第17話 夜の砂漠と森への道
どこを目指せばいいか、もう悩むことはない。今となってはこの砂の痛みさえ、女神との繋がりを感じさせるのだ。自分が女神たちの待ちわびるものを取り戻すまで、砂嵐がカロレイナを悪しきものから守ってくれるよう、ロディーヌは心から願った。もう二度と遭遇したくないとさえ思った砂嵐が、こんなにも心強い友となるだなんて……ロディーヌは思わず微笑んでしまう。
やがて砂嵐が晴れて大きな月がのぼってきた。いつの間にか長い一日は終わっていたのだ。ロディーヌに疲れはなかった。今ならどこまででも歩いていけそうだと思った。闇に対する恐れさえなければ、灼熱の昼よりもずっと過ごしやすいはず。女神に出会えた今、砂漠に対する恐怖心は消え去っていた。ここを抜けるまで穏やかな夜の道を行こうとロディーヌは決めた。
見上げれば、宝石を散りばめたような星空。今の今まで気づきもしなかったことにロディーヌは苦笑を漏らす。疲れ果ててただ眠る日々。孤独に耐えて頭をもたげようとする恐怖心と戦う日々。それどころではなかったのだ。ようやっとロディーヌは、胸の奥の奥から息ができるようになったと感じた。
柔らかな月光は、何もない世界に白い道しるべをたてていくかのように輝いている。世界を包んでいた女神の白の輝きが、今一筋の光となって、自分の行く先を照らし出してくれているのだと、ロディーヌはそう思った。
静かに歩き続けるロディーヌの視線の先、白トカゲたちの長い影が無音の砂丘を密やかに蠢く。それはロディーヌにとって見慣れたはずの光景だったけれど、いつになくそこには熱く脈打つようなものを感じた。女神の力が戻れば白トカゲたちもまた本来の姿を取り戻すのだろうか。
見てみたいものだとロディーヌは思った。それはきっと叶わぬこと。しかしそれでいいのだとも思う。この寂しい砂漠が砂の楽園に戻る時、それは人の世界とはかけ離れたものになっていくはず。もはや人が踏み込んでいい場所ではなくなるのだと感じるからだ。白トカゲたちが、待ち望んだ女神の温かさの中で幸せであってくれればとロディーヌは願った。
「ああ、私、本当に素晴らしい時間をいただいたのね……もう二度とこんな日々はやってこないでしょう。世界の果てに人知を超えた場所があることを、ちゃんと忘れないようにしなくては……」
ロディーヌのドレスはすっかり色をなくしていたけれど、その白は彼女の決意を表しているかのように美しかった。そしてその瞳は、遠く天空草の花の青を、女神シャルレイアの色を、遥か遠く西の地で妹の身を案じていたであろう砂の女神カロレイナに届けられた喜びに、これ以上にないほど輝いていた。ロディーヌは絶え間なく姿を変える白い砂を踏みしめて歩いた。
そうして、夜の砂漠を幾日も歩き続けたロディーヌの目に、少しずつ風景の変化が感じられるようになった。砂が減り、草がぽつりぽつりと生えているのを目にするようになったのだ。しゃがみこんでそれにそっと触ったロディーヌは、いつの間にか風が止んでいることに気がついた。
「空の王国を出たんだわ!」
けれどそこに大街道はなかった。大きくそれてしまって、今自分がどこにいるのかわからない。それでもロディーヌに不安はなかった。女神が指し示す光の通りに来たのだから、その先にあるのは大ガラスの館がある岩山のはず。
大街道はもう道しるべではないのだ。今度は行きに見たあの黒い森を目指さなくてはいけない。この先は太陽の下を行くほうが賢明だろうと、ロディーヌは休息をとることにした。
近くの岩山に身を寄せれば、それは砂漠の中の真っ白なものとは違い、わずかながらも苔が張り付いたものだった。白トカゲの姿もない。けれど綺麗な水は同じように湧き出しており、ロディーヌは最後になるであろうその水を飲んだ。そして沈みゆく月を見つめた後、そっと目を閉じた。
浅い眠りから覚めれば、昨日までは感じられなかった湿度を感じた。かすかだが水の匂いもする。森が近い証拠だとロディーヌは思った。うっすらと青い空が頭上には広がり、太陽の輝きと共に一日の始まりを教えていた。
川か池か湖か、大きなものがあるはずだとロディーヌは思った。水の匂いが強くなっていくのだ。ロディーヌはそれを頼りに一日中歩き続けた。それは故郷のように透明感を持ってはいなかったけれど、それでもロディーヌをほっとさせた。砂漠の岩山の湧き水に助けられはしたものの、身を浸すことができる水に飢えていたのだ。
森はまだ見えず、川のせせらぎも聞こえなかったけれど、その水を思うだけでロディーヌは生き返ったような心地だった。足元をくすぐる草も少しずつ多くなり、ついには草原を行く道となった。ロディーヌの知っている、小さな実がなる草も揺れていた。ロディーヌは迷わずそれを口にした。懐かしい甘酸っぱさが口内に広がり疲れた体を癒していくようだ。摘み取った実を片手に、青い草の香りを楽しみながらロディーヌは先を急いだ。
日没になった頃、ロディーヌは大きな切り株のそばを通りかかった。苔がその表面を覆っている。ごわごわとした黒い苔ではあったけれど、なにもない岩肌に張り付いて眠った日を思えば、とても上等の寝床のように思えた。
ロディーヌは倒れこむようにその切り株に身を横たえた。四肢を伸ばして大きく深呼吸をする。ドレス一枚でも寒さを感じることはなかった。もちろん砂に埋もれることもない。冷え込みに耐えて身を丸め、小さくなることも。いつの間にか季節が移り変わっていたことにロディーヌは気がついた。
草原に揺れていた実は初夏のものだ。薄れていく意識の中でロディーヌは、出発してからどれくらいの月日が経ったのだろうかと思った。もうすぐ誕生日が来るのではないだろうか。あれこれ考えたいと思うのにもう無理だった。久々に水の匂いに包まれたロディーヌは安心し、すぐに深い眠りへと落ちていった。
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