第12話 指し示された旅の始まり
泉の王国が青に染まる季節。天空草の花咲く初夏。ロディーヌは誕生日を迎え十七歳になった。あの日から七年の歳月が流れたのだ。もう二度と見ることはないだろうと思った青の輝きをロディーヌは目を細めて見つめた。来年こそきっとお兄さまたちと……ロディーヌは誓う。そのためにどんな困難が待ち受けていようと、この花が揺れる限り自分の力は尽きることはないだろうと感じた。
ロディーヌが癒しの泉から運び、植え直した花たちも咲き始めた。花弁が三枚の特別な花。その数が気になって仕方ない。なぜ二枚足りないのか……ロディーヌはじっと花を見つめた。そこには隠された何かがあるのではないだろうか。
ロディーヌは花に囲まれる泉のほとりに腰を下ろした。小さいながらも清められた泉は晴れ渡る空を映して青く輝く。そこに一段と濃い青が加わり揺れる様子は歴史書に残された
ロディーヌは暗闇から立ち上がり、街角で一人、旅立つエピステッラを見送った日を思い出す。
エピステッラは想いを運ぶものだ。あの瞬間、さまよえる自分の心は彼らが託され運んでいる想いに触れたのだと思う。それは自分とは関係のない、知らない誰かから知らない誰かへ宛てられたのものだっただろう。けれどその、遠いどこかで大切な人を想う強い心に触れて、自分を想ってくれる人に応え、想い返すことこそが始まりなのだと気づかされたのだ。その感動が力となったことは間違いない。
最後に残るものは信じる強さなのだとロディーヌは思った。苦しんだからこそ見えてきたものがある。闇にもがいたからこそ、その尊き光の意味を知ることができた。たとえ朧げな揺らめきであっても、信じ続けるならそれは真実の光になるのだとロディーヌは知ったのだ。
「私たちの中には青が宿る。青に導かれ、青に守られ、そして青を守るんだわ。お兄さまたちが今、花から遠ざかって青を失い苦しんでいたとしても、私には爪も髪もある。この青で絶対に助けてみせる。守ってみせるわ」
天空草の花が一つまた一つと増えて、ロディーヌの見る世界が兄たちと見たあの日のように深い青に満たされた日、ついに祈りの中でその願いは果たされた。
青に包まれた彼女はいつしか深い水底へといざなわれたのだ。空も地もなくただ青一色。けれどそれは至高の青で、女神への道だと感じられた。
自分の中の小さな小さな細胞の一つにまで青が染み渡っていくようだとロディーヌは思った。経験したことのないような清らかさがすべてを明瞭にしていく。目の前の霧が晴れていくような感じだった。覚悟を決めたはずなのに、まだまだ自分の中には捨てきれないもの、くすぶっていたものがあったのかとロディーヌが苦笑を漏らした時、青が一層深くなってついに一つの像を結んだ。
ロディーヌの目の前に、絵姿以上に麗しい女神シャルレイアが立っていた。けれどその背には、あるはずの美しく大きな青い翼はなかった。
揺らめく青の中で女神は悲しげだ。ロディーヌにはその姿が何かを待っているように思えてならなかった。女神はじっと何かを待っている。長い長い時間の中で待っているのだ。
ロディーヌははっと胸を押さえた。泉の乙女の名を持つ者として、今がその時、動き出す時なのだと、何かが強く告げていた。この女神の悲しみこそが、兄たちの悲劇に繋がるもの。
女神が伏せていた目をあげ、まっすぐにロディーヌを見た。ロディーヌは動けなかった。声を出すことも叶わず、自分に向けて発せられるものを受け止めることに必死だった。
届いたものは声だった。すべてを突き抜けたように澄んだ声でありながら、尽きることのない涙を流し続けているような不思議な声。その声が二重にも三重にもなって揺れながら紡がれる。
「青い翼は禍々しい黒き翼となって飛び去り、遥か西で朽ちた。帰り来る約束を果たせず、繰り返される悲しみの中でその想いは薄れゆく。もう一度、愛しき者をこの手に。想いは決して揺るがないのだと伝えたい。闇を超えて光の元へ。青を青の中へ」
それは女神の言葉でありつつ、長い時間の中に残された多くの人の想いでもあるのだと、ロディーヌは感じた。悲しみに塗り込められ埋もれた想い。自分もまたその一人なのだ。
けれど飲まれていてはいけない。このまま想い届かず終わってはいけないのだという熱い気持ちがロディーヌの中に湧き上がってきた。誰もが求めているのだ。誰もが願っているのだ。もう一度青い翼が必要なのだと。今、ロディーヌはそれを確信した。顔を上げれば、女神が緩やかに頷いたように見えた。
「あっ……」
ロディーヌが女神に手を差し伸べようと一歩踏み出した瞬間、青い水が渦巻き始め、女神の姿はかき消えた。やがてすべての青がロディーヌを包み込み、弾けて光となった。
気がつけば、降り注ぐ日差しの中、いつもと変わらぬ祠の前で目を開いたロディーヌは、今しがた聞いたばかりの言葉を忘れないように何度も何度も胸の中で繰り返した。この言葉こそが自分を導くもの。
消え行く女神は最後にその腕を上げ指さしたのだ。あの日と同じだ。行く道を教えられている。青の水底で方角などわかるはずもないのに、それは西を指しているのだロディーヌには思えた。
西、それは想いが朽ちた場所。まずはそこに行くべきなのだろう。世界の西、そこにあるのは空の王国だ。延々と広がる無人の砂漠。そこには女神の双子の姉である砂の女神カロレイアがいると言われている。
言葉にはしつくせない想いが湧き上がって来る。たとえ西に向かっても、答えなど見つからないかもしれない。けれど行くのだ。行くしかない。
無謀にも見える旅の始まりにロディーヌの体は震えた。怖い? そうかもしれない、けれどそれだけではなかった。今まで持ったこともない強い気持ちが芽生え、それが彼女を奮い立たせているのだ。必ずやってみせると自分に言い聞かせながら、ロディーヌは華奢な二の腕で自分を抱きしめた。
「お父さま、お母さま、女神さまが御言葉を与えてくださいました。これでお兄さまたちを助けられるかもしれない。どうか私を行かせてください」
急ぎ駆け戻ってきた娘の口から出た言葉に、領主夫妻は驚きを隠せなかった。
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