サクラチル、されど続く未来に

九十九 那月

サクラチル、されど続く未来に

 勉強ばかりしていた一年は、あっという間に過ぎた。

 と、いうのはお決まりだけれど、実際には時間だけがただ過ぎていくばかりで、かといって手に残るものはなにもないような気ばかりしていて。だから焦るばかりで、焦れば焦るほど手からこぼれるものが多くなる悪循環で。

 ゆえに当然の帰結として、春を迎えるその一足先に、家に届いたのは志望校からの不合格通知で――そしてそれを手にした瞬間、はりつめてたものが全部崩れ去って、そこからしばらく、僕は眠っていた、らしい。


 だからきっと、これから話すことは、ただの白昼夢に過ぎないのだろう。



 目を開けた僕は、なんというか、全部が「からっぽ」だった。

 気が抜けたのかもしれない。……本当は、後期とか、別のところに行くのかとか、そういうことを考えなければいけないんだと思うけれど、いまは気分じゃない。

 でも、お腹は空くのだ。緊張でここ数日ろくに物を食べていなかった僕は、食事を求めて家を出た。


 そしてその先で、奇妙な人と出くわした。


 近所のファーストフード店。ピークを少し過ぎ人影がまばらな店内、渡されたハンバーガーセットを持って席に座る。

 その時、まるでそうあるのが当然みたいに、向かい側に誰かが座っていた。


「——やぁ」


 その誰かは、おもむろにそう呼びかけてきた。

 不思議なくらい、綺麗な笑顔だった。


「……誰ですか」

「まぁまぁ、取り敢えず食べなよ。お腹空いてるでしょ?」

「じゃ、そうします」


 勧められるがまま、僕は包装紙を開いてまだ温かいバーガーにかみついた。空っぽの僕に今必要なのは、吐き出すことよりも飲み込むことだった。

 その様子をしばらく、優しげに見つめて。それからまた、口を開く。


「実は僕は、キミのミライなんだよ」


 コーラを一口。一緒に飲み込んだ言葉を、取り敢えず反駁する。


「未来、ですか」

「そう、未来」

「てっきり、もうちょっと厳しいものかと思ってました」

「だろうね」


 ミライは苦笑する。


「殴りつけたり、叱ったり、そうするつもりはない。だけど、手助けもしない。僕にできるのは、見守るだけさ」

「見守る……」

「そう。だから、実は思うほど優しいわけでもない」


 そうですか、と適当に空返事。その間、左手はポテトに伸びている。

 はなから信じているわけではないので、この程度の適当さで良いのだった。ただ、いちいち食ってかかる理由と気力がないだけだ。


「で、何の用です」

「そうだね、ちょっとしたアドバイスを、と」

「見守るしかできないんじゃないんでしたっけ」

「知っていることを話すのは、キミの為にできること、じゃない、僕が勝手にすることだからね」

「そですか。ま、話してくださいよ。食べながら聞くんで」


 ふ、と透明な笑みを浮かべて、そしてミライは告げる。


「今日、キミは正式に不合格判定を受けた。実際、実力が足りていないのはわかっている通りだろう。だから、後期もうまくはいかない」

「……でしょうね」


 そう言われて、流石に手は少し止まったけれど、でもなんというか、思ったほどの衝撃ではない。それは多分、言われたとおり、自分で薄々覚悟していたことだから。


「そして、キミは選ぶことになる。やりたいことをやろうとする道、とりあえずで行き先を決める道、そして全てを投げ捨てて新しい場所に飛び込む道。もちろん他にも細かい分岐はあるけど、キミに見えているのは大体この三つだ」

