第16話 白き女神の切なる想い
呪いが再び発動し、そして打ち破られるその日まで、すべては元に戻らない。妖精の想いも、女神の翼も、王子の優しさも、みな闇に絡めとられたままなのだ。
そして、また一つの物語が始まった。それがロディーヌたち、サフィラス家に起きた悲劇だ。王子にかかった呪いは生き続け、哀れな犠牲者たちは「愚か者は去れ」という言葉に元に作り出されてきた。一つの命が潰えればまたどこかで一つの命が捧げられる。ロディーヌの三つ子の兄たちは三人で一人。だから呪いは三つ子の上に同じように降りかかったのだ。
けれど今度こそ、それは最後の一ページをめくるだろう。兄たちが呪いを引き受け、それを解き放つためにロディーヌがこの西の果てへと遣わされた。泉の中で
(私たちだからなのね。サフィラスだから。女神さまに、天空草に、エピステッラに、一番近い私たちだから)
呪われる者が巡り巡って再び泉の王国の者となったのは偶然ではないだろうとロディーヌは感じた。明らかにされたその始まり、提示された苦難の道のり、それを受け入れられる者はきっと、厚き女神信仰の元に生きている者。
ちょっとした人助けならいざ知らず、己の命と引き換えかもしれない旅、自分とは関係のない国で生まれた悲劇を真摯に見つめ、知らぬ女神を助けようなど、よっぽどの博愛主義者でなければありえないだろう。
ロディーヌだからこそ、それを認められたのだ。泉の王国民であればみな同様に思うかもしれない、けれどそこには迷いはないだろうか、苦悶はないだろうか。簡単なことではない。より女神に近く、神話の悲劇を己の家族の上に起こったように感じられるロディーヌだからこそ、絶望を残り超えてそれを受け入れられたのだ。
(女神さまはやはり待っておられたのね。この時を。けれど、それを心苦しく思ってもおられた……)
憂いを帯びた水底の女神を思い返せば、ロディーヌの胸はぎゅうと締め付けられた。守護者である自分が、その対象であるか弱き人の手を煩わせてもなお、この苦闘を終結させなくてはいけないなど、女神には耐えられないものだったかもしれない。けれど今を置いてその時はなかったのだ。
(女神さま、ご安心ください。ロディーヌにはもう恨みなどございません。いいえ、ここに導かれたことを嬉しく思っているのです。この手でこの悲劇の連鎖を断ち切ることができるのなら、女神さまの民としてこれ以上の
自分がここにいることはすなわち、兄たちが未だ命を繋いでいるという証明なのだとロディーヌは思った。そうでなければ意味がない。その命で持ってこの悲劇は終わるのだから。しかし今回ばかりはその愛しい者を差し出すわけにはいかない。己の命と引き換えにしても三人の命を救うのだとロディーヌは心に決めた。
気がつけば、熱い涙がロディーヌの頬を伝わっていた。それは辛く長い旅に出た自分や呪われた兄たちへの涙ではない。この気の遠くなるような長い時間を耐え忍んできた様々な想いのために泣いたのだ。王子のために、妖精のために、女神のために、ロディーヌは泣いた。
そんなロディーヌを見守っていた砂の女神が、静かに言葉を発した。
「そなたの兄たちは黒き森の向こうの岩山にいる。それはかつての王子の居城だ。王子の苦しみが、血の涙を流した場所。想い届かず朽ち果てた場所。そしてそれは解き放たれる日を、長きにわたって待っているのだ。王子が残した最後の言葉が、王子を、そしてそなたの兄たちを救うだろう。しかし黒き災いの渦の中に眠るそれを見ることは、今の我には叶わぬ。そなたにこのような重荷を背負わすこと、心苦しく思う。我が妹も同じ気持ちであったであろう。けれどロディーヌよ。強く美しき泉の乙女よ。そなただからこそ託せるのだ。弱き我らが姉妹の願い、どうか聞き届けてやってほしい。この道なき道も、まことの心が重ねられれば、きっと開かれるだろう。ロディーヌ、大ガラスの館に行き、その道の先に残されたものを見つけるのだ」
濡れた頬を晒して女神を見つめていたロディーヌは、託された言葉に大きく頷いた。その時、空間が再び揺らめき、ロディーヌの前に小さなきらめきが現れた。ロディーヌは慌てて両手を差し出した。
受け止めたそれを見たロディーヌは、あっと息を飲んだ。見間違えようがない。この世界にこれほど美しい黄色はないだろう。太陽のかけらのような雫型のきらめき。あの舞踏会の夜に本で見たもの、小さなジェロームが差し出したもの、そう、それは海の王国の奇跡、黄金の輝き、ヴァナンドラだった。 ロディーヌはそれを恐る恐る胸の前に引き寄せた。
「落としていった者がおるのだ。かつてこの砂漠で世界の美しさを見つけたいと切に願った者だ。そなたと同じようにまっすぐで美しい心を持っていた。これはその者にとってきっと大事なものに違いない。届けてやってほしいのだ」
ロディーヌには、それが誰でどうすればいいのかなど、皆目見当もつかなかった。しかし女神は静かに笑って言った。
「案ずることはない。想いは結び付き、道は開かれる。愛しき者を呼ぶ声に、大切な何かは必ず結びついていくのだ。この石自らが、そなたを導くだろう」
その言葉にまた、ロディーヌは深く頷いた。運命が導いてくれるというのなら、何も心配することはないだろう。自分という身を使って、その日はきっとやってくるのだ。今はエピステッラと同じように、この美しい石に託された想いを運ぼう。ロディーヌは、ヴァナンドラをそっと兄たちから贈られたロケットの中に忍ばせた。
女神はロディーヌの胸の内を読んだかのように満足そうに頷き、慈愛の微笑みを浮かべた。それはロディーヌの愛する泉の女神シャルレイアと同じもの。ロディーヌは例えようもなく大きなものに包まれたかのように感じた。
やがて女神カロレイナは白く輝き始め、その光は世界を満たした。あまりの眩しさにロディーヌは目を開けていられなかった。ぎゅうと目を閉じたのはわずかに数秒ではなかっただろうか。けれど次に目を開けた時、世界はすでに始まりの静けさを取り戻していた。
白き瞳はもうどこに見つけることはできなかった。翼の音がかすかに聞こえたような気がしたけれど、それもいつの間にか何もない空間の中に吸い込まれていった。しかし風の吹かないその小さな空間こそが、女神とロディーヌの
ロディーヌはひざまづき、こうべを垂れて二人の女神への感謝の気持ちを示した。胸に刻んだ誓い。ゆっくりと立ち上がったロディーヌは、砂嵐の吹きすさぶ中へと引き返した。再び熱いつぶてに打たれながらも迷うことなく進んだ。
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