのものから守りたいと思った。どんな時もそばにいたいと思ったのだ。吹きださんばかりの想いにオワインの心臓は早鐘を打った。オワインは今の今まで、そんな感情を持ったことがなかった。

 もし彼女が受け入れてくれたらどんなに素晴らしいだろうと思わずにはいられなかった。身勝手な願いと知りながらも、その気持ちを止める術を知らなかった。それはどうしようもなく甘美で、けれど鋭く激しく己を駆り立てるもの。オワインはもはやその気持ちに抗うことなどできなかったのだ。

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