第20話
そんなわけで、翌日の昼下がり、親信たちは初のいる茶屋へ向かったのである。
昨日とそう変わりなく、床几に座っている客は二人。どちらも若い男で、もしかすると初のことが目当てなのではないかと思えた。
餅、団子や茶などよりも初の動きを目で追っている。二人、牽制し合うようにして初に声をかけていた。ただ、初はどちらの客にも同じように対応しているように見えた。
初は盆を抱えたまま、ふと親信に気づく。あ、と口元が動いた。
「昨日の柏餅は美味かった。子供たちも気に入ってな、連れてきた」
その時、幸之進が前に出た。そして、すたすたと初の前に歩み寄ると、いつもの笑顔を浮かべて言う。
「俺も馳走になったのだが、あんなにも美味い柏餅を食ったことはない。どこで売っているのだと親信殿を問い質して連れてきてもらったのだ。そこもとが母上と共に作ったそうだな? ちなみに今日はどんな菓子があるのだ?」
幸之進は人懐っこく、尻尾を振る犬のようにしている。
――この時、親信はすっかり忘れていた。
この若侍、見目がよかったのだ。
毎日顔を突き合わせているのですっかり見慣れてしまったが、初めて会った女子が見惚れる程度には顔かたちが整っている。
「あ、そ、その――餡団子を」
盆を顔が半分隠れるくらい高くに持ち上げた初だったが、富士額から耳まで真っ赤である。客の男たちは初の変わり様に顔を引きつらせていた。
しかし、幸之進はあまり気にした様子でもない。
「そうかそうか、餡が美味いのだから、何にしても美味かろう。親信殿、食って帰ろう」
ここまで来て冷やかしで帰るのも気が引ける。結局、そういうことになるのだ。
まあ、たまにのことだから、甘いものが二日続いてもいいかという気になったのは、ここの菓子が食べやすかったからかもしれない。
三人分の茶と団子を頼んだ。ひと串を親信と親太郎は半分ずつすることにしたのだ。
「昼間から茶屋でお菓子を食べてのんびりするなんて初めてです。いいのでしょうか」
床几に座った加乃が胸元を押さえながらそんなことを言う。
いつも苦労をかけているな、と親信は再認識して心苦しくなった。そんな時でも幸之進はアハハと笑っている。
「よいのだ。加乃殿は働きすぎだからな、時にはこうして甘やかしてもらって丁度良い。ちなみに俺も甘やかすのは得意なので、やはり相性がよいと思うぞ」
「は、はぁ――」
親信はもう、幸之進の戯言を聞き流すことに慣れ始めていた。
その時、初が母親と共に茶を運んできた。母親は最初、親太郎を膝に載せた親信の方を向いてにこにこしていた。
「どうも、お待たせ致しました」
子供好きなのだろう。大人しくしている親太郎を見る目が優しかった。
そんな母親に、幸之進は声をかける。
「
「いえ、私の実家が菓子屋でございまして、それを見て育っただけで、修行というほどのことではないのですが」
子供ほどの年である幸之進に、初の母親は丁寧に接する。侍にしては気安いと思った程度だろう。
しかし、幸之進はパッと輝くように笑った。
たったそれだけのことで、幸之進は必要以上に気に入られるのだ。初の母親も先ほどよりも表情が柔らかくなった。
「そうか、それで美味いのか。ここの菓子はもっと広く知れ渡った方がよいと思うぞ」
親信は幸之進の言葉に嫌な予感しかしない。
初はそんな間も、母親と幸之進との話に混ざりたそうに母親の隣に居座る。他の客たちの視線が痛くなってきた。
「い、いえ、菓子屋はたくさんございますから、太刀打ちできるほどの腕ではございません」
そう言いつつも、まんざらではなさそうな母親だった。
幸之進は、ふむとつぶやくと、団子を頬張った。口を動かす様子は小さな子供のようなのに、それでも初はうっとりと幸之進を眺めている。
「うん、やはり美味い。ひっそりと商うのは勿体ないな」