「そうですね。……それで、僕は、何を選ぶんですかね」

「未確定」

「おい」


 ついつい突っ込んでしまう。差し向けた指にはポテトが摘ままれっぱなしで、なんか飛んだ気がする。でもミライは気にした様子もない。


「だって、ミライだもの。そんなもの、選択次第でどうにでもなるさ」

「じゃ、一体なにしに来たんです」

「さぁね。未来は気まぐれで、そして突然に現れるものだよ。……時に、キミは、自分が将来何をしているか、と考えたことはあるかな」


 束の間、沈黙。

 とはいえまぁ、それもなんとなくわかってはいるのだった。


「まぁその、やりたいことはやるんじゃないですかね」

「どうして?」

「やりたくないことをやれるほどの余裕は、今の僕にはない」


 受験期に、散々実感したことだった。


「……ただ、やりたいことで食っていけるかと言われると、それも難しいと思います」

「ほう」


 それもまた、受験期に実感したことだった。

 やりたいことを、「やりたい」と言うことは自由で、だからこそ倍率が高い。その中で生き残れると思うほどには、僕は自分の賦性を信じちゃいないのだ。


「まぁ、そういうわけで、折り合いつけれるところはまぁ探さないと、と漠然と思う訳です」

「ん、妥当だね。キミは自分と、世界のことがよく見えている」

「精神的には、ちょっと否定してほしい所なんですけどねー。食ってけないこと本気でやろうとするのって修羅の道でしょうよ」

「未来は何事も否定はしない。なぜならそこには可能性しかないからね」


 でも、と付け加える。


「未来が不確定なのは確かだけど、それと同じくらい、未来が決して易しくはないことも、また事実なんだ」

「薄々気づいてはいます」

「そうかい」


 苦笑するミライ。やたらと人間臭いなーと思うのは、なんというか、当たり前のような、そうでもないような。

 人間の「可能性」の集積は、それほど超常的な態を取ってはいなかった、ということだ。


「大人はさ」

「なんですか」

「大人は、子供たちの夢を守るためにいるんだと、僕は思うんだ」


 戯れに天井に手を伸ばすミライ。見つめる先には天井があって、それをはるか抜けた先に空がある。


「誰もが夢を叶えられる、そのために努力して――でも、それはまだ果たせていない。何千・何億という人が総出で頑張って、それでもまだ、皆が皆やりたいように生きれる世界には到達できていない」

「そりゃまぁ、そうですね。で、僕に何を求めるわけです」

「キミもいつかは、大人になる、という話さ」

「そうならない未来だってあるでしょう」

「……それも、否定はしないけどね」


 だけど、と言葉を継ぐ。


「多分、キミはそうしない。色々悩んで、それでも未来を選ぶさ」

「そうですかね。それでもどっかで折れる気はします。といって、他の誰かの手助けができる余裕も、能力も、持てる気はしません。……誰だっておんなじでしょう。そして、大人にだって夢を叶える権利はある」

「そうだ。……ただ、キミはその二つは矛盾していると思っているかもしれないけれど、本当は違う」

「どういうことですか」

「キミが夢を叶えようとして自分で拓いた道は、他の誰かが通ることのできる道にもなりえる、ということだ」

「そんな、もんですかね」

「そんなものさ。それは、僕の存在が証明している」


 言われて、ミライを見つめる。といって、見るだけで本質を掴むことはできない、けれど。


「厳しくはない、だけど優しくもない。見守るだけの、ミライ」


 呟いて、反芻して、そうして一つ納得する。


「まぁ、なんというか、ありがとうございます?」

「礼を言われるようなことをしたかな」

「まぁその、ただそこで見守る、ってのも、案外難しいことでしょうよ」


 そう言うと、ミライはふっと笑って、そして現れたときと同じくらいの唐突さで姿を消した。

 後には空席だけが残る。それを見て、僕は思う。


 つくづく、おせっかいな未来もいたものだ。


 口を潤すつもりが、ストローの先からは気泡を吸い込む音ばかりが響く。このあたりが区切りだった。僕は立ち上がってゴミを片付けると、店をあとにした。



 そうして、気づくと僕は家の廊下であおむけに倒れ込んでいた。


 体を起こす。さっきのは、夢か現か。どっちでもいい。ただミライに言われたことだけは少し残っていて。

 今更勉強しても身になるとは思っていなかったけれど、それ以外にもやることがいくらでもあるような気がした。

 不確定な未来に向けて――僕は、部屋に戻ることにした。



 それから先のことは……未確定。

 受験に受かって進学して……そういった個々の事項は、多分そんなに大事なことじゃない。


 僕の先には、たただたずっと未確定が続くばかりで。

 そして、僕の後ろにあるものも、僕個人の過去から、やがて誰かの「ミライ」となる。


 ただ、願わくは。

 再び誰かの前に現れる「ミライ」は、僕の時よりもう少し優しくあれ、と。

 そんな想いとともに、僕はまた一歩、未確定の未来へと踏み出していく。

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