第14話 青をまとって旅立つ朝

 まずは泉の王国が世界に誇る青い染料シュページュで染められたドレスだ。それは天空草の花の色。命の色だ。王国の象徴であるこの色を見れば、もし記憶が曖昧になっていたとしても、きっと兄たちは故郷のことを思い出してくれるに違いないとロディーヌは考えた。

 長い旅に耐えられるよう、ロディーヌは持っているものの中から一番丈夫な素材でできたものを二枚選んだ。そして出発までに、その二枚をさらに深く染め直そうと思いついた。


 青の上に青を重ねる、より深くより鮮やかに。世界に名の知れたシュページュ。染め上げられた商品には薄い青から濃い青まで様々なものがあったけれど、それは染める回数によってできる変化だ。

 より濃く美しいものは、貴重な染料、類いまれな技術、惜しげも無く注ぎ込まれる時間、それらのなせる技。それゆえに、最も高価なものであったけれど、それはまた贈る相手への想いの深さを意味するものでもあった。


 天空草の花の色に染めるということは、女神の心をまとうということなのだ。贈る相手を慈しみ、守りたいと強く想えば想うほど、深い青を求めたくなる。サフィラス家には国一番の染色技術と伝統があった。その血を引くものとして、ロディーヌは持てる力を全て注ぎ込んで自分の青を生み出そうと思った。深い深い魂の青を。

 小さく弱い自分には、力で兄たちを守ることはできないかもしれないけれど、想いなら負けない。誰よりも深い愛情で、兄たちを苦しめる暗闇から解き放ってみせる。そのためにも強く気高い青が必要だった。まとうのはロディーヌだけれど、それは兄たちへ贈る色なのだ。

 晴れ渡る秋空の下、白い指先を真っ青に染めながら、ロディーヌは心を込めて青を求め続けた。この旅がすべての人に平穏をもたらすことを祈りつつ。風にはためく青を見守れば、一段また一段と己の心が強くなっていくのをロディーヌは感じた。


 兄たちが誕生日に贈ってくれたネックレスも持っていくことにした。白金のなめらかな表面に天空草の花が彫られているロケット。王城近くの老舗装飾品店で、三つ子がお小遣いを出し合って買ったものだ。

 けれどそこにはさらなる驚きが重ねられている。天空草の花が、まだ売り出されていない特殊なシュページュで彩色されているのだ。それはキャメオンがずっと取り組んでいるもので、一作目としてロディーヌに贈られた。

 そしてその周りには彼らの名前の頭文字があしらわれている。これは購入後にリーディルが思いつき、以外に器用なアドランが自らのみを握って刻んだものだ。そう、それは世界にたった一つの宝物だ。あの日以来、ロディーヌはそれを肌身離さずつけている。

 もうずいぶんと会っていないから、自分も兄たちも様変わりしてしまったはずだろうとロディーヌは思った。もちろん自分が兄たちを見間違うはずはないと断言できるけれど、兄たちがどうかまではわからない。けれど、これがあればきっと兄たちは自分がロディーヌであると信じてくれるだろう。


「お兄さまたち……無事でいてくれるわよね……」


 思わずぽつりと漏らしてしまう。信じてはいるけれど、何一つは確かのものはないのだ。それでも変わらず声が聞こえ、最近では鼓動さえも感じられるような気がしていた。兄たちが自分を呼んでいるのだと、その度ロディーヌは思った。


 やがて実りの秋は終わり、再び柔らかな雨が降り始めれば、すっかり読み解けるようになった古代語のページをロディーヌは開いた。

 今ならば帰ってきた兄たちと肩を並べて、王城の図書館にあるような学術書を勉強できるかもしれない。もちろんすぐに兄たちは自分など追い越して、軽々と読み進めるだろう。そんなことはわかりきったことだったけれど、それでもロディーヌは嬉しかった。

 次に学ぶ時はお揃いの真新しい本にしなくては思うのだ。子ども用の歴史書は自分たちにはもうふさわしくないだろう。四つ違いの兄たちはロディーヌにとっていつだって先行く大きな背中だった。そんな兄たちと学びの場において、お揃いのものができるだなんて……少しだけでも近づけたような気がして嬉しくてたまらない。兄たちに一つでも誇れることができて満足だった。

 

 新しい章を読み進める必要はもうなかった。けれどこの本は、ともすれば忍び寄る寂しさを埋め、兄たちとロディーヌを繋ぐものとなってくれた。エピステッラの描かれたページをそっと撫で、ロディーヌは丁寧にそれを読み返した。

 春までの間、望んだ通りの穏やかで温かい日々を過ごし、両親と三人で聖域の水を汲んだ翌日、ロディーヌは静かに自分の部屋の扉を閉めた。


 肩にかけた小さなバッグには、ついこのあいだまでは必要だった羊毛のコートも押し込んである。他国の気候など想像でしかわからなかったけれど、もしかしたら必要になる日が来るかもしれない、そう思ったのだ。

 そして、森で採れた木の実などの非常食も忘れなかった。大街道を行く旅で必要だとは思わなかったけれど、兄たちとの冒険ごっこの日々を思い返して入れてみたのだ。ワクワクしてしまう気持ちがよみがってくる。思わずくすりと微笑みさえこぼれた。ちょっとしたお守りのようなものだ。

 それからポケットにハンカチを二枚しのばせる。これもまたシュページュで染めたもの。ドレスを深く染め直した時、思い出して一緒に染めたものだ。この国の誰もがそうだろうが、青が自分の近くにあるとそれだけで安心する。自分が作り出した青ともなれば思いもひとしおだ。


 昨日のうちに両親には旅立つ旨は告げていた。最後まで笑顔でいたいと思っても、顔を見てしまえばそれが叶いそうになかったからだ。

 両親の涙を見たら自分はそれを振りきれるだろうか……。心揺らすロディーヌに、「早くに出た方が早くに休めるわ」と、くしゃりと顔を歪ませながらもそう提案してくれた母。ロディーヌはその優しさに黙って頷いたのだった。

 四人で走り回っては叱られた廊下も今は静まり返ったままだ。夜の名残の残る空間に一抹の寂しさを覚え後ろ髪を引かれる思いだったけれど、そこに漂う闇を払うかのようにほんのりと空が色づき始めた。


(すぐに戻ってきます。もちろんお兄さまたちと一緒に。それまでの間、お父さまもお母さまも無理をなさらず、どうか元気でお過ごしください)


 まだ眠っているであろう両親にそっと心の中で別れの言葉を紡ぎ、眼を見張るような青をまとったロディーヌは朝日とともに出発した。

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