「そう仰ってくださるお客様に出会えただけでもありがたいことです」
ホホホ、という母親の笑い声がどこか気取って聞こえた。
顔がよくとも中身が伴っていない男なのだが、まあ少し喋ったくらいではわからないだろう。
母親はまあいい。ただし、初がうっとりと幸之進を見ているのはどうだろう。
そんなにも幸之進が気に入ったのか。
せっかく和吉に助けてもらったのに、恩を仇で返すような真似をしてしまったかもしれない。
そう考えると、親信は気が重くなるのだった。団子の味もよくわからない。
すっかり食べ終えた幸之進は、忌々しげに睨んでくる男客たちをサラリと躱し、軽く手を叩いて立ち上がった。
「そうだ、呼び込みをしてこよう」
「は?」
口をあんぐりと開けた親信に、幸之進はにこやかに言う。
「親信殿、ちょっとそこまで呼び込みをしてくるので、ゆっくり食べていてくれ。ああ、でも、席がなくなったら新しい客に譲ってほしいのだが」
またおかしなことを言い出した。
商いの『あ』の字も知らないようなズブの素人が、また何か適当なことを。
思わず半眼になりながら親信はぼやく。
「呼び込みとは、おぬしは目立ちたいのか目立ちたくないのか、どちらだ?」
すると、幸之進は少し考える素振りを見せたが、やはりへらっと笑っただけだった。
「目立ちたくはないが、茶屋の呼び込みをするような侍がいるとは思わんだろう? 家の者が俺を探したところで、まさかそんなことをしているとは思わぬはずだ。かえって目くらましになるやもしれん」
よくわからない理屈をこねられた。
好きにすればいいのだ。それで見つかって家に引っ張り戻されても、親信が困ることはないのだから。
「では、行って参る」
フンフンと鼻歌交じりに通りへ出ていった幸之進を目で追う。親太郎は団子に夢中だが、加乃も不安げな面持ちだった。
ここから見える限りで、幸之進は連れ立って歩く年増女二人に声をかけていた。何をどう言って呼び込んでいるのかは知らないが、女たちも笑顔である。そうして、その二人を連れて戻ってきた。
「こちらのお二方だが、団子と茶を頼んでくれるそうだ」
なかなか地道だが、少し声をかけただけでついてきてくれるのは、幸之進の取り柄の顔のおかげだろうか。役に立つこともあるのだな、と皮肉なことを思う。
「は、はい。おっかさん、お団子とお茶を二組ずつよ」
「あいよっ」
幸之進が連れてきた年増女たちは、急に若い娘になったかのようにもじもじと恥じらい、キャッキャウフフと楽しげである。団子と茶が運ばれてくると、幸之進は年増女たちを残してサラリと席を立ち、またどこかへ消えていった。
そして、すぐにまたどこかの商家の内儀と女中らしき三人連れを捕まえてくる。最初にいた初目当てらしき男客たちは居心地の悪さにそそくさと勘定を済ませた。幸之進は、さらにまた別の通りから女たちを連れてくる。小半時(約三十分)もすると、店の前の床几は女人たちで狭苦しいことになった。
親信たちも悠長に食べている場合ではなくなり、席を譲る。加乃も団子は食べたが、茶は少し残した。しかし、飲みきるゆとりがなかったのだ。
見ると、初と母親は想定外に押し寄せてきた客たちの対応にてんてこ舞いである。何か、見ていて気の毒になった。儲かりはするのだから、いいのかもしれないけれど、大変そうだ。
親信は勘定を済ませるべく初のところに行くが、走り回っていてなかなか捕まえられない。
「すまない、勘定を――」
「あ、はいっ。ええと、ええと、二十四文で、ええと、えっと」
こんなにも人が押し寄せてきたことはなかったのだろう。慌てている。
「落ち着いてくれ、団子と茶を三組ずつだった」
「ああ、はい、二十四文で合ってますっ」
「お初、できたよっ。あちらのお客様だ」
「はいっ」
初は顔を真っ赤にして走り回る。女客たちは
「ここに置いたぞ」
