第11話 美しさに導かれる日々
フォンティオール領の北には広大な落葉樹の森が広がる。秋ともなればそれは一斉に色づき、まるで止まぬ雨のように美しい葉を降らせた。一人で見る風景は寂しくもあったけれど、また兄たちと見るのだという強い思いをロディーヌの中に芽生えさせた。彼女にとって美しさは力だった。
ロディーヌは泉の周りの落ち葉を丁寧にかき集めた。大きな山が一つ二つとできていく。ロディーヌは兄たちとその中に飛び込んだ日を思い返した。一番ふかふかなのはやっぱり出来上がった時で、いつだって兄たちはその特権をロディーヌに譲ってくれた。
そのあと彼らは順番に飛び込んでは大笑いし、最後は三人が揃って突撃して大きな山は崩れてしまう。日が暮れるまでなんどもそれを繰り返したものだ。
ロディーヌは集めた山の中から綺麗な色の数枚を抜き取り、泉の水で洗った。そしてそれを小さい頃と同じように祠の中に飾る。ぱっと明るくなったその場所には、兄たちの声が今にも響きそうだと思った。
ロディーヌは感じていた。兄たちは生きている。そして自分を待っているのだ。それは彼女の中に今も途切れることのない三人の声があったからだ。くっきりとロディーヌを呼ぶ声。それは寂しさが作り出す幻聴などではない。そう感じるのだ。
大きな変化は何一つなかったけれど、悲壮感も絶望感も焦燥感もなかった。ただただ、前を向いていくのだと強い気持ちだけが、彼らが愛した美しいフォンティオール領の風景の中で、日々作られていった。
やがて、雪が降ることのない泉の王国は優しい雨の降る冬を迎えた。森も田園も一層の潤いを帯びる。外での仕事ができない日、ロディーヌは兄たちへ部屋へと向かった。ここもまた母がずっと手を入れ続けてくれていたため、ロディーヌの記憶と同じままだった。
三つの机も椅子も同じものなのに、積まれているものや飾られているものは全然違っていて一目で誰のものかわかる。それでもその中に、一つ二つ同じものがあったりするのだ。その一つが古代語で書かれた歴史書だった。
その本を手元に引き寄せてロディーヌは一人笑う。同じ表紙の本は、けれどその一ページ目からどれもとんでもなく個性的だった。細かくびっしりと注釈が書かれたものはキャメオン。ところどころ挿絵が描かれていたり、押し花が挟んであったりするものはリーディル、そして太い赤でぐるりと単語を囲んでいるのがアドランのもの。
読み進め方にもきっと違いがあるだろうと思いつつ、ロディーヌが丁寧に各本のページをめくっていけば驚くべきことがわかった。さすが三つ子とでも言うべきだろうか、次に始めるべき章は同じだったのだ。
「まあ、お兄さまたちって……やっぱり仲良しなのね。次に読みたかったのは……ああ、エピステッラのお話ね」
青い蝶がタイトルの下に描かれていた。ロディーヌには古代語は読めない。けれど美しいその絵が物語っていた。ロディーヌはそれを読んでみたくなった。兄たちに自慢したいと思ったのだ。兄たちよりも早くそれを読み解き、驚かすのだ。その考えにロディーヌはくすりと笑った。とんでもなく愉快な気分だった。
雨が降るたび、時には夜遅くにオイルランプをかざし、ロディーヌは彼らが残した本に向き合った。使っている辞書は違っていたが、一番わかりやすそうなリーディルのものを選んだ。キャメオンが几帳面に削ってあった鉛筆を使い、一番たくさん残っていたアドランの新品のノートブックに書き付ける。それは兄たちとの共同作業のようで、ロディーヌの心を温かく満たしていった。
「春が来たら、癒しの泉の天空草を運びたいわ。あの青が一番綺麗なんですもの」
ロディーヌは兄たちに話しかけるように一人呟いた。領主館の裏の泉脇にももちろんたくさん咲くけれど、もっともっと青を増やしたかったロディーヌにとって、何よりも気になる色はあの日兄たちと見たあの青なのだ。深く深く鮮やかな青。
まるで何かを訴えるかのように揺れていた三枚の花弁。あの株を運んでこようとロディーヌは思った。そうすれば、何かが動き出してくれるような気がしてならなかった。女神により近くなると言うか……あの日と今を繋ぐと言うか……とにかく知るべきことがそこにあるように感じるのだ。暖かくなったら始めよう、ロディーヌはそう決めて、この花を愛する蝶たちの話を読み進めていった。
古代語ではあるけれど子ども向けのもの。元になる物語から抜粋し、簡単にまとめられているのは読んでいくうちにわかった。それでも十分に美しいもの。この話にも、その他の神話同様きっと多くのバージョンがあるのだろう。そのすべてを読んでみたいと思うほどに魅力的だった。ロディーヌは世界の空を飛ぶ、自由で勇敢で美しい蝶たちの姿を思い浮かべ、そっと感嘆のため息を洩らした。
「あんな薄い翅でこんなにも遠く旅するのね。たくさんの人に会って想いを聞いて、遠く隔たれたものを結びつけて……素敵な生き方ね」
優しい雨はロディーヌの渇きをすっかり癒し、再び巡り合うだろう青い花と蝶の美しさが彼女を励ました。ただ、いまだ女神の姿は見えず、心に影が差す日もあった。
そんな時はあの白い腕を思い出すのだ。迷うことなく自分たちを抱きとめ、はるか上の光を指差したあの瞬間。道はあの時示されたのだ。自分たちはその先を目指して進むしかない。一足先に行ってしまった兄たちを追いかけて、自分もきっと行くのだとロディーヌは強く心に誓った。
柔らかな日差しに花の香りが混じるようになった頃、ロディーヌは一人、泉の道を行った。四人で歩いた時もずいぶん早く感じたけれど、大人になろうとする今、その道は思うよりもたやすく歩くことができた。長い時間が流れたことをロディーヌは感じずにはいられなかった。青い空を見上げてロディーヌは呟いた。
「お兄さまたち、ごめんなさい。でももう少し、もう少しだけ待っていてね」
何度も何度も泉と祠を往復し、ロディーヌは小さな苗を運び続けた。まだ何も生えていなかった場所に一つ一つ丁寧に植え直しながら、あの日世界を満たしていた青を思い出す。あの青がここにも根付くのだ。兄たちはきっと驚くだろう。そう思うと知らず微笑みも深くなる。流れる汗をぬぐいながら、ロディーヌは仕事に精を出した。
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