第10話 空を包み込む白

 そうやってロディーヌは幾日も幾日も歩き続けた。こんな砂だらけの世界で彷徨うことがなかったのは、ひとえに大街道という一つの道しるべのおかげだ。強い風がひっきりなしに吹くこの地では、地形は休むことなく変化し続ける。それはすなわち、消えてしまったのかと思った大街道も、すぐにその姿を現すことになるということだ。

 薔薇色の石はここでも変わらなかった。泉の王国のように柔らかな雨に濡れて深く濃い色になることはなかったけれど、その柔らかな色はどんな砂嵐の中でも輝き続けたのだ。


 けれど、その風や容赦ない日射しの下で、ロディーヌの美しかった髪はつやを失い肌は乾いて痛んだ。滅多なことでは色褪せたりしない天空草の青さえも、砂に打たれて少しずつ色を失っていった。

 最初の頃は、失われる青に命が削り取られるような辛さを感じていたロディーヌだったけれど、ある時ふと気がついた。白に近づく今の自分は、もしかしたら少しずつ女神の領域に入ることを許されているのかもしれないと。シャルレイアが青き女神なら、砂の女神カロレイアは白き女神だ。真っ白な大トカゲたちの姿を思い浮かべれば、ますますそんな想いも強くなった。ロディーヌは砂に打たれながら祈った。ああ、シャルレイアさま、どうかカロレイアさまのところへお導きください。


 昇っては落ち昇っては落ち。太陽は変わらず一日を刻んでいたけれど、ロディーヌはもう昼も夜も数えることができなくなっていた。時間に関係なく疲れ果てて休むことが多くなり、岩山を目指してはいたけれど、時には何もない場所で半ば砂に埋もれて眠ったりした。

 ありがたいことに水だけは切れることなくロディーヌの前に現れる。それが彼女の命を繋いだ。それから思わぬものも。「冒険にはやっぱり必要だったわね」そう呟いてロディーヌは薄く笑いながら、バッグの中の木の実を取り出してかじった。空腹を満たすほどのものではなかったけれど心は十分に満たされた。それは甘く香り高く幸せな味がした。

 熱砂の世界の中で冷たく清らかな水を飲み、体を清めることができるだなんて奇跡以外のなにものでもない。ロディーヌは泉の女神が自分を守ってくれているのだと感じ、心からの感謝を捧げた。


 と同時に、砂の女神が双子の姉妹だということを考えれば、もしかしたらこの美しい水は砂の女神の本来の力を示すものではないかとも思うのだ。

 傷ついた妹を助けようと長きに渡って力を送り続ける砂の女神もまた、そのために力を失っているのかもしれない。恐ろしい砂嵐に気の遠くなるような広大な砂漠、これらは空の王国の真の姿ではないのかもしれない。ロディーヌははるか神話の時代へと想いを馳せた。


 ここにはかつて、泉の王国の天空草の花と同じように、白い砂が水のそばで輝いていたのではないだろうか。ロディーヌの中にふとそんな光景がよぎった。砂は、こんな風に熱く乾いたものではなくて、ひんやりと花のように芳しく、多くの命を宿らせていたのだ。真っ白な大トカゲや岩山は、残されたその証なのだとロディーヌは感じた。ああ、ここにも取り戻さなくてはいけないものがある。待ち続けるものたちがあるのだ。

 その夜、ロディーヌは水と砂が軽やかに立ち上がり、交差し合いながら空に駆け上って、天の川を流れ行く美しい日々の夢を見た。そこでは大きな羽を持つ青と白の美しい二人の女神が手を取り合い、声を上げて笑っていた。


 ロディーヌが目覚めた時、ついに大街道がその姿を消していた。そこにあるのは見渡す限りの砂だった。見下ろした自分のドレスは驚くほど真っ白だった。そしてロディーヌは気がついた。風が吹いていない……。疲れた体を打つ砂はなく、ロディーヌはただ無音の白の中に立ちつくしていたのだ。

 足元に広がる砂の白さは一層際立っているような気がした。それをじっと見つめたあと、ロディーヌはまるで何かに誘われるかのように空を仰ぎ見た。強い風と強烈な日差しのため、砂漠に入ってからというもの昼間に空を見上げたことはなかった。見上げることができなかったのだ。けれど今、ロディーヌの目を射るものはなかった。

 空は真っ白に輝いている。それは薄紙を通して見る柔らかな光のようで、ロディーヌは不思議な気持ちでその輝きを見つめた。やがてそれがさわさわと、わずかに揺れたように感じた。次の瞬間、その白さの中に陰影が生まれ、空だと思っていたものが実は柔らかな羽毛のようなものであることをロディーヌは知ったのだ。


「翼?!」


 ロディーヌは大きく目を見開いた。砂漠の上空が巨大な翼に覆われている。そしてその翼の先に続くものは……ロディーヌは自分の後ろにあるものが何であるか想像できた。振り向くのが恐ろしいような気がした。けれど意を決して振り向き、もう一度空を見上げたのだ。


 そこにあったものは、泉の女神とよく似た面差しを持つ、白い女神の美しい顔だった。空いっぱいに女神が立っている。その髪は白く長く、その瞳も眩しいほどの白の輝きをたたえている。長い爪は白くしなやかで、その先からは白い砂が流れ出していた。

 それは尽きることなく女神の両脇に砂の川を作っていく。北と南に向かっているのだとロディーヌは思った。海の王国の美しい海岸に、聖獣の里の柔らかな岩床になっていくのかもしれない。そして、いつか自分はそれを見に行くのだと、ロディーヌはなぜかそう思った。世界が作られていく光景をロディーヌは言葉もなく見つめた。


「娘よ」


 その時、凛とした響きがロディーヌの体の中に伝わってきた。女神に問いかけられたのだとわかる。見上げれば、女神の真っ白な瞳がじっと彼女を見ていた。ロディーヌは、やはり砂の女神もここから動けないのだと知った。妹である泉の女神シャルレイアを助けるために、彼女もまた何かを負っているのだ。

 狂気のような砂嵐は、この地を動けぬ女神を守るためのものだとロディーヌは理解した。この世界を荒らさないように、砂の女神が残された力を使って守っているのだ。邪心を持つものは決して砂漠を渡れないのだと言った宿の主人の言葉が思い返される。自分がここまでこれたということは、自分は女神に許されたということなのだろうかと、ロディーヌはぼんやり思った。 


「よく渡ってきた。泉の王国の娘よ、シャルレイアに愛されし幼な子よ。我らは長い間この日を待っていたぞ。今そなたに、我らの悲しみの始まりが何であったかを聞かせよう」


 その言葉とともに、ロディーヌの前に青い空間が揺らめき、懐かしい水の匂いが立ち込めた。きらめく陽光は柔らかく降り注ぎ、甘い天空草の花の香りが、ロディーヌの胸いっぱいに満たされていった。

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