番外編❖そして四年
第66話
浪人であった
相変わらず息子に
それというのも、その能登守の嫡男が表舞台に現れたことが大きい。
跡取り息子、左雨
さっそく勘定方の官職を得た幸之進は、そこそこに上手く立ち回っている。あくまで当人が言うには算盤を弾いていればよいらしく、剣術の腕を求められるよりはずっと向いていた。
――しかしだ、あれはとてつもなく大きな猫を被った生き物だ。
美しい顔立ちが幸之進の本性を包み隠している。あれは、そんなふうに持ち上げられるべき人物ではない。
怠け癖があり、勝手気ままの好き放題。ただし、外見に見合ったよう、
そんな幸之進の性質を知っているのは、そばに仕える者共である。ただし、御家の恥となりそうなことには誰もが口を噤むのだが。
「――
親信は恭しく桐の小箱を畳の上で滑らせる。
しかし。
「なんだ、食えもせんものを寄越すとは気が利かぬな」
幸之進はあふ、とあくびを交えて言い、小箱の蓋も開けない。開けずとも、中身が扇子であることは箱の形でわかるのだが、ひどい話だ。お前の気を引きたいから機嫌を取っているというのに。
親信は思わず半眼になって苦言した。
「花の蜜でも吸って生きていそうなそのお顔から、まさか風流を解さず、食い気ばかりと察するのは無理というもの。食い物を頂きたければ、まずその顔を改めてはいかがでしょう?」
非常に失礼な言動である。斬って捨てられても文句は言えない。そんなことはわかっている。しかし、親信はこれでいいのだ。
幸之進はふんわりと笑っている。
「おお、なるほどな。顔がいけなかったか。柏餅のような顔になればよいのだな?」
「それはそれでどうかと存じますが」
いつもにも増して話がくだらない。ただ、大体において常日頃がこんなものである。
以前、親信は浅草で手習い所の師匠をしていた。そんな親信の住まいにこの幸之進が手傷を負って逃げ込んできたのだ。
捨て置くこともできずに助けたが最後、懐かれてしまった。幸之進は家に帰るなり親信を召し抱えると決め、長屋から引っこ抜いて連れてきたのである。
長屋にいた頃は幸之進の素性を何も知らなかった。本人が言いたがらなかったからだ。よい家の子息なのだろうとは思っていたが、知らない方が気兼ねなく雑に扱えた。
実際のところ、幸之進は親信の予想をはるかに超えた人物の嫡男であったのだが、幸之進はいつでも相変わらずである。
親信が
「つまらん」
「は?」
「つまらんと申したのだ。小言のひとつも言わず、他の者と同じように頭を下げて畳ばかり見ておる親信殿ではつまらんのだ」
――という次第で、少々は敬っているふうを装いつつ、本音はそのままにという上下関係が出来上がった。だが、幸之進はそれでいいらしい。口答えする臣を求める者など他にいないだろうに。
二十一歳、以前の青さを残した危うい美貌とはまた違い、そこに精悍さも加わりつつある。剣術は相変わらずからっきしなのだが、親譲りか処世には長けていた。親が狸なら息子も狸。
だから、この若侍の嫁の座を争う人々の多いこと。本性を知ればやめておこうとするだろうか。それとも、少々変わり者でも家柄と顔がよければ許されるか。
親信としても、さっさと嫁を迎えてしまえと思っている。そうしたらきっと落ち着くと思いたい。
しかし、そんな時には決まって親信が最も嫌がることを言うのだ。
「俺の嫁はすでに決まっておるぞ。親信殿が一番よく知っておるではないか」
「――さあ、どうでしたか」
「あと何年待てばよいのだ?」
幸之進が真顔で問うてきたから、これには親信の方が激怒した。
「やるとはひと言も言っておらぬわっ」
「ほぅ。
得意げに言うからまた腹が立つ。親信が歯噛みするのを幸之進は楽しんでいるらしかった。
加乃は、親信の娘である。しかし、年を数えるのにまだ両手の指で足りてしまう。やっと十歳になったばかりなのだ。
親の欲目というものがあるとしても、それを差し引いたところで加乃が素晴らしくよくできた娘であることに変わりはない。親孝行で、弟の面倒をよく見て、気配り上手で、家事もこなす。その上、容姿も可愛らしく、文句のつけようもなく育っている。
そんな大事な娘だからこそ、おかしな相手に嫁がせたくないのだ。とにかく
亡き妻の
娘のことで頭が痛い親信だが、息子のことでも頭が痛かった。
親信の息子は
そんな子だから、よく苛められる。苛められる原因のひとつは、親信の立場が特殊であるせいだろう。幸之進が親太郎を特に可愛がっているから、周囲がそれを面白く思わないのも仕方がない。
長年夢見て諦めた頃に仕官が叶って、これで安泰かと思えばそうではない。長屋にいた時と同様、もしくはそれ以上に考えねばならぬことが山積していた。ままならぬものである。
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