「ああ、はい、ありがとうございますっ」
団子に焼き目をつけながら、初の母は親信に目を向けずに声を上げた。
その時、幸之進がまた女たちをぞろぞろと引き連れて戻ってきた。その人だかりを見て、親信もゾッとした。
何をどうやったらあんな行列ができるのだ。老いも若いも色々あって――けれど、すべて女だ。幸之進は女ばかりに声をかけ、ここの団子が美味いと説いたらしい。
店からしたら、これほど効力のある呼び込みをしてもらえたらありがたい半面、度を超すと大変なことになる。まず、忙しくなると思っていたわけではないのだから、仕込める団子の数には限りがある。ゆったり過ごしていたところに急激に客が雪崩れ込んだら、親子二人では手も足りない。
悪いことをしているというわけではないが、いい加減にやめさせなければ――。
親信は抱きかかえていた親太郎を幸之進のもとへ走らせた。
「ゆきしーっ」
よくわかっていない親太郎は、ただ無邪気に女に囲まれている幸之進へ突進した。
「おお、親太郎、どうした?」
と、幸之進は親太郎を抱き上げてから、離れている親信の方を見た。親信は両腕で大きくバツを作る。しかし、意味が伝わらないらしく、幸之進は首を傾げた。
「あら、可愛い坊やね」
女の一人が親太郎のほっぺをつつく。親太郎はきょとんとしていた。
「うむ。俺の弟だ」
弟と。
説明が面倒なので適当なことを言っただけならいい。弟のように可愛がっている子、というのを省略したのでもまあ許そう。
ただし、いずれ加乃を嫁にもらったら親太郎は義弟になる予定だから弟だというのだけは認めない。
親信は加乃の手を引き、幸之進の近くまで仏頂面で歩くと、すれ違いざまに幸之進の首根っこをつかんだ。
「帰るぞ」
「お? まだまだ呼び込み足りぬが」
「いいから、帰るぞ」
「うむ、承知した」
女たちは幸之進が去りゆくと、妙に甲高い声できゃあきゃあ言ったが、親信は振り返らずにとにかく家路を急いだ。
幸之進が関わると話が大きくなる。ややこしくなる。
親信は改めてそれを学んだ。
家に帰ってからもくどくどと説教してやった。
「備えもないところへ急に客が押し寄せても、満足な商いができるわけではない。前もって支度をしてあれば話は別としても、あれではかえって慌てさせただけだ」
すると、幸之進は親太郎に抱きつきながら、はぁ、とため息をついた。
「いや、俺はあの親子の菓子が美味いと評判になれば、もっと菓子を豊富に作ってくれるようになるのではないかと思うてな。よかれと思って客を連れてきたのだが」
「連れてきすぎだ。それも女子ばかり」
「女子の方が甘味のよさをよくわかっておる上に、口から口へと噂になりやすいのだ。その点、男客はいかん。看板娘が目当てで、菓子の何たるかも知らず、まるで味わってもおらなんだ」
などとぼやきながら親太郎に頬ずりしている。
「手が足らぬと申すのなら、俺が手伝ってもよいぞ。茶を運ぶくらいなら俺にもできる」
「やめんか」
二本差しに茶を運ばれる町人たちがくつろげるわけがない。
「とにかく、しばらくはあの茶屋に近づくな」
ぴしりと親信が言い放ったのは、実を言うと呼び込みのせいではない。
和吉のためである。初がもし、幸之進に好意を持ったりすれば、さらに厄介なことになる。これ以上関わらせるべきではない。関わってくれるなと、親信なりに冷や冷やしたのである。
「そこまで迷惑をかけたのだろうか?」
幸之進は急にしょんぼりした。そんなふうにしおらしくされると調子が狂う上、なんとなく心苦しい。親太郎が、よしよし、と幸之進の頭を撫でて慰めた。
しかし、ここで甘いことを言うと、また余計なことをしでかす。これでいいのだ、と親信は自分に言い聞かせた。
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