第27話

 そんなことがあった翌日のこと。


「では、行って参る」


 親信がそう言って、昼餉の握り飯と手習所で使う手本などをまとめて風呂敷に包んだものを手に外へ出ると、幸之進も昼餉の握り飯を竹皮に包んでくっついてきた。


「今日は俺も手伝いに行こう」


 たまにこうしてついてくる。親信としては来なくていいと思うのだが、幸之進が来ると貞市が喜ぶので断りづらい。

 気づけば、貞市だけでなく子供たちのほとんどが幸之進に懐いているのだ。しっかり者の梅や寛太も、幸之進と接している時は年相応の子供らしさを出す。


 幸之進がふわふわと漂っている男だから、子供たちも構えることなく自然体で接するのかもしれない。親信は真面目で硬すぎるから、子供たちも強張ってしまうのだ。

 けれど、師匠としてはある程度の威厳も必要で、あんなにもへらへらとしていては勤まらない。匙加減が難しいところである。


「加乃殿、親太郎。今日はすまぬが出かけるぞ。なるべく早く戻るのでな」


 誰の家族だと言いたくなるが、親太郎はわかりやすくがっかりし、加乃はほんのりと残念そうである。


「はい、お気をつけていってらっしゃいませ」

「いってらっしゃいませ」


 親太郎がぺっこりとお辞儀をした。今日はまた一段と上手く言えた。頭の下げ具合も可愛らしいことこの上ない。

 親信は朝から些細なことでほくほくと心あたたまったのであった。



 戸を閉め、歩き出した時、すぐさま幸之進に袖を引かれた。何事かと思えば、すぐそこに人が立っていたのだ。隣の戸の前にいた。

 丸髷に落ち着いた絣の着物。年増ではあるが、やや上背があり、立ち姿が綺麗だった。顔も面長である。隣――半治の家に用があったらしい。


「随分と朝早くに訪ねてこられたな。半治殿ならば昨日は戻らなかったのではないかな」


 幸之進は見ず知らずの女にも構えることなく話しかける。女の方が困惑していた。


「そうでしたか。あの子ったら、またふらふらして」


 荒っぽい火消しを『あの子』と呼ぶ。どうやら身内らしかった。


「もしや半治殿の姉上かな?」


 にこやかな幸之進にも、その女は必要以上にぼうっとなることはなかった。しっかりとした様子で受け答える。


「あい。半治の姉で、かねと申します。お武家様はこちらにお住まいなのでしょうか?」

「うむ。何か半治殿に言づけがあるのならば聞いておくが」


 勝手に安請け合いをした。しかし、半治の姉、兼はその言葉を待っていたように思われた。

 フッと目元の力が抜ける。


「そのお言葉に甘えさせて頂けますか。では、半治に姉が来たとお伝えください。何度も文を送りましたし、あの子も用件はわかっていますから、それだけで伝わります」

「承知した」

「ありがとうございます。では、失礼致します」


 兼は丁寧に頭を下げると、背を向けて去っていった。もう少し早いか遅い時分であれば、噂好きの長屋の女房連中に囲まれただろうが、この時は丁度そろって朝餉を食べに一度家に引っ込んでいたのだ。兼に出くわしたのは親信と幸之進だけである。


 年以上に落ち着いているというのか、浮かれたところのない女だった。半治とも少しは似ていたかもしれない。

 幸之進はふむ、とまたうなずく。


「疲れておるようだな。まあ、どこの家にもなにかしらの厄介事はあるものだからなぁ」


 半治に身内がいることを初めて知った。いてもおかしくはないのだが、少しもそうした話をしない男なので、何も知らないままだった。親信もまた、語らないことを詮索する方ではないので、話の端にも上がるはずがなかった。


「まあ、姉上が来たと伝えるだけでよいそうだ。それくらいのことならばよいだろう?」


 と、幸之進は苦笑した。


「そうだな。半治は吉原かどこかだとして、そのうちに戻るだろう」


 そうして、親信と幸之進は木戸を抜けて王泉寺へ向かった。